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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

*001「世界の現状」(7906字)

(註)参照は本HPで公開した論文の場合は(*〇〇〇「・・・」)の形で番号とタイトル名を示します。現在執筆を続けている本論文の場合は(№〇〇〇「・・・」)の形で、雑論文の場合は(記〇〇〇「・・・」)の形で示します。ただし本HPの公開論文以外はまだ公開できません
 
*001.「世界の現状」(2019.9.27起筆・9.30完・11.3公開/7906文字) (完)
 
  現代は混とんとしたカオスの世界に突入しつつあります。これまでの戦後の世界が比較的安定していた時代から比べるとその状況の変化の激しさは皆さんにもお分かりでしょう。この現代の状況とそこに至る過程を説明するためには人類が歩んできた道のりで起こった様々な事件(イベント)を辿り、その意味を解き明かす必要があります。そのため、本項は人類の歴史から始めたいと思います。(№112「現代の世界の諸問題と状況論」・№134「人類の誕生と進化」・№837「現代の人類と世界が抱える問題」)
 
  人類はアフリカに起源があると言われています。およそ700~500万年前頃に存在したといわれているサヘラントロプスが、チンパンジーなどの類人猿と人類が分かれる分岐点に存在した人類の祖先なのかもしれません。この頃には二足歩行をする猿人は他にもいました。約440万年前に登場したラミダス原人は骨盤が広がった猿人で、人類の特徴を示し始めていました。ラミダスが発見された現在のエチオピアは、大地溝帯の東側に位置します。犬歯がチンパンジーよりも後退していることから、これはオスがメスを巡って争うことが無かった証拠だと考えられ、家族の存在も推定されています。オスは二足歩行によって自由になった両手を使って果物などを沢山手に抱え、家族の待つ巣に運んだのかもしれません。ラミダス原人は400~200万年前に存在したヒト亜属であるアウストラロピテクスに進化しました。さらにアウストラロピテクスは2種に分岐し、この2種は同期に存在していたと考えられており、その化石化した足跡は、人類最古のものとされています。10人以上の集団を作っていたと考えられており、ラミダス原人の家族形態から集団へと社会組織の変化が見られます。
  さらに進化・分岐したヒト亜族の中に、比較的細身のホモ・ハビリスと頑強なアウストラロピテクス・ボイセイがいましたが、その対比は興味深いことを示唆しています。この2つの種は60万年という長きに亘って共存していたのですが、細身のハビリスが生存競争に勝ったと考えられています。ボイセイは頑丈な顎を持っていたため堅い木の実などを食べることができたのですが頭が重くなり、頭脳を発達させることができなかったのです。石器を使うハビリスに最終的には負けてしまいました。ヒトの属名である「Homo」はラテン語で「人」を意味し、これが付くのはホモ・ハビリスからです。このハビリスから「原人」という呼ばれ方がされることがありますが、ハビリスは石器を加工するという技術を編み出しました。技術の進化はここから始まったとも言えます。
  そしてこの頃(200万年前)からだと思われますが、ヒトは食料を調理することを始めていたようです。そのことは進化に大きな意味を持っていました。堅い食物を食べるには強靭な歯と顎を要し、それは脳の進化を遅らせます。一方調理をすることによって軟らかい状態で食べられるようになったことで、特に顎が小さくなっていきました。これを「廃用退化/Retrogression by Disuse」と筆者は呼んでいますが、そのことでヒトは頭脳の方を大きくすることができたのです(№321「廃用退化」)。この考え方を唱えたのはハーバード大学の人類学者のリチャード・ランガム(1948-)で、「料理仮説/Cooking Hypothesis」と呼ばれています。また一夫一婦制はこの頃から普通なものとなっていったのではないかと考えられているようです。そのことが男同士による女を巡る争奪に余計なエネルギーを使うことを激減させ、狩猟における協調を促進させたと思われます。
              
  ところでアフリカで進化が非常に長期に亘って目まぐるしく進んだ理由として筆者が考えている仮説を紹介しましょう。ホモ属であるハビリスが誕生したのも、その後の進化でサピエンス(現人類)が誕生したのもアフリカです。その理由として筆者は大地溝帯というマグマが作り出した大地が、もしかしたら当時高い放射能レベルを持っていたためではないかと考えています。数百万年前の放射能レベルを推定することは半減期を使ってある程度できると思いますが、もしそうであったなら突然変異などによる進化が促進されてもおかしくないからです。ですがこのことは学者らの間では全く触れられていないと思いますので、筆者の科学的ロマンの話だと受け止めてください。
 
