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【時事評論2021】

民主国家の挫折感(2002文字)

2021-01-04
  年が明けてもコロナ禍のニュースで明け暮れている。そのようなニュースの中に、ひときわ目を引くのが中国・武漢市の活況を示す映像であろう。日本では概ね他人事のようにその賑わいを羨ましく見つめているだけの人が多いようだ。だが西欧諸国は全く違う目でその光景を観ているに違いない。そう思うのは、西欧人には西欧諸国がいつの間にか東洋に追い抜かれたのだという思いがあると想像するからである。人種差別は表向きは無くなったと言ってはいるが、実際には潜在意識の中に東洋・アフリカ・中東に対する蔑視があり、特に中国に対してはその蔑視感は著しい。

  コロナ被害を最も受けているアメリカやヨーロッパでは、中国観光客の品位に欠けた行動を苦々しく思っていた矢先のことである。商売のためには我慢しようと観光地は中国人を笑顔で迎えていた。だがコロナが中国から発生したことで最初は「やっぱり」という思いがあったに違いない。だがそのウイルスが自分達を攻撃し始め、一方発生源の中国は一早く制圧したと宣言しているのを見て、苦々しさは憎悪に変わっていると思われる。西欧では中国人も日本人も韓国人も見分けが難しいため、東洋人一般に対して避ける風潮が広がっていると聞く。コロナ禍は人種を選ばないが、人々は戦時と同様、同民族でまとまり異民族を避けるようになる。これは本能的なものであり、それを一概に悪いと決めつけるだけでは物事は解決しない。

  さらに中国が世界で唯一前年比でプラス成長を遂げたと知らされたことで、西欧人の憎悪は歯ぎしりに変わったことであろう。すなわちこれまで中国人の海外での横暴・不謹慎な行動を黙って我慢してきた人々が、露わに見境なく東洋人を警戒し退けるようになったのは当然な成り行きであった。そして西欧人が最も打撃を受けたのは、近代以降に世界をリードしてきた西欧という白人社会のプライドが打ち砕かれたことであろう。そのプライドをさらに傷つけたのは、アメリカでの黒人差別による暴動の発生や、ヨーロッパでのコロナ対策の不徹底による蔓延と暴動の発生であった。中国が権威主義の優位性を唱えたことでそのプライドは決定的に挫折感に変わった

  これらの世界の流れは筆者が従前から唱えてきた全体主義の個人主義に対する優位性から来ているものであり、それがコロナ禍という中ではっきり表れたに過ぎない(20.4.9「全体主義の優位性 」参照)。つまり西欧の民主主義・自由主義というものが個人主義に拠り立っている限り、それは幻想なのである。その優位性が発揮できたのは近代の19世紀から20世紀までであった。それは国家の隆盛の周期である200年とほぼ一致する。21世紀は東洋の時代と言っても過言ではない。その代表が中国になってしまったのは不幸中の不幸であるが、それは歴史の必然と言えるようなものである(001「世界の現状」 )

  だが筆者は中国を弁護するつもりも推奨するつもりも毛頭ない。かの国は亡ぶべきものであり、また滅ぼさなければならない悪徳国家である。だが民主主義国家がいつまでも幻想に閉じこもっている限り、悪徳全体主義(権威主義・独裁主義)には勝つことはできない。世界が競争下にある限り、その競争に勝たねばならないのだが、目下のところ優位性はまだ中国にあるようだ(20.4.10「中国の存在感が上昇 」・20.9.6「地球における人間の活動と競争 」・20.11.13「米国の衰退と中国の台頭・日本の役割は?」参照)。だがその状況を変える可能性はまだあると考える(21.1.3「米中関連ニュースの評価比較 」参照)。そのためには、挫折感を克服して新たな世界観に目を向けることが必要であろう(20.9.7「ノム思想(ノアイズム)とは何か? 」参照)。そうすれば、現代よりはるかに民主的な世界を創り上げることができるのである。

  筆者には上記したような挫折感は皆無である。歴史の動き方を理解しており、行き先も見えているからである。だがその途中に悲劇が待ち構えていることも知っている(002「第三次世界大戦の可能性」 )。だがそれを覚悟しているため、悲壮感というものもない(20.11.7「運命論 」参照)。多くの人にとって挫折感を乗り越えることは容易ではない。そのためには目標が必要であり、励ましが必要である。だがそれを示してくれる哲学者や評論家はいない(20.6.9「未来学者はその役割を果たしているか? 」・20.9.14「トップリーダーの選択 」参照)。だがそのような人物が現れるのを待っている時間はない。筆者としてはノム思想を多くの人が学び、その考え方に基づいて行動してもらいたいと思っている(20.9.7「ノム思想(ノアイズム)とは何か? 」参照)。だがこの思想が普及していない現在、筆者は無力感に苛まれている。なんとかならないものだろうか?


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