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【時事評論2021】

メディアは利益優先に毒されている

2021-05-18
  世には「良貨は悪貨を駆逐する」という諺があるが、残念ながらメディアの世界ではそうはなっていないようだ。ノムは毎日、主としてインフォシークニュースの《国際》部門からニュースを引用しているが、そのコマーシャル戦略は読者を愚弄しており、人間心理を逆手に取ってコマーシャルを先に読ませようとする手法に明け暮れている。ニュースのタイトルも愚劣であり、「レオ様が・・」というタイトルの意味が分からなかったのでクリックしたら、レオナルド・デカプリオという有名俳優のことだった。そんなことも知らないのかと怒られそうであるが、新聞の芸能関係には全く興味がないので、本や雑誌も読まないために世間常識からズレていることは確かであるが、ノムにとっては「なぜたかが俳優を王様扱いするのか? それは人間の尊厳に対する誤った認識を国民に植え込んでしまう悪い洗脳だ」という良識から違和感を覚えるのである。目を引かせるためだけのものであるとしたら、なおさらメディアの良識を疑わざるを得ない(20.7.19「メディア不信が募る 」参照)

  インフォシークは以前から、ニュースタイトルをクリックすると全文だけが瞬間的に表示されるが、すぐにコマーシャルが入った形に表示が変更される。このためわずかではあるが数秒ほど待たなければならない。さらに最近は全文表示のボタンをクリックすると最下段に半透明のコマーシャルが表示されるようになり、中央にも出ることがある。これらを「×」で消さないと記事が読めない。コマーシャルを見たくないノムは毎回4~5回のクリック操作をしないと全文が読めないのである。全文表示のために読み込むスピードが遅くなるとは思えないが、せめて全文表示するかどうかだけの選択にしてほしい。なぜインフォシークがこのような読者にとって不利益な方法を採っているかというと、当然のことだがスポンサーから広告料を取っているからであり、それならば最初から広告入りの画面構成にして表示させればよいはずだが、そうした技術開発は敢えてしないのであろう。

  「レオ様」に象徴されるように、メディアは若者に媚び、正確で良識的な記事を提供しようという意志を持っていないようである。それはニュースサイトがスポンサーによって成り立っているからなのであろうか? ノムは検索にグーグルを使うが、それはグーグルのトップ検索ページに一切の広告が無かったからである。もし日本のサイトで広告なしのトップページを作ったら、それは大当たりするに違いない。広告は記事を表示する際に同時に表示させればよいことである。「シンプル・イズ・ベスト」という言葉が流行ったことがあるが、現代はシンプルさを求めている。消費者が最も判り易い形で情報を提供することが、メディアには求められていると考える。

  インフォシークが良いところは、メディア各社の記事がランダムに並べられているところにある。たとえばサンケイ関連のニュースを検索したら、その社以外の情報にはアクセスできない。各種情報を集める立場からすると、検索する手間を省いてくれているインフォシークは実に便利である。だがこのサイトを立ち上げたのは日本の某実業家であることをニュースで知った。それは良くない評判の記事であったことから調べてみたが、実に素晴らしい才能を持っている人物らしい。いくつもの会社や事業を立ち上げている。インフォシークのようなランダム情報サイトはニーズにピッタリであったことで、かなり人気であるようだ。だが結局はスポンサー側の都合を優先し、広告料目当ての構成になり果ててしまったことは極めて残念である。それもこれも、現代が経済競争下にあるが故のことであり、もし競争が無かったら、真に国民のための良識を持つメディアが誕生するのかもしれない(20.9.16「競争はいつ芽生え、何をもたらしたか? 」・20.12.4「メディアの収入構造が明らかに」参照)

  そこでノムは、広告のために読者がどれだけの損失を被っているかを計算したくなった。たとえば、読者が1日に20回ほどインターネットにアクセスしたとして、その全てが広告入りサイトであったとすると、1回のアクセスに2秒掛かったとすると、40秒の時間ロスが生じていることになる。時給3000円のサラリーマンの場合、約33円のロスになる。国民の6割がインターネットを使用するとして、損失は1日に24億万円に相当すると試算された。計算は3度程試したが、間違っていたらお詫びし、訂正する。予想以上の損失をメディアは国民に与えていることが分かった(20.8.3「官公庁・メディアは国民目線でモノを考えるべき 」参照)

  つまりこれは、メディア各社の競争において、広告料収入を優先するのか、購読数や視聴率を優先するのかという問題に行きつくのであろう。前者を優先すればユーザーから飽きられることは間違いないが、後者を優先した場合、果たして会社はやっていけなくなるのであろうか? 筆者はそうは思えない。メディアは強欲になって、余分の利益を求めすぎているのではないかと思う。良質で便利な情報を提供し続けていれば、少なくとも10年位は掛るかもしれないが、そのメディアの信用は確実に高まるであろう。それによってユーザーも増えて好循環が生まれるだろう。

  未来世界ではこの好循環を社会システムの中に組み込むために、評価システムと人格点制度(この場合「社格」)を用いて即時に好循環が生まれるようにする(20.8.30「未来世界における人格点制度 」・3.16「評価主義の効用 」参照)。最も強力な武器は、真社会主義であるため、メディアに社格表示を義務付けることができることであろう。そうすれば読者は格の高いメディアを選択するようになる。広告を増やしたり、その広告内容が下品であったりすればメディアの社格は落ち、購読者や視聴率は下がることになるだろう。なにもそこまでやらなくてもと思うならば、ノムネット上に全てのメディアの社格ランキングや良識度ランキングを掲載して誰でも見れるようにすれば良い。そうすればメディアは、真の意味での社会の公器としての自覚の下に、国家と読者のためになる情報を提供しようと一生懸命に励むようになるであろう。




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