  ハビリスの後にホモ・エレクトスという先祖種の旧人が生まれています。エレクトスは現生人類の脳に比べて75%程度の容量を持ち、精巧な石器を作るようになっていました。容貌も現代人に近くなっています(下写真参照)。その亜種はインド・インドネシア(‘ジャワ原人’とかつて呼ばれていた)・中国北部(‘北京原人’とかつて呼ばれていた)・シリア・イラクなどの沿岸部から発見されています。すなわちエレクトスはアフリカから脱出して各地に散ったのです。
  サピエンスが誕生する前に、エレクトスが新たな生息地を求めて約50万年前にアフリカを出発して東方に向かったのです。そしてこれらの亜種は全て滅んで絶滅しました。彼らは約20万年前には中東地域でネアンデルタール人との生存競争に敗れて絶滅し、約7万年前(?)にはサピエンスとの生存競争に敗れて他の地域でも絶滅したと考えられています。その理由はいろいろありますが、大きな理由は体力・知力・技術の差にあったと言えるでしょう。(№381「ヒトの知能」)
   ホモ・ハビリス(出典:Wikipedia)
   ホモ・エレクトス(出典:Wikipedia)
  アフリカに残ったエレクトスの亜種からホモ・サピエンスが誕生したと考えられています。それは突然に起こったと考えるより、20万年前から10万年前にかけて、かなり長い時間を掛けて進んだと見られます。興味深いことにサピエンスとエレクトスは数万年間、同時期・同地域に暮らしていたと考えられていますが、彼らの遭遇は極めてまれであったようで、エレクトスの絶滅の原因は闘争の結果ではないようです。その盛衰の違いは狩猟技術の優劣にあったようで、ここでも技術の優位性が生存確率に大きく影響していることが分かります(№486「技術進化論」)そしてサピエンスは6万年前頃(?)にアフリカから北方に向かいました。長い歳月を経て世界各地へ広がり、先住のネアンデルタール人やエレクトスなどの初期人類集団と交代していきました。そして各地に定住して農耕を始めました。それは約1万年前のことで、地球の気温が奇跡的に安定したことが主な要因です。
  ですが、このことは人口を急速に増やすとともに、同じ種同士の間に闘争を生み出しました(№018「動物とヒトの闘争の違い(闘争原理)」・№602「人口爆発」)。主として食料の略奪がその目的であったと思われますが、闘争に付随して女の略奪も行われました。これは生物的には生存競争であり、近親交配を防ぐための本能的行動であって自然な行為でした。結果的にみれば、食料貯蔵がこの競争・闘争をもたらしたと言えるのではないかと筆者は考えます。狩猟・採集の時代にはこのような闘争が見られないことがその根拠です(№790「食糧(食料)」。日本でも縄文時代(BC1万4000年頃~BC10世紀)には闘争の痕跡が見られず、農耕が始まった弥生時代(BC10世紀頃~AD3世紀中頃)に闘争が始まり、環濠集落や王権を示す巨大墳墓(古墳時代:3世紀半ば~7世紀末頃)が出現しています。
 
  各地に定住した人(サピエンス)は農耕によってますます定住化を進め、狩猟・採集のための移動をしなくなりました。その結果、数万年の間に各地で人種的進化を遂げました(№322「進化論」)。すなわち生物としての種を維持したまま、適応によってその地に適した人種に進化していきました。現代でもその形態的違いは明らかで、黒人・黄人・白人の違いがあります。文化もその地に独特なものが生まれ、通商などによる民族間交流や戦争による交配が進みましたが、長い間その特徴は維持されてきました。そしておよそ3000年前に興ったヒンドゥー教・2500年前に興った仏教・2000年前に興ったキリスト教・1400年前に興ったイスラム教、などが侵略・戦争とともに世界に広がり、土着民族性と混合されて独特の文化を創り出しました。(№442「宗教論」・№443「文化論」)
  この人種・宗教・文化の違いが今日的問題の一端を成していることは明らかです。それは国家という権力がその違いを強調することで戦争や混乱をもたらしています。ですが人間はイデオロギー(民主主義・平和主義・平等主義)によって人種・宗教・文化の違いをある程度乗り越えることに成功をしてきました(№066「イデオロギーによる議論の抹殺」)。今日、人種・宗教・文化の違いを強調する人はよほどの無教養人か野蛮な精神を持った人と見做されます。宗教もある程度は相互に寛容さを示してきました。ですがイスラム教を底流に持つ民族闘争は激化しつつあり、宗教的不寛容が勢いを増していると言えるでしょう。文化の違いはそれほど大きな混乱をもたらしてはいませんが、移民・難民が急激に増えたことで、それがもたらす異文化ストレスがヨーロッパ各国を悩ましています。アジアでも大量難民が発生している国では国家的問題となっています。(№535「移民と難民」)
 
