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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2020】

運命論(21.3.6追記)

2020-11-07
  事象というものが状況論的に進行していくことは以前に述べた(10.25「人は状況に左右される(状況理論)」参照)。人間はその起こるべき状況を自分に有利なように変えようとする意志と能力を持っており、人間の歴史だけでなく、地球の歴史もまたそのように動かしてきた。だが時として人間はその意思に沿わない自然災害などに苦しめられてきた。それを苦しみと受け止めるのは人間だけであって、動物は過去を問わない。人間は思惟を持つため過去についても評価したくなるのである。昔は過去については「運命だった」と振り返ったが、現代では過去のことに責任を求めるようになった。これを筆者は「責任遡及論」と呼び、現代の顕著なイデオロギーの1つだと考えている。歴史についてもその起こった事象の原因説を探るのが流行っており、人間の知的活動(推理)の一つになっている。問題は過去のことについて人間はその責任を追及しようとするところにある。
 
  いつも不思議に思うのだが、日本人は過去に原爆を投下された世界で唯一の国であるのに、メディアを含めて誰もアメリカを訴えることをしない。それはGHQの戦後政策が徹底した日本贖罪論に偏っていたためでもあるが、元々日本人には過去の責任を追及するという考え方が薄く、いつも前向きであるからであろう。それは日本には多くの自然災害があり、アニミズム的宗教観もあって自然災害を仕方のないことだと受容してきた歴史があるからでもあろう。フランク・ロイド・ライトが1923年に建てた旧帝国ホテル(「ライト館」とも言われる)はそのお披露目の1分30秒ほど前に関東大震災に見舞われた。だがその場にライトは居なかった。耐震性と防火性に配慮して設計されたために当初の6倍の予算に膨れ上がったことでライトは事実上解任されていたからである。帝国ホテルは弟子の遠藤新によって完成されたのである。遠藤は帝国ホテルが無事であったことをライトに知らせたところ、ライトは狂喜したという。そして後に書いたものの中に、「地震後に人々は、”仕方ない”、と述べていた」と5回も「Shikatanai」と日本語を書いている。これは当時の日本人(1923年)も運命論に立っていたことを物語っている。
 
  日本は1923年の関東大震災・1945年の東京大空襲の2回に及ぶ天災と人災で首都を焼け野原にしてしまったが、それでも復活して東京は世界トップクラスの大都会になった。それは過去に起きたことは「仕方ない」と受容する日本人の潔さ・寛容さを表しているだろう。そしていつも前向きであったことは、上記帝国ホテルの建設を放棄せずに、弟子の遠藤新が引き継いで完成させたというところにも表れている。そこには単なる諦めの良さだけでなく、日本人の意地が表れている。もし欧米のように予算オーバーが裁判闘争にでもなっていたら、とても完成は望めなかったかもしれない。大戦中に焼夷弾を受けた帝国ホテルは4割ほどを焼失したが、建物の大部分は残ったという。

  運命論を宇宙にまで拡大して考えてみよう。我々人類が存在するのは、①宇宙誕生初期のインフレーションにおいて「ゆらぎ」があった・②エネルギーから物質が生まれた・③物質は進化により多元素を生み出した・④さらに自己組織化原理により分子進化をして有機物まで生み出した・⑤130億年前に銀河系が誕生した・⑥120億年前から100億年前の間にガイア・エンケラドス小銀河と天の川銀河の衝突があった・⑦それ以降天の川銀河は平穏に保たれた・⑧40億年ほど前に生命が誕生した(あるいはもたらされた) ・⑨生命誕生まで少なくとも60億年を必要とした、などの知見からすると、非常に幸運に恵まれた結果であると言えるだろう。天文学者の中には、近年の観測から太陽系外の似たような恒星が天の川銀河内に2000~4000億個も存在すると試算した人もいるが、単なる試算ではなく、宇宙の構造ができる過程をシミュレーションしたイギリスのバーミンガム大学のテッド・マッケレスによれば、3億光年という限定した範囲で、銀河が100万個ほど形成されたが、天の川銀河と同程度の大きさの銀河はたったの133個であり、天の川銀河のような安定した銀河はその中のたったの6個だけであった。これは宇宙には多くの地球に似た環境を持つ惑星が存在し、生命の存在の可能性は大きいとする学説に対して、異論を提供した。
 
