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【時事評論2023】

「創造神」について思う

2023-12-23
  風呂桶に浸かっていた際、植物の影響吸収について考えていた。それが思考発展したというか、拡大・飛躍したというか、神羅万象が意思によって創られたのではないかという考えに辿り着いた。思考が思いもよらぬ方向に展開されたことに自分でも驚いたが、このアイデアは考えてみる価値がありそうだと感じた。以下では、天地創造について物理学がどこまで迫っているのか、持っている知識を使って、そこには意思というものがあったのかどうかを考えてみたい。そしてもし、神羅万象に意思が働いているとしたならば、それを「創造神」と名付けてもおかしくは無いだろうと思うが、そうした考え方についても述べてみたい。

  現代物理学は相対論と量子論から、宇宙全体を統合的に説明できる「大統一理論」を目指して、研究者がしのぎを削っている。もはやアインシュタインのような、単独の研究者のアイデアによる革新的な理論は出尽くしているように見え、多くの場合、観測結果を説明できる仮説を唱えていることが多い。だが、現代物理学はダークマターとダークエネルギーを想定しているが、未だその正体を掴めてはいないようだ。そしてノムが思うには、無(真空)から有を生じたビッグバンがどうして起こったのかを、未だ十分に説明し切れてはいないように見える。それを説明する仮説はあるが、その仮説によると、宇宙というものは無限大に存在することになり、また我々が知覚している物体の存在すら、幻想にすぎないということになってしまうらしい(11.20「人間も物質も実在していないとする現代物理学の考え方」)

  こうしたまだ未完成な物理学の仮説に頼ることなく、我々の住む宇宙が、「無(真空)から有を生じた」という一見不合理な物理学の説明を脇に置き、宇宙がなんらかの原因によって創られ、神羅万象が自己組織化によって創られてきたということに思いを馳せる時、そこには何らかの意思が働いているのではないかと想像するのも、あながち間違いではないような気がする。かと言って、ノムは宗教をここに持ち出そうというつもりはないし、神秘主義で満足しようとも思ってはいない。だが事象というものには原因があって結果があるということを考えると、最初の原因は意思なのではないかと思うこと自体には、矛盾はないだろうと思うのである。ノムは科学主義に立っているが、同時にノム思想で現実主義をも採用している(20.9.7「ノム思想とは何か?」・21.6.2「現実主義」)。物理学者の言う妄想的世界観には、とても同意できないと考えるのである(11.20「人間も物質も実在していないとする現代物理学の考え方」)。現代物理学がまだ不完全なものであるが故に、そうした不完全な仮説が出てくるのもやむを得ないという事情を理解すれば、ノムが事象の始まりに意思があったのではないかという仮説も、それなりに合理性はあると言えるだろう。

  もし事象の始まりに「意思」があったのだとすれば、それを「創造神」とするのにも違和感はない(8.7「宇宙の誕生」)。人間は、未知の分からない存在、絶対的な存在に対して「神」という表現を使ってきた。だがほとんどの場合、その神には普遍性というものがなく、科学性もないのが常であった。キリスト教はイエスと言う人間が説いた人間愛から出発しており、主体は人間である。イスラム教は太陽信仰を基にしていると思われることから、絶対存在は太陽である。その他の宗教もこれらを超えるものは無かった。宇宙神を唱える宗教があるのかもしれないが、ノムはそれを知らない。宇宙を含めて、神羅万象を創造する神というものを唱えた宗教は無いと思える。科学的法則を含めて、「神羅万象を司る神」という存在を仮定すれば、多くの謎や未解明の事象についての悩みから救われるだろう

  ノムは新宗教を興そうという気もなければ、こうした考え方を人に押し付ける気もない。だが少なくとも私自身が、現代物理学の混迷した仮説から逃れられることは確かである。ノムの創造神思想では、以下のように世界を記述することになる。

1.宇宙の始まり(多宇宙論を含む)には意思が関係している(8.7「宇宙の誕生」)
2.意思が働いた後は、その意志が持つ法則性によって事象は自己組織化と自己進化を続ける(21.6.8「新・進化論」・21.6.9「自己組織化と自己崩壊化」)
3.意思があると考えることにより、唯心論と唯物論の相反性は解消される。
4.事象は自律的なものであり、人間はそれを根本的に変えることはできない(20.11.7「運命論」・21.1.18「状況理論」)
5.事象の自己組織化と自己進化によって誕生した一生命である人間は結果であり、その誕生をもたらし原因は「創造神の意思」による、と考えるのは合理性がある(科学性については証明できない)。

  以上はノムの妄想であるが、この妄想を否定できる人が居れば、議論してみたい気がする。ノムは原因が無いのに事象が起きるとは思えない。だがこうした議論は恐らく不毛であろうし、結論は出せないと思われる。ただ、固定化した宗教に囚われている人には、より深く考える上で参考になるかもしれない。宗教にも普遍性が必要であり、より高い視野から俯瞰する必要があると思うのである。

  未来世界では、人の思想の自由・宗教の自由は守られるが、その人の自由に対する考え方や宗教に対する考え方次第では、人格点にマイナスに働く場合もあるであろう(20.8.30「未来世界における人格点制度」)。たとえば、「世界の危機と宗教の危機ではどちらを守ることを優先するか」というような設問に対し、宗教を優先すると答えれば、それは普遍性(より高所から見た)を持っていないと判断されるだろう。そのことによって人格点には多少のマイナスになる。未来人には高所大所からの思考が求められるのである。

(12.23起案・起筆・終筆・掲載)


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