  これらの現象を象徴する絵があります。旧約聖書の「創世記」中に登場する巨大な塔「バベルの塔」を描いた何枚もの絵ですが、その中にギュスターヴ・ドレによる『言語の混乱』という作品があります(№513「言語(言葉)の進化と劣化」)。これは創世記11章にある、「全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた・・・」という記述から始まる神話に基づくものです。傲慢になった人間が神がいる天に届く塔を建造しようとしたところ、神が怒って「彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」と罰を加えたという物語です。筆者は「同じ言語」を「同じ文化」になぞらえ、「互いに相手の言葉を理解できない」ということを「不寛容」になぞらえて理解してみました。世界は今まさにそのような状況にあると思えます。つまり古代においては人々は「生きる」という共通の意識の下で協調関係にあったと思われますが、農耕が始まってからは「奪う」という意識が働くようになり、争いが生じたのです。(№787「略奪と収奪」)

  現代の国家体制は民主主義国家・独裁的社会主義国家・独裁国家・宗教国家に分断されており、特に極端な情報鎖国体制を敷く北朝鮮は世界に大きな不安をもたらし、アメリカの自国第一主義は世界経済に暗い影を落としています。宗教国家のイランは平和を希求するどころか、中東各国にテロ支援を行って不安定を助長しています。最大の人口を有する中国は一党独裁の下、情報統制を進めるとともにアフリカ・南アメリカ・東シナ海に覇権を求めて経済植民地化を図り、中華帝国の再現を夢見ています(№356「国家論」)これらの事象は本来の思想・宗教が求める理念とは全く相反する動きであり、なぜそのようなことになったのかを解明する必要があります。ですがメディアや国家指導者、さらに言えば思想家や哲学者らは本質的なことに目を向けず、目先の利益と成果のために汲々としているのが現実です。

  思想や哲学もまた進歩・進化をやめてしまったように見受けられます(№022「人間の思想と哲学」)第二次世界大戦後には思想家・作家・科学者らが世界統一を理念として掲げたことがありました(№514「世界連邦の可能性」)しかしそれは言葉の遊びに過ぎず、単なる一片の宣言だけで諸問題を解決できるほど簡単なことではありません。それらの理想は現実の前に無力であったために誰も省みることはありませんでした。戦後70年余を経ようとしているのに、戦前・戦中の恨みをいまだに世界に振りまいているおろかな国家もあり、我々が棲む地球という生存条件が破壊されようとしている現実を無視して世界は騒乱に明け暮れています。先だって国連総会でスウェーデンの若き女性が怒りの声を上げたのは当然のことであり、その勇気を持つ人がまだ世界中にわずかながらいるという事が唯一の慰めです。戦後の平和を求める思想や哲学は、技術の進歩や経済の発展の陰に隠れてしまい、力を失いました。私は哲学の専門家ではないため、注目すべき進展があることを知りません。
  唯一戦後に大きな希望をもたらしたのはEUの統合でした。筆者は自論で人の組織は拡大・統一の方向に進むという仮説を立てていますので、この統合はその仮説を実証するかもしれないという期待を抱きました。ですがすぐにそれは失望に終わりました。なぜかというと、EUが各国に主権と財政決定権を残したからです(記225「EUのジレンマ」)。このことは将来EUが困難な問題にぶつかったとき、EU各国が自国第一主義に陥ることにより不一致が表面に現れ、瓦解するリスクを持っていると感じました。そしてそれは移民・難民問題が勃発したことで現実になりました。イギリスがEU離脱を国民投票で決定し、EU諸国で極右派が台頭するという状況になっており、間もなくEUは崩壊するでしょう。
  ですが私は自論を棄てたわけではありません。組織の機能分散化と全体の統一化ということは自然界の法理(自己組織化)であって、それは様々な現象に表れています(№127「自己組織化と自己崩壊化」)。世界は一旦は崩壊しますが残存し、そして再び統一を目指して動くでしょう。あるいはそう動かざるを得ないだろうと考えています。残念ながら現在は世界の崩壊過程にあり、間もなくそれは世界戦争となって表れるだろうと予測しています。この流れを止めることは誰にもできません
 