  科学的な確率論からしても、同じ状況が生まれる可能性は極めて低い。現在我々が目撃している世界は極めて幸運な状況なのだということができるだろう。そしてそれは永遠には続かない。近年の知見では、天の川銀河が20億年後(宇宙時間スケールでは短い)には大マゼラン雲と衝突するという。マゼラン星雲は16万3000光年も離れており、大きさは天の川銀河のおよそ1/10である。だが衝突すれば星々の軌道は攪乱され、地球にはたくさんの小惑星の衝突が起こり、生命は絶滅するだろう。ダラム大学のマリウス・コータンは「宇宙は危険に満ちており、我々は運が良かったから存在する。宇宙には我々が期待するほど生命は存在しないと考えられる」と言う。筆者も科学的に同感であり、まさに我々は幸運に恵まれた生物なのである。

  そこで人間としては運命をどのように考えたら良いのだろうか? 筆者の考えでは、「人間の努力の及ばない自然の事象」を運命と定義したい。人間はえてして人間の能力を過大視しがちであるが、それは自然や宇宙の前では無力である。そして人間が存在しなければ、運命だのという概念を考える必要もない。動物は運命という概念を持たずに生命を繋いできた。人間だけが思考力を持ったことで諸々の概念を生み出してきたが、それらは人間の思惟の所産であるということ以上ではない。わずか数十万年前に誕生した人類、そして数万年前に誕生したホモサピエンスは、ひょっとしたら今世紀にも絶滅するかもしれないと憂慮されている。宇宙時間からすれば瞬間にしか存在し得ない人間に対して、過大な評価をしたり誇ったりすべきではないのである。

  このような哲学は東洋に多く見られるが、不思議に西洋の哲学には見られないような気がする。二宮尊徳は「分度」という言葉の中で「分を知る」ということを語っている。人間は自分の能力や事績に対してもっと謙遜になるべきなのである。それが自然を敬い、宇宙の真理に対して畏敬の念を持つことに繋がるだろう。そして未来世界では根源的にこの運命論を基にして事象を考えていくことになる。西洋人が考え出した人間中心の概念、またはイデオロギーである、「自由・平等」というものは自然界に存在しないということを改めて悟る必要がある。そして人間が被災した場合、その責任を誰かに押し付けることはできるだけ止めて、それを運命として受け入れる必要があるのである。そうすれば、人間相互の間にも憎しみや怨念という邪念は少なくなり、受容の精神(運命論)が芽生えることで人間は大脳的に、精神的に進化することになるだろう。

  後日の追加記事であるが、人間が運命的事象(事故・災害・戦争)に遭遇したとき、①受容・②責任論放棄・③事象評価・④改善努力、という4段階で考えると良いのではないかと考えた。①の受容が最も重要であり、この時点で思考を止める必要がある場合も多い。たとえば老人の寿命の受容もこれに該当する。死んでも当然の60歳以上になれば、人はいつどんなことで死んでもそれを運命と受け入れることができるはずである。昔の平均寿命が30歳くらいであったことを考えると、現在の80歳寿命自体が異常であり、人間はどこまでも寿命を延ばそうとしてきたが、動物(少なくとも哺乳類)は死ななければならない運命にある。そうであるならばいつどういう風に死ぬべきかを優先すべきであろう。筆者はその意味で60歳以上の延命治療を避けるべきだと考え、安楽死を取り入れるべきであると考える(20.11.8「安楽死をどう考えるか」参照)

  自然災害も同様に受け入れるべき運命である。だが自然災害は②と③の段階に進むべきものである。起きたことは仕方のないことであり、前向きに取り組むしかない。過去を振り返って人災にしたがるのは無為な左翼人間のすることである。だが自然災害は乗り越えることが可能でもある。人間はいつもこれを克服してきた。

  人為災害(戦争)はどうなのであろうか。これも結果として受け入れなければならないものであるが、その原因については歴史から学んで追及すべきであろう。ただ左翼のように、それを特定の過去の人物や事象に責任を押し付けるべきではない。ただ科学的に評価すれば事足りることであり、それを今後に生かすことにのみ集中しなければならない。

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