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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2021】

制御思想(1.24・4.20・5.3追記)

2021-01-07
  自然界では諸法則・原理によって制御が行われている。それは物理的なエネルギーの物質変換やその逆であったり、元素変換であったり、化学反応や生物進化であったりしている。だが人間が「制御」という言葉を使うときは、多くの場合人為的制御のことを指す。これはあるシステムにおいて、こうなるように、という意図のもとに、設計上の仕組みを施すことによって行われる。そのシステムは機械だけに限らず、今やプログラムによるシーケンス制御、AIによる判断制御、政治における議会による政策制御に及んでおり、全てが制御プログラムの下に目標に沿う状況を作り出そうとしている。近日中に出される日本におけるコロナ対策のための緊急事態宣言も、制御下にない状況を制御するための方策の一環とみることができる。

  こうしたことから、制御という人為的な手法は1つの思想としてまとめ上げることができるのではないかという考えが浮かんだ。今朝、顔を洗っている時に思いついたアイデアである。なんとかその試論をしてみたいと思い、まだ詳細な検討をしてはいないが、とっかかりを作るために試論という形で本項を書くことにした。

  制御」という言葉はシステム論でよく使われるものだと思われる。だがその意味するところはあらゆる自然現象・人為現象に使われていると考えることもできる。多くの場合、恒常性を保つための制御が多い。たとえば人の場合だと、自分の感情の起伏を制御するということを行っており、生体システムも恒常性を保つための制御、敵に対抗するための攻撃性を高めるための制御がホルモンや神経伝達物質(メッセンジャー物質)などにより行われている。2021年のノーベル賞を得た研究では、人の細胞の持つイオンチャネルが熱や痛み、圧力(触覚)を感知に関与していることが発見され、これによって人体は制御が必要な熱・痛みの限界を知って制御しようとしていることが分かった。また人は健康を維持するために薬剤を用いて恒常性を保とうとしている。これもまた人為的な制御である。国家だと、国内の治安のための犯罪者の制御、国民の制御などが行われ、政治においては内閣内の制御・議会制御が行われ、地方自治体の制御も行われる。

  ある時孫が、筆者が躾けた道路に出る前に「ストップ・右・左・オーケー」という動作を自分から行うことができたとき、これは躾という行動制御教育の効果なのかもしれないと考えた。もしこの躾を受けていない子がいるとすれば、それは飛び出しによる交通事故被災の可能性を高めるだろう。危険から身を避ける行動というものは経験から得られるものも多いが、人間の場合躾・学校教育・社会教育の中で教わることが多いことは確かである。その意味で行動制御教育もまた制御の考え方を当てはめることができるだろう。

  人が健康を維持するために薬剤を用いる場合、それが自主的(市販薬による)なものだけではない。医者に掛って薬剤を処方してもらう場合もある。それを服用するのは半ば義務のようになっている。精神疾患を抱えている患者の場合も同様であろう。だが犯罪者に対し、司法が薬剤を用いて精神的にも肉体的にも健康な状態に持っていこうという試みは現在許されていない。おかしな矛盾がここにある。たとえば将来性欲を抑制する薬剤が開発された場合、司法が犯罪者に対してその服用を義務付けることはできると思われるし、そうしなければならないだろう。それは悪しき行動の制御に繋がるからである。服役させただけでは性欲の抑制は不可能であるばかりでなく、反って増長させてしまう危険性の方が大きい。法の理念がこの科学的に合理的な手法を阻止していることは間違いのないことである。現代法における人権の概念を変えない限り、社会制御・個人制御のさまざまな有用な手法は日の目をみることはできない

  本項で特に問題としたいのは、中国のような強権的権威主義に基づく国家が行う国民制御の手法である。それは現在のところ非常にうまく機能しているように思える。またそれは香港における反体制派の鎮圧の成功に見ることができる(筆者はこれを嘆かわしいことだと考えてはいるが、その手法の効用については評価している)。最適な事例が武漢市のコロナ対策のための封鎖に見られる。筆者には無謀な対策だと思えたが、全体主義の優位性を生かした絶妙な制御は完璧とは言えなかったかもしれないが、餓死者を出さず、暴動も起きなかった。特に重要なのは、この都市封鎖によって武漢でのコロナ感染がほぼ食い止められ、市民が生活を取り戻し、産業が回復したことである。そのことを市民が誇りに思っているということも含めて、これは感染病の歴史において画期的成功例であると言えよう。

  感染症対策として、①家庭封鎖・②地域封鎖・③都市封鎖・④国家封鎖の段階があるが、中国は一気に③の段階からスタートした。その数ヵ月の間、武漢市民の生活インフラはなんとか保てたようであり、食料は境界に運ばれた宅配システムでなんとかなったようである。これは奇跡的なことであり、情報が不足して実態は分からないが、現在の繁栄振りを見ればそれが成功であったことを物語っているであろう(20.4.8「中国が武漢開放・壮大な実験が始まった 」参照)。だが民主主義国では強権を発動することは極めて難しく、国民がこぞってウイルス対策に協力してくれれば良いのだが、自由主義という弊害があるために統一的行動を取ることは政権の存続を賭けることになる(20.7.16「自由主義と民主主義の破綻 」参照)多くの国家がコロナ禍の蔓延に従って段階的に対策を取ったために失敗の憂き目を見ている

