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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2022】

未来世界の性欲処理施設(8.4追記)

2022-08-03
  本項は1月27日に既に起稿して半分ほど仕上げていたものであったが、8月1日に飛び込んできた衝撃的事件のニュースがあったので、繰り上げて掲載することにした(《国際》22.7.29)。この事件は7月29日に南アフリカで起きたものであるが、20人ほどの暴漢が音楽ビデオ撮影(ポルノビデオ撮影だったのかもしれない)現場に乗り込み、銃で脅して女性8人を強姦したという。うち1人は10人の男にレイプされ、もう1人は8人にレイプされたという。警察は外国人容疑者(鉱山採掘員とみられている)20人のうち8人を逮捕したとしている。プーチン戦争でもロシア兵によるウクライナ人婦女子の強姦事件の報道が後を絶たない。こうした人間本能から生ずる悲劇を食い止めるには、本能の存在を素直に認め、それを善導するように社会は努めなければならないだろう(20.11.9「強姦(レイプ)の状況論」)。以下の提案は以前から抱いていたものであるが、これを機に発表したい。

  未来世界では人間の本能を制御しながら満足させようと努力する。たとえば、①名誉心(知的本能)・②独立心(生存本能)・③ストレス発散衝動(破壊本能とも呼ばれ、生存本能・生殖本能が元になっている)・④競争本能(生存本能)・⑤良品志向本能(生存本能からくる競争本能)・⑥好奇本能(知的本能)・⑦上位志向本能(生存本能)・⑧性欲本能(生殖本能+知的本能)・⑨金欲本能(生存本能からくる競争本能)・⑩贅沢本能(生存本能からくる競争本能)・⑪権力本能(生存本能) 、などがあり、これらの多くが倫理・道徳という一般規範で制御下に置かれている。本項ではこの中で、性欲本能に着目し、これを如何にして制御していくかを論じてみたい。そして結論を先に言えば、現代では非常識とされる性欲処理施設なるものを提案してみたい(20.10.24「人間の性の問題に切り込む」)

  性欲というものは男女で大きな差があることは常識であるが、現代では男女平等思想から法的に同じ扱いを受けており、それは日本でも「男女平等参画」という政策に表れている。現実に差があるものをイデオロギーによって無理矢理同じに扱おうとするところから、さまざまな歪が生じており、それがメディアでもゴシップとして持て囃されている(20.8.21「政府高官や有名人の性的不祥事 」・21.3.24「西欧の性的腐敗の原因はネットの自由性にある 」)。現代では性的不祥事は主として女性の方から法的に訴えられ、それは弱者保護の措置として社会から認められているが、元々の原因を科学的に追究せずに法的に平等に扱おうとするところから無理が生じているのであり、性犯罪は決して無くならないだろう。その証拠に性犯罪の加害者はほとんどが男性である。

  男の性は自然界を見れば分かるように、遺伝子拡散が目的であり、相手を選ばずに子孫を多く残そうとする性質がある。一方の女の性は、これもまた自然界を見れば分かるように、オスの選択によってより良い子孫を残そうとする本能に基づいており、付随して女にも性欲があるが、それは男の性欲の表れ方とはまるで異なるものとなっている。ノムは男のそのような性欲を「先発性欲」と称しており、主として精液圧が要因であると考える。すなわち精嚢に精液が溜まってくると、性衝動なり性欲処理願望が生じる。女は「後発性欲」を特徴としており、男の誘いや性的情報刺激によって性欲が生じるのを基本としている。だが純粋にホルモン的作用によって、男の誘いが無くても性欲を生じることは現代では普通の理解となっている。

  ここで昔の状況と現代の状況の違いから、男と女の性の態様の違いを考察してみたい。昔の日本では大家族制であり、それゆえプライベートな空間というものが無かった。男は精通を迎えると、仲間からその処理の仕方(自慰)を習い、時には村の長が主導して、ボランティアの寡婦が青年の性指導に当たったということもあったという。女にはそうした指導はなく、ひたすら清純を求めた。女はそうした社会風潮に自然に馴染み、性的なことを話すことすら恥じて、たとえ身体にうずきが生じても、それを解消する術をほとんど持たなかった。万が一、男の誘いに乗じて子を身ごもったとなると、村八分にされるほどに社会的制裁を受けた。男の方はそうした制裁を受けることはほとんどなく、逆に自慢の種にもなっていたのだろう。男の精力絶倫は称賛や注目の的であった。古くからある神社などには男根・女陰を祀るところもあった。つまり昔ほど人間は野性や自然に近い状況にあったと言えるだろう。

  だが現代になって男女平等思想が普及してくるにつれ、また女性が社会に出て働くようになるにつれ、男女の接近の機会が増えたことにより、男女の性的関係はプライベートなこととして容認されるようになった。女の性も解放されてきたが、男が主導的役割を務めることにはそれほど変わりはない。つまり男が誘い、女が選択すると言う構図は余り変わっているとは思えない。だが売春が女の最初の職業であったと言われるように、女が男を誘惑するということも古今東西同じであり、その場合の女の行動は性欲から生じているというよりも、生きるための戦略として媚びを身に付けていると言えよう(20.12.25「性的魅力を売るのはごく自然」)

