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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2021】

病気と介護

2021-05-22
  産経新聞のウィークデイの第一面に載る『朝晴れエッセー』は感動的な庶民の実話が載るので楽しみにしている。今朝(5.22)のテーマは「薬に期待」というもので、難病に罹っている69歳の女性の投稿であった。10年前に発症したデュシェンヌ型筋ジストロフィーという病気で、治療法がないため毎日不安に怯えながらも明るく暮らしているという。まだ自分の用は自分でできる段階だが、治験に応じたりして、新薬が登場することを心待ちにしている。このような絶望的な人ほど生きることへの渇望は非常に大きい。ノムはいつ死んでも良い、というか早く死にたいと願っているが、それは単なる考え方だけであり、自分も同じような境遇になれば、生を渇望するようになるのかもしれない(5.11「死の哲学の科学的根拠 」参照)。そんなことを思い巡らしながら、本テーマを考えた。だがこれは極めて難題な問題であり、取り組む自信に初めて揺らぎを覚えた。

  人間が死ぬ運命にあることは、聖書にある「知を知る木の実を食べた報いとして死が与えられた」という逸話に依るまでもなく、多細胞生物が誕生した頃からの宿命である。だが人間にある生命としての本能である生存本能がある限り、それを知的本能をもたらす大脳が制御して、死を受け入れる、或いは大義のために自ら死を志すという人は極めて少ない。だが筆者を含めてそういう人がいることも確かであり、それは大脳の高度な働きと言えるであろう。一般の庶民は生きることに精一杯であり、大脳を十分に働かせているとは言い難く、むしろ動物的に生きていると言っても過言ではない。そうした人達にも現代は一人一票という投票の権利を与え、ポピュリズムを作り出している。そうした世の中ではは忌むべき存在となり、医療が高度化してどれだけ費用が掛かっても、それを求める庶民の願いは正当化され、そこに政府の政策との矛盾が生じる(20.2.27「高額医療は国家を破綻させる」参照)。多くの場合、全ての人に最高の医療が届けられないことは現実として受け入れられているが、時に訴訟が起きたりする。憲法が「生存権=人として正当な生きる権利」という曖昧な権利を認めているからである(20.11.27「権威主義・権利主義からの脱却・法律主義から道理主義へ」参照)

  動物の世界にはこうした矛盾はない適者生存の原理があるからであり、弱肉強食の原理が働くからである。人間が最強の動物として他の多くの動物を犠牲にしているのも、上記原理的には矛盾はない(動物愛護の観点や自然主義からは矛盾がある)(20.11.13「動物との共助 」参照)。どの動物もこれに異議を唱えることなく、運命に従っている。では人間だけが特権として、これらの運命から逃れる権利が与えられていると考えるべきなのであろうか。そうは思えない。もしそれを認めれば、死から逃れる権利を主張することもできることになるだろう。あと数十年もすれば、人類が待ち焦がれた不老不死の技術が誕生するかもしれない。そういう時代が来た時には、人間世界の支配者や政府はこれを拒否する合理的な説明が出来なくなる(20.2.27「高額医療は国家を破綻させる」参照)。これらの問題については既にある程度論じているので、本項では介護の問題に絞って考えてみたい(20.4.27「人間の死生観と死の哲学 」参照)

  最大の問題は、昔だったらとうに死んでいるであろう重病人が、現代の医療技術で「生きる屍(しかばね)」となっても死ねない現状があること、新薬や新医療技術の発達で超高額医療が続々登場していることである。テレビは「オーダーメード医療」の時代が来たと喧伝しているが、そのあと先を考えない幼稚さと無邪気さには節操も思想も欠如している。そして昔だったら家族が看護していたものが、現代では病院がそのほとんどを引き受けるようになり、それが医療崩壊という限界に達するようになって初めて、家族介護が叫ばれるようになった。つまり最初から現代医療にあった矛盾を考慮せず放置してきた結果、その矛盾が噴き出した形になった。たとえば長期介護が必要な要介護者や難病者であっても入院期間に制限があるようであるし、コロナ禍の重症者の高度医療施設が足りなくなって、自宅で孤独に死ぬケースも出てきている。本来、そのような権利というものを認めず、人間界が可能な範囲で最善を尽くすというように決めておけば、これらは矛盾とはならなかったのである(20.3.22「西洋の合理性の矛盾 」参照)