  これが生体制御の場合はどうであろうか。たとえばウイルスに感染した場合、身体はこれを撃退するためにあらゆる免疫を働かせるが、ウイルスの弱点である熱をわざわざ作り出して(つまり発熱)、抵抗する。身体にとってもかなり苦痛を強いることになるが、ウイルスに抗するにはこれが効果的であることを動物は長い歴史の中で学んできた。そしてウイルスとの闘いに勝ったときには発熱は収まり、快癒していくことになる。人間も本来同じようにウイルスに抵抗しなければならない。個々の人にとっては苦痛や生存が脅かされる事態もあるだろうが、人類全体を守るには多少の犠牲は最初から覚悟しなければならない。また人間の智恵として都市封鎖という手段もやむを得ないであろう。それに従わない人間は犯罪者であり、遠慮なく隔離(拘束)すべきである。中国はそれが出来る全体主義の国であり、だからこそ優位性を発揮できたのである(20.4.9「全体主義の優位性 」参照)

  レバノンが2020年8月4日の大爆発事故を機に、一気に食糧難に陥ったことが報じられている。元々タリバンが放漫な政治駆け引きに熱中していたことでその前の3月7日にはデフォルトを引き起こしており、通貨レバノンポンド(LBP)は天井知らずのハイパーインフレを起こしていた。食料品は棚に山ほど並んでいるが、国民の半数はこれを買えない状況にある。食べ物を目の前にして餓死するような状況にある。当然内戦状態に陥ることになる。メリーランド大学のサファ・モーテは環境要因(気象・地下水)と社会要因(人口・経済)を統合したシミュレーションを行い、資源の偏りを放置した社会は確実に崩壊することを証明した。人間が天然資源を利用して富を築いていくと、資源もそれに応じて減少する。富が最大に達した頃から一般の人々の人口が急激に増え始める。富は資源を回復させるためには使われない(経済効率最大原理)。富は富を新たに生み出すための技術開発に向けられる。これは資源の急速な減少と枯渇をもたらす。富が減少し始め、枯渇寸前に至って人口減少が起こり始める。だが富者はこの危機に気付かぬまま成長を続けようとし、遅れて富者人口も減少し始める。最後には資源枯渇・人口最小化をもたらすというのである。まさに現代にそのまま当てはまると思われるが、シリア内戦・レバノン崩壊などにもこのメカニズムが当てはまるという。現代は富者の極大化直前の状況にあるという。サファは「私たちの生活、人類の運命、そして地球の運命は、資源の偏りを理解し、コントロール(制御)することに掛っている」と強調している。だが彼もまた、どうやってその制御をしたらいいのかという解答をもたらしてはくれない。

  人間界全体を制御するという思想はこれまでに無かった思想であるが、社会を全体主義にすることが最善であることを図らずも今回のコロナ禍は教えてくれたシステムに恒常性をもたらすには、命令系統が1つであること、各組織が自律的に相互協調すること、の2点が重要である。もし世界がコロナ禍の発生を知った時に、同時に中国と同様の封鎖措置を取っていたら、現在ほどにはひどい状況にならなかったのではないだろうか。特にヨーロッパは各国まちまちの対応を取ったために、あっというまにパンデミック状況になった。アメリカはコロナ禍を甘く観たために、自業自得に陥った。だがそれだけでは東洋における感染者の少なさは説明できない。他にも何か理由があるはずである。台湾は現在のところ最も優れた防疫体制を取っている。世界は台湾に学ぶべきであろう。

  結論を導きたい。自然界全体ではある種の制御が法則・原理でおこなわれているが、人間界では制御が重要な要になっている。そこでこれを人間界の法則なり原理として捉えることができると考える。そうした考えを思想として纏めようというのが「制御思想」というものである。人間世界をシステムだと考えるならば、各国がばらばらな思想・体制によってばらばらな行動をしていては戦争が起こるのは当たり前であるし、ウイルスに対しては最も脆弱性を露呈してしまうことになるだろう。世界を1つにまとめ、司令塔を連邦だけに絞り、各国がそれぞれの地域性を生かして協力し合うシステムを作れば、世界の制御は最も効率的で容易なものになるであろう(20.7.29「事象の進化と統合化・統一化 」参照)。筆者はこの考え方に沿って誰でも受け入れられる思想としてノム思想を掲げた(20.9.7「ノム思想(ノアイズム)とは何か? 」参照)。これを世界に徹底することで連邦を作り、司令塔を1つにすることができれば、各国間の紛争や戦争が無くなり、ウイルスの攻撃に対しても最適な対応が取れると考える。すなわちノム思想はある意味で世界制御思想なのである。


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