  科学的実験というものは起こることを予測して実験条件を厳密に設定して行われるもので、その結果が予想を裏切ることもありますが、大方の場合予測通りの結果が得られます(№596「科学論」)。世界が政治・経済・文化という複雑系の中で安定した状態を作り出そうと努力しているようには思えません(№150「複雑系(カオス)」)もし世界や地球を安定に保ちたいのならば、世界を統一して経済をゼロ成長以下にしなければなりませんが、それは現実には不可能なことです(№968「成長の限界」)人間界が競争関係にあり各国に主権があるためであり、世界の人々やいずれの国も環境崩壊を懸念してはいるものの、経済が競争関係にあるため率先してゼロ成長を目指すということはしません(№436「競争原理」・№552「主権論」)2019年は国連で環境サミットが開かれた年ですが、未だに国連は「持続可能な開発目標」などという浮ついたたわごとを目指しています科学的にみればもう既に地球環境は回復不可能な不可逆過程に入っており、開発などとんでもないことであり、環境保全のためのどんな努力も無駄になるでしょう。ですが科学者や政治家はこの事実を覆い隠そうとしており、体裁を整えることにのみ汲々としているのです。「開発」という事自体が既にやってはいけない悪の行為であるということを誰も主張しません。それを言ったら政治家生命・学者生命が終わってしまうからです。
  人類は地球環境の回復という実験をやろうとしています。ですがその条件が経済発展を前提にしている限り、それは実験前から結果が分かっていることです。すなわち地球環境の激変であり、生物の大絶滅であり、世界戦争の勃発であり、世界経済の破綻と人間世界を襲う飢餓です(№904「動物と人類の大絶滅」)。スウェーデンのグレタ・トゥーンベリが国連の欺瞞的態度やその欺瞞的対策に対して怒りを表したのは、彼女が本当に危機の状況の全てとその本質を知っているからではありません。彼女はIPCCの報告と人間の持つ本能的直感からあのような怒りを声を発したのです。現実は彼女の考えている以上に深刻な状況にあります。
  同様に人類は平和の達成という夢想を実現しようと実験しています(№514「世界連邦の可能性」)ですが前記したように、国家に主権を認めている限りそれは不可能であり、解決の唯一の前提条件は国家から主権を奪うことしかありませんそれを可能にするための唯一の条件は世界連邦制への移行です。ですが現在の世界でそれが達成できる可能性はゼロです。
 
  主権放棄が唯一の解決法だと考えた先人はいます(№552「主権論」)。大戦末期(1945年6月)にアメリカで出版されたエメリー・リーヴズの『平和の解剖』という本があります。それは日本語も含めて25ヵ国において20の言語で出版され、その後に興った「世界連邦思想」の普及に画期的な役割を与えました。この本で著者は経験的な歴史法則として、戦争の発生と戦争終了の法則を極めて明快に指摘しました。この地球上から戦争をなくすためには、「分裂しあい闘争する民族主権を、一つの統一された、より高次の主権のもとに統合することが必要」であると明確に述べました。「戦争は、平等の主権をもち、一つに統合されない社会単位が接触すれば、場所と時とを問わず起こる」とも述べ、「社会単位を形成する人間集団間の戦争は、これらの社会集団、つまり、部族・王朝・教会・都市・民族が無制限の主権を行使したとき常に発生する。これらの社会集団間の戦争は、主権がより大きな、より高次の単位に移されたときに終わる。しかし、それによってたとえ平和がもたらされても、新しい主権単位が残存すれば、また戦争が始まる」と述べています。ですがこの本でも理念は明確に示されたものの、具体的な世界統一への手順・手法・内容は書かれていないようです(本が入手できていません)。
  この本に触発され、第二次世界大戦の悲惨な核兵器使用を見て科学者らが声を上げ、オーストリア貴族出身のグーデンホフ・カレルギーの音頭の下に、1946年10月、ルクセンブルクで「世界連邦政府のための世界運動」を起こしました。この運動に賛同した科学者らにバートランド・ラッセル、アルベルト・アインシュタイン、アルベルト・シュヴァイツァー、ウィンストン・チャーチル、湯川秀樹などがいます。そしてこの運動の規約の第2条には「各国家の主権の一部を世界連邦政府に委譲する」という一文があり、筆者とほぼ同じ認識であったことが分かります。ですがこの運動は理念を示しただけに終わり、具体的な手順・手法・内容を持てませんでした。世界中に支部を設けてはいますが議論を深めているようには思えません。しかも自由民権運動の延長線上にある思想を基盤としているため、イデオロギー(固定観念)の域を出ないものとなっています。
  筆者はこの世界連邦運動の基盤となっている自由民権思想を否定しており、これまでに提唱されてきたいかなる思想とも異なる「ノム思想(NOM)」を提唱しています(№190「ノム思想」)そこに行きつくまでにはいろいろな論考が必要でしたが、これを体系的なものとするため、①人間の闘争の原因となっている人間本能の考察・②その抑制と制御のための社会構造の在り方・③世界連邦形成への道程、について詳述すべく、現在999テーマと取り組んでいます。まだ完成率は53.7%という気の長い話ですが、未来への遺産として残せればと考えています。書籍にすると5245ページに達する量になっており、傍論を含めると7200ページとなっているため出版は不可能です。そのためHPという形で主要点を公開することにしました。それは筆者の予言する「人類の大災厄」が、2020年頃という喫緊に迫っていると考えているからです。
 
  本項はテーマに示したように、現代の抱える問題の指摘に留めておきます。次項以降で主要な論点を段階を追って述べていきたいと考えています。(終)
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