  これらの矛盾は生命に対する考え方の最初に矛盾のある現代イデオロギー(人間生命至上主義・生命尊重主義)を取り入れたからであり、昔からある「運命論」を取り入れていれば、こうした矛盾は回避できたはずである(20.11.7「運命論」参照)。人間生命至上主義というものは、人間の生命をなにものよりも価値が大きいと考える考え方であり、その考え方は明治の多くの人々が愛読した『西国立志編』(中村正直著)の序文にあり、敗戦直後の新憲法のもとで死刑の是非が争点となった最高裁判決の冒頭部分に、「生命は尊貴である 一人の生命は、全地球よりも重い」と書かれた。それを利用したのか、日本の福田武夫首相(在任2007ー2008年)がダッカ日航機ハイジャック事件で超法規的措置を取る理由として「人の命は地球より重い」と言った言葉を使ったことに表れている。これによって「いのち」を理由にすれば誰も反対できないという悪しき思考が生まれた

  病気の場合はさまざまなケースがあり、一時的な病気ですら感染症の場合に病院が満床になれば治療崩壊が起こり得る。まして少子高齢化が進み、1人を2人が支えるような時代が来たとすれば、人口の1/4が要介護という状況が生まれないともかぎらない。そのような事態でも説明可能な論理を持たなければならないはずであるが、人間は愚かな存在であり、その場しのぎの論理しか編み出してこなかった。それが日本の場合は、敗戦という屈辱により西欧から導入した人権主義だったのである。日本には古来より運命論があり、織田信長は謀反に遭って「是非に及ばず」とつぶやいたと伝わる。関東大震災で東京が壊滅的打撃を受けたとき渋沢栄一と大倉喜八郎が計画し、フランク・ロイド・ライトが設計し、遠藤新が完成させた帝国ホテルは残ったが、なんとその日は開館記念祭の数分前であった。誰もが「仕方ない」とつぶやいていたと後にライトは回想録に記している。彼が米国人として驚いたのは、日本人の潔さであったようだ。日本人はその運命観を持つため、災害に遭っても粛々と復興に取り組んできた。

  生命も同じである。個人は死んでも子孫は残る。そうした営々とした営みを生命は繰り返してきた。それはごく自然なことであり、自然の叡智である。人間がこの叡智に逆らって、個人のいのちを無限に引き延ばそうとするのは悪である。どのような事情があろうと、どのような悲惨な状況であろうと、死は受容するものであって、撥ねつけられないものなのである。そうであれば、何時・何処で・どうやって、死ぬべきかを考えるべきであろう。自分が死を悟ったとき・自宅で・安楽死によって死ぬのが最高の死に方であろうと、ノムは未来を見据えて想像する(20.12.2「自然の叡智と人間の叡智」参照)。誰も苦しんで死ぬのを望む人はいない。だが大義のためにそれをも拒まずに死んでいった人もいる(殉死者・殉教者・一般兵士)。そうした人間として最高の知性を発揮した人達を、現代は蔑んでおり、逆に生に固執して見苦しい闘いを続けている

  介護される側になった時、人は他者に迷惑を掛けていることを自覚すべきである。そして一刻も早く天命を全うできるよう祈るべきであろう。未来世界ではそうした状況になったとき、安楽死が用意されている(20.11.8「安楽死をどう考えるか」参照)。誰もが自分の意思でそれを願い、申し出ることで審査され、その許可が下りたならば、個人の希望する日に家族に見守られながら自宅で安楽死を迎えることができる。それは人類史において、最高度に人間の叡智が発揮されることになる。悲惨さは極小化され、苦しみからも逃れることができることになるからである。

  介護する立場に立たされた家族は、祖先から受け継がれてきた命の大切さを思い、その介護の運命を受け入れるべきであり、病院などに任せるのは最後の手段とすべきである。病気の場合は病院に任せるしか手は無いが、それでも足しげく通って介護の手助けをすることで、家族の絆を確認する最後の仕事だと考えるべきである。病院の側も責任論よりもまず家族のこうした患者との交流を最重視すべきであり、家族介護を可能な限り受け入れるべきである。こうした考え方に立てば、どんな戦争下や感染症蔓延下であっても、誰もが運命を受け入れる覚悟が出来ているであろう。そこには感動的な場面は数多くあっても、敵対的な感情はない。病院に対する不満も、社会に対する不満もないであろう。全てが運命と諦められるからである。

