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【時事評論2020】

競争はいつ芽生え、何をもたらしたか?

2020-09-16
  人が何時から「競争」というものを始めたのか、そしてそれは何をもたらしたのか、ということをある番組を観ていたときに思いついた。人間の持つ競争心についてはその弊害をこれまでのテーマの中でも触れてきたが、特にそれは学問の世界で顕著に表れたことを述べてみたい。そしてそれが、人間自身を滅ぼすことに繋がっているということについても触れたい。
 
  人間(ホモサピエンス)が恐らく数百万年前から少しずつ大脳を発達させたことによって生存競争に打ち勝ち、屈強なネアンデルタール人をも駆逐して現代に繋がったことはほぼ定説になっている。その大脳を発達させた理由にはいろいろ学説があり、二足歩行が大前提となっていることも定説である。調理仮説では柔らかい食物を食べることができたお陰で顎と歯を小さくできたことが、脳の肥大化を促進したとも言われる。二足歩行によって頭を重心の真上に持ってきたこともまた、脳を肥大化させることに役立った。また両手を自由に使えることによって武器も作ったり、持つことが出来るようになった。それらが生存競争に勝つための条件になったことは間違いない。だがそれよりも、人間社会に生じた競争が、脳の進化をより促進したのではないかというもう一つの仮説を筆者は提起してみたい。
 
  人間がまだ原人であったころ、家族単位で生活していた時にはもしかしたら競争の必要はなかったのかもしれない。日々の糧である食物を採集したり、獲物を狩ることで数十万年、いや数百万年という長い年月を原人は続けていた。だが気候の変動などにより食物が限られてきたとき、仲間同士の争いも生じたであろう。それが顕著に表れ始めたのは集団という社会を作り始めてからではないかと思われる。一旦集団が作られるとその中にリーダーが必要となり、リーダーは生存に有利な立場を持つことで、仲間内に権力闘争が生じたかもしれない。この闘争は筆者の言うところの「競争」の表れ方の一部であり、競争はあらゆる面で起こった。それは単に優劣を競う動物のオスの闘争とは異なり、1位になるための戦いであり、相手を殲滅させるほどのものとなった。興味深いのはそれが科学者の間に見られることである。
 
  アメリカが1945年7月16日に、トリニティ実験と呼ばれた原爆実験を史上初めて成功させた裏に、科学者の壮絶な競争があったことが知られている。当時ドイツが核物理学では最先端をいっていたが、幸いヒトラーは他の技術は積極的に開発したのにも拘らず、核物理学者の中にユダヤ人がいたために、核物理はユダヤ的科学だとして取り上げようとしなかったと言われる。核物理学者の多くがアメリカに亡命し、その中にアインシュタインやレオ・シラードがおり、アメリカ政府に原爆開発を進言したとされる。実際に開発担当に指名されたのはロバート・オッペンハイマーであったが、彼は競争心に駆られてこの開発を進んで申し出たとされる。それはドイツとの競争というよりも、物理学者の仲間との競争であり、彼は原爆を開発した人間としての名誉を求めたのである。
 
  考古学の分野でも競争があった。1975年頃からアマチュア考古学者であった藤村新一は日本の旧石器時代の存在を証明すれば一躍有名になれると考えたようだ。25年の長きにわたって各地の発掘現場で旧石器時代と目される石器を発見したと偽り、日本中を興奮のルツボと化した。それが余りにも見事なので「神の手」と呼ばれた。彼が発掘すると必ず学説をひっくり返すような発見があったからである。彼には悪意は余り感じられない。それで儲けようとした形跡もない。ただ人々が興奮するのをみて彼自身が満足を覚え、いつしか彼の手は神の手ではなくなり、魔の手となっていたのである。だが疑問を感じた学者や新聞記者らによって、2000年11月に捏造が暴露された。それも歴史に全く疎い若い新聞記者らによって真実が突き止められたのである。25年もの長きにわたった捏造はいつしか学会で定説となり、高校の教科書にも載ることになった。この捏造事件が与えた影響は計り知れないものであり、日本の学会そのものの名誉を深く傷つけた。
 
  近年では小保方事件がまだ記憶に新しい。学生のころから活発であった小保方晴子は美人さんでもあったために先生からもちやほやされ、大学院の博士論文で盗用を行った。それが通ったことからさらにデータ捏造に及んだようだ。そしてついに「スタップ細胞」を世界で最初に発見したという、大々的な記者会見を本人が行った。だがそれは世界の名だたる研究所で追試されたが再現できなかった。次第に疑問が各所から沸き上がり、メディアも最初の興奮が冷めて疑惑の目で見るようになっていった。そしてついに追い詰められたのであるが、「それでもスタップ細胞はあります!」と開き直った。これは国際的な問題に発展し、恩師はこれを苦に自殺した。当人も自殺するのではないかと思ったが、女はこういうことでは自殺しないと女達は断言した。つまり女は名誉的な問題では不名誉に強いのである。
 
  この3つの学術的分野での競争における不祥事では、誰も犯罪に問われてはいないようだ。筆者ならば社会追放(死刑と同等)に該当する罪を犯したと思うのだが、学問の世界は特殊な世界なのであろう。これは勿論学問の世界よりも、政治・経済、そして時には司法の分野で表れる。日常生活の中でもそれと気づかないだけで、不断の競争が行われている。その究極が兵器開発であり、戦争なのである。人は知能に過大な評価を与え、ノーベル賞を最高の価値ある賞として評価している。確かに科学に携わった者のはしくれとして、筆者もその偉大さには敬服の念を覚える。だがそうして得られた技術が原爆を生み、あらゆる殺戮兵器を生み出したことに、誰も気が付いていないようだ。
 
  もし人間界に競争というものがなかったら、あるいは未来世界で競争というものが悪しき形ではなく、良い形に変わったら、人間界はもっと平穏な世界になることができるかもしれない。ノム思想は悪しき競争を否定するが良き競争は奨励する。悪しき競争にはまず第一に軍拡競争があり、第二に経済競争がある。第三に名誉競争があり、ギネスブックに象徴される一番競争がある。良き競争には社会貢献競争があり、それは人格点という形で評価可能である。未来世界の価値基準は、力>カネ>名誉、の順ではなく、名誉>貢献>能力>カネの順に変わるであろう。そうなれば、本能である競争を否定することなく、健全な社会を形成していくことができるであろう。筆者が二宮尊徳を尊崇するのは、彼がまさに、名誉>貢献>能力>カネの順に価値を置いた「報徳仕法」という立て直しの方法を編み出したからであり、彼はその600にも上ると言われる事業に全精力・全財産をつぎ込み、亡くなったときは財産がなかったという、その生き方に惚れているからである。そして事実、彼が手掛けた復興事業の多くが成功して、子孫に多大な恩恵をもたらした。彼は決して聖人ではない。むしろ泥臭い現実主義者である。だが人を使うのを心得ており、どうしたら人が動くのかということを知っていた。彼は哲人ではなく実践者であった。人がそういう生き方ができることが証明されているのであるから、未来世界の展望にも希望が持てるのである。
 
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