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【時事評論2024】

【時事短評】歴史を抹殺しようとする朝日新聞

2024-04-19
  朝日新聞は「大東亜戦争」という用語を抹殺しようとしているらしい。あいにく月日は忘れたが、陸上自衛隊の部隊が戦没者追悼行事への参加を紹介するSNSへの投稿で「大東亜戦争」という言葉を使ったことが気に入らなかったようで、「政府はこの呼称を公式文書では用いていない」と批判した。自衛隊も腰抜けであり、一新聞社の誤った指摘に対してあえなくしり込みして、この言葉を削除した。実際に使った文章は「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島」という下りであるが、元自衛官で旧防衛庁広報誌編集長を務めた評論家の潮匡人(うしおまさと)は、「問題は防衛省・自衛隊側が批判を受けてその言葉を削除したことだ」と産経新聞のインタヴューに答えている。木原稔防衛相も朝日の批判を認める形で「一般に政府として公文書では使用していない」ことを認めた。本項では、朝日新聞の意図とその誤りについて述べることにする。

  そもそも「大東亜戦争」という言葉は、当時の東條内閣(東條英機首相)が1941年(昭和16年)12月12日、米英に宣戦布告をした際、1937年(昭和12年)より継続していた支那事変(日中戦争)を含んで「大東亜戦争と呼称す」と閣議決定をしたことから生まれた。すなわちこの用語は公文書に無いどころの話ではなく、戦時中の日本が公式に使った言葉であり、戦時中はこの用語が公式に使われた。1945年(昭和20年)に敗戦を宣言してから以後は、確かにこの用語は「太平洋戦争」もしくは「第二次世界大戦」に置き換えられた観がある。ノムは戦後世代であるため、高校生くらいまでは「大東亜戦争」という言葉を知らなかった記憶があるし、その頃はこの言葉に違和感があった。だが歴史を学べば分かるように、日本は米国とだけ戦ったわけではない。それ以前から日中戦争を戦っていたのである。

  要は、日中戦争と太平洋戦争という、相手が別の2つの戦争を、当時の東條英機首相は連続性のあるものと考え、まとめる意味で「大東亜戦争」という言葉を使ったのである。「大東亜戦争」は戦域を指す名称ではなく「大東亜新秩序」の建設を意味するとされたのである。すなわち日本が中国と戦ったのも、米国と戦ったのも、大東亜という地域に新秩序を建設しようという大義があったからこそであり、それが正しかったか間違っていたかは別にして、日本から見ればそれは1つの戦争として捉えるべきであると考えられていたのである(23.3.30「大義・中義・小義」)。朝日新聞はそうした歴史的経緯を無視して、大東亜戦争という言葉が日本政府が決めた名称であることも否定した。単に現在の日本政府が用いていない用語であるということだけを根拠にしたのは、歴史改竄に等しいのではないだろうか。

  潮は「もし防衛相ら政治家や防衛省幹部が削除させたなら、朝日に屈するのみならず、言葉狩りに手を貸したことになる」と批判しており、ノムも全く同感である。なぜ歴史を捻じ曲げてまで批判に屈したのか、政治家や自衛隊幹部の事なかれ主義がこうした誤りを犯したのではないのか? 最大の問題は、恐らくこの件が良識ある自衛官の心や信条を痛く傷つけたのではないかと思われるところにある。潮が編集長を務めた自衛隊広報誌の「セキュリタリアン」の1992年(平成4年)4月号には『「大東亜戦争」時における陸海軍の統合計画』という表題の論文を掲載した、と証言している。当時、誰も何も問題にはしなかったという。

  ではなぜ朝日新聞はこの言葉を問題にしたのだろうか? 説明するまでもないことだが、朝日は自衛隊を貶めようとしているのである。朝日は誤った左翼思想から平和主義思想に陥っており、現実を見ずして自衛隊を違憲な存在だと断罪している。だが直接的にそうしたことは言えないので、ときどき言葉狩りをしては自衛隊に対して意地悪をしている。言ってみれば国賊新聞であり、多くの論者がそうした朝日の姿勢を批判してきた。従軍慰安婦をでっちあげて問題にしたのも朝日であり、安倍降ろしを先導したのも朝日である。朝日新聞は利益主義に基づき、戦前は軍部に従って戦争を煽り、米軍占領下では占領軍に迎合し、独立回復後はソ連・中国・北朝鮮の走狗(そうく)となってきた(21.5.18「メディアは利益優先に毒されている」)。2007年には山際澄夫による『これでも朝日新聞を読みますか?』という本を出版されたほどである。既に世から疎まれる存在にすらなってきている朝日新聞が、また同じように自衛隊を目の敵にしようとして、こうした批判記事を書いたのだろう。朝日が利益主義に基づく経営を考えるならば、もはやこうした左翼思想を捨て去ることが経営にとって抜本的解決策になるであろう。

  「大東亜戦争」という呼称は、当時の日本政府が正式に閣議決定した公式用語である。それは過去のものになったのは間違いないことであるが、その概念は正しいものであり、2つの戦争をまとめて呼称するには都合が良いという面もある。だが戦後になって、日本の思想は全てGHQによって否定され、米国式の理解が教育でも政治でも汎用されるようになり、「太平洋戦争」という言葉だけが使用されるに至った。確かに米国から見れば、米国が戦ったのは欧州ではドイツが相手であり、太平洋では日本が相手であった。米国から見れば、欧州戦線とは別物の太平洋での戦いを「太平洋戦争」と呼び、大枠の「第二次世界大戦」という括りの中の1つであるとした理解は正しいだろう。日本も同様に、「大東亜戦争」という括りの中で、太平洋戦争を戦ったのである。だが朝日はそうした歴史の理解はせず、日中戦争と太平洋戦争は別の戦争だと規定しているようである。それは戦後のGHQの指導要領に沿った理解であり、2つの戦争を別枠で扱うことにより、日本の大義を否定しようとしているのである(23.3.30「大義・中義・小義」)。さらに朝日が国賊者であるのは、自衛隊に難くせを付けて、その存在を否定的に捉えさせようと国民を誘導しているところにある。まるで中国が攻めてきたら、万歳をして受け入れるべきだと宣伝しているかのようだ

(4.17起案・起筆・4.19終筆・掲載)


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