  人の生涯において、病気と介護は負の側面であるが、人は知恵を持つことから、その負の面を解釈により正の面に切り替えることができる。それはその人の心がけの問題である。たとえば嫌な仕事を与えられた時、それを試練であり自分への試みであると理解すれば、それを一生懸命やることで、自分自身への勲章とすることができるだろう。そして一生懸命やった結果が善いものであったならば、自分の自信や矜持の確証に繋がるだろう。西欧的な言い方をすれば、「ポジティブに生きる」ということになる。人生はこうした生き方をしている限り、波はあってもほとんど失敗することはない。病気も介護もそれをポジティブに解釈し、自分への試みだと理解すれば一生懸命に取り組むことができる。筆者が別々ではあるがある2つの病気に罹って2度以上手術をしなければならないという立場になったとき、当時はネットというものが無かったので調べようがなく、2度神田の古本屋に行って分厚い専門医学書を買ってきて勉強した。そうした上で、あとは運を天に任せて手術台の上に乗った。不安というものは全く無かったと記憶している。目が覚めたら病室のベッドなのか、天国(?)なのかという楽しみすらあったような気がする。残念ながら病室で目覚めた。30歳代の頃の話である。手術が失敗したら、と考えたこともないが、失敗したらそれが運命、と考えていた。お気楽な話である。「家族が遺されたら」と考えることもしない。それは運を天に任せているからである。

  その手術の1つでは後遺症として涙が出なくなった。手術した日の晩だったか、痛みで眠れないので夜中にテレビを付けて見ていた。感動的な場面で泣いたのだが涙が出ないという不思議な体験をした。1年ほどして神経が繋がり、涙も出るようになった。そうした経験も筆者は面白がったりはしたが、悲観的には考えなかった。何事も先に対して悲観的に考えず、楽観的にかつ楽しむことが重要な心得である。

  ある時1億5千万円の借金をして、それが返せないかもしれないという事態になった。その時にはさすがに顔から血の気が引くという経験をした。だがすぐに気を取り直し、家内の助けもあって無事に事が処理できた。人間であるから気落ちしたり、挫折することもある。だがそれを長引かせず、直ちに気を取り直して前に進むべきである。鬱病の人はそれが出来ず、負のスパイラルに落ち込んでしまっている。多くの場合、気の持ちようでこれは回復可能であると考える。「病は気から」というのが筆者の信条であり、医者には掛からないことを心掛けており、何でも自分で治そうと努力する。それも楽しみながら。つまりこうしたらどうなるだろう、という実験を繰り返すのである。結果が良くても悪くても、そこに納得があれば実験は成功したことになり、それなりの喜びがある。病気でも介護でも、毎日の生活に工夫をすることで、この実験を楽しむことができるだろう。

  筆者はこれまで5回ほどの手術、1回の骨折などを経験しており、命に係わる転落事故も2回経験している。だが、幸い命を長らえてきた。現在はほとんど医者に掛かることもなく、至って健康である。両親は実・養・義理を含めて6人いたが、いずれも病院で亡くなったため最後の看取りが出来なかった。ただ養母から死の直前に病院で遺言を聞くことができたのが唯一の慰めである。義理の父には病室で入れ歯を掃除して上げたことが唯一の介護であった。現代は自宅介護ができない状況の方が圧倒的に多いと思われる。病院では老衰で心臓の止まった養母に対してむごたらしい死の確認の措置(心臓電気ショック) が行われた。こうした経験から、筆者は絶対に病院では死にたくない。だが近い将来、日本の病院でも安楽死が可能になるかもしれないし、自宅で医師の立ち合いの下で家族に見守られながら安楽死ができる時代が来るかもしれない。筆者は生きることを延ばすよりも、そうした方法で、自分が死期を迎えたと悟ったときに、死ぬことを早めることを真剣に考えている


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