  こうした性を巡る人間の男女の違いは、近年流行りの性的少数者とされる「LGBT」(この用語は近年もっと拡大されている)と略される集団の権利主張によって余計に複雑化している。事実生物学的に見ても染色体はXとYだけではなく、また過剰に存在したり喪失している場合もあるということから、男女の区別の境は明確とは言えないというのが現代生物学の常識であるらしい。その境界にはグラデーションがあり、明確に分けることは難しいことは確かである。昔から日本では春画(浮世絵)にも半陰陽が描かれていた。だが割合からすれば、こうしたLGBTに属する人は人口のおよそ5~15%程度とされ、近代以前ではもっと少なかった(昔は心理的なものが少なかった)。それは性別が社会によってくっきり分けられていたからであり、心理的なものは無視されてきたからである。だが本項ではこの問題を避けるわけではないが、性がどのような状態であれ、人間の性的欲望というものは既に生殖の域を超えてコミュニケーション手段と化していることから考えて、人間が体の接触を通じて相互にコミュニケーションを図ろうとすることを重視したい(ボディーコミュニケーション)。

  問題は、動物としての、或いは生物としての生殖の本能を持つ人間だけが、社会規範によって性的行動が抑制されていることにある。他の金銭欲や名誉欲などは禁止も抑制もされておらず、その理由はこれらが生存本能と知的本能が融合したものであることにある。生殖本能だけが社会的抑制の対象になったのは、それなりに理由がある。古代から男女の無分別な行動は社会的掟(現代では法律)によって抑制されてきたが、それは人口過剰による不幸(貧困や餓死)を避けるためでもあった。また男女関係がもたらす強烈な感情は恨み・嫉妬というものを生じやすいからでもあった。だがホモサピエンスが誕生した当初から、人間は性欲を発情させる特別な時期というものを持たなくなった。それは性が生殖から分離してコミュニケーション手段として用いられるようになったからである。また知的本能から生じた羞恥心などにより、人間だけは性行為を人目を避けて夜間に主に行うようになった。そこが他の動物と明確に異なる点である。

  ここで生殖から観たオス(男)の交尾(動物)と性交(人間)の確率差を見ておこう。動物の種類によって寿命や生殖行動期間(発情期)が異なるが、オスとメスの生涯交尾回数は恐らく数回程度であろう。動物にも自慰行動や同性愛行動があることが知られており、ノムは飼い犬のオスにマウンティングされたことがある。多分その時は射精を伴ったものであった。それに比べて人間は、仮に70歳まで生きたとすれば、15歳で精通したとすれば、生涯平均で週に一度の射精をしたとすれば、2000~3000回ほどの射精をした計算になる。だがそのうち生殖に関わった射精は数回程度しかない。あとは自慰による射精かパートナーとの性交によるものであり、独身男性は圧倒的に自慰によると思われる。パートナーとの性交の回数は夫婦関係があったとしても全数のうち5割程度と推測される。

  このことから分かるように動物と人間の性の態様はまるで異なる。それは人間の場合には単なる生殖行動ではなく、むしろ性欲処理行動であることが分かるであろう。それが相手を伴う場合に、同性愛になることもあれば、異性愛になることもあるということである。未来世界におけるセックスパートナーは現代における夫婦関係に取って代わるものとなるだろう。それが男女関係であるとは限らない。だがそうした社会規範の崩壊は、人間の活力の停滞や衰退をもたらすとノムは予感する。事実人間は1950~2000年にかけて最高度の繁栄を誇ったが、今や衰退期に入り、その葛藤が社会のあらゆる面に表れており、核兵器による絶滅か、CO2による窒息死か、灼熱地獄による熱中症死か、いずれかで急激に衰退するであろう(20.11.23「地球温暖化と動物窒息死の問題」・6.30「人類史から観た第三次世界大戦の必然性」・7.26「「異常気象」報道の欺瞞」)社会規範を維持しながら、性欲を如何に満足させられるかが、未来世界にとって大きな課題となっている。

  それにしてもフリーセックスが一時話題になったこともある現代で、男女関係から生じるゴシップにメディアが飛びついて売り上げを伸ばそうとしている様は異様である(21.5.18「メディアは利益優先に毒されている」)。もっと社会は性的行動に対して寛容になるか、あるいは社会的なケアを施すかを選択しなければならない時代に来たと言えよう。ニューヨークの目抜き通りには、男性のための自慰ボックスが設置されたという(その後の経緯については知らない)(20.10.24「人間の性の問題に切り込む」)。発作的に性欲に襲われるという異常事態が、現代西欧社会には蔓延しているのかもしれない。某国では病的に性欲が突発的に生じる女性に対して、職場が自慰のための時間を認めたというニュースもあった。そうしたニーズが潜在的にあるとするならば、社会がこれに対して公的に性欲を解消する施設を設けるというのは飛躍した話ではない。古代から売春婦はいたし、売春宿や花街というものもあった。それらがまだ一部には残っているにしても、西洋のキリスト教的禁欲思想がこれらを廃頽的だとして禁止したことが、全ての災いの元となっている。

  性欲本能というものの存在を素直に認め、それに対して寛容でありながらも秩序を保つというのは至難なことかもしれない。だが昔はそれは普通のこととして受け入れられていた。現代においても花街の復活は当然なされなければならないものであると考える。だが性病の蔓延というリスクがあるため、むしろ公的にこの性欲処理を専門とする施設を病院が存在するのと同様に設け、衛生的かつ人的関係無しに性欲処理が出来るようにすべきである。つまり男も女も同性愛者も、同じ人間としてこの施設で様々な用具や薬物・刺激によって性的に満足することができれば、冒頭に述べたような悲惨な強姦という行為は少なくとも大幅に減るであろう。そのためには、施設利用年齢制限や、施設情報の秘匿性と使用者情報の保護など、解決しておかなければならない課題は山ほどある。だがその多くについてノムには試案があり、大部分は未来社会のシステムの中で解決され得ると考えている。なおノムはそうした施設のことを「セリシェル:Sex Life Shelter」と呼んでいる。本項ではその詳細に入ることはできないが、機会があればまた別項でその具体的手法について述べていきたい。


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