本文へ移動
【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2023】

【時事短評】習・プーチン、両者の権威が失墜

2023-08-01
  最近、中国とロシアで、両大国の権威とされる習とプーチンが相次いで権威を失う出来事が起こっている。どちらも絶対権力を握ったと見られていた人物であり、特に習近平は取り巻きだけでなく、政権全体が習派で固められたことから、揺らぎようが無いと思われてきた。だが以下に述べるように、その盤石と思われてきた権力および権威が、今瓦解するのではないかと言うほどに脅かされている。まず最初に中国から現状を紐解いていくことにしよう(7.27「中国外相更迭劇の裏に何がある?」)

  習近平は2022年10月23日の党大会で絶対権力を掌握したと言っていいだろう。だがそれによって、自身が発したゼロコロナ政策の転換が可能になったと過信した。囲碁でもそうであるが、絶対の勝ちを確信したときに打つ手に緩みが出て、大逆転されることがある。習はこの頃、経済が思わしくないことを憂慮していた。不動産不況に加え、諸外国に対して取ってきた強権外交(「戦狼外交」とも云われる)によって、軋みや不都合が出てきたことを自覚していたと思われる。そこで政策転換をしようと決断したのではないだろうか。ゼロコロナ政策を一気に停止し、国内需要を喚起するとともに、諸外国への多少融和的な対応を取ることで、貿易などの諸問題を解決しようと図った。

  その第一歩が戦狼外交の象徴であった趙立堅の交代(2023年1月9日)である。その準備として、2022年12月30日に秦剛を外相に起用した。秦剛はまだ国務委員になってはいなかったが、習に女性の毛寧を推薦したと思われる。習はその人事を気に入り、秦剛をさらに信用した。だがこうした外交方針の転換や人事に危機感を覚えたのが王毅であった。王は恐らくこの人事に反対したであろうが、習の威光によって決定した。戦狼外交を象徴していた趙立堅報道官が事実上左遷され、女性の毛寧が報道官に採用された。だがその報道姿勢は従来とほとんど変わることはなかった。王が外交トップの国務委員を務めていたからであり、報道内容に干渉していたと思われる。そこで習は秦剛を3月になって国務委員に抜擢した。異例の出世であり、異例の人事でもあった。国務委員という役職は外相よりも上であり、ベテランの王毅と同格になったことを意味する。

  そして水面下で成り上がりの秦剛と、強硬派で辣腕の王毅との対立が深まっていった。それが表に表れたのは突然のことだった。6月26日以降、秦剛は表舞台から消えた。7月11日になってそれは表に出た。拉致されたと同じくらい、消息不明になったのである。7月25日になって、毛寧は自身を引き立てたと思われる秦剛の外相退任と王毅の外相就任を発表。記者団の質問に対して「提供できる情報はない/状況を把握していない」とこれを躱した。毛としては信頼する上司を失ったことへの忸怩たる思いがあったに違いないが、それを表に出すことはなかった。そしてこの突然の人事を習が知らないわけはない。ということは、習が信任してきた人間を更迭したのは誰か」、という不可解な謎が生まれたということになる。秦剛が行方不明になってから、習がこの件で表に出ることは無くなった。それはまるで実権が王に渡されたかのような感じを受ける。

  習の人事が問題にされるような案件が昨日の7月31日に起こった。習が創設したロケット軍の司令官2名が更迭されたのである。しかもその理由が汚職にあるとされる。「汚職追放」は習の最大プロパガンダであった。もし習に権威がまだあるのだとしたら、少なくともこの更迭の理由は別のものに置き換えられたであろう。習にそれができなかったということは、習には政権を把握し、指揮する力が無くなっていることを意味する。こうして2つの更迭劇を通して、習近平の権力・権威の失墜が明らかになってきた。今後さらに、新たな更迭劇が出てくることを、ノムは興味津々で見ていくことにしよう。

  つぎにプーチンについて述べたい。これは今更説明するまでもないが、盟友であり、絶対家臣だと思っていたプリゴジンが反乱を起こしたという事件である。プリゴジンには野心がある。プーチンに近づく切っ掛け(レストランでのプーチンの外国首脳との会食を誘致した)を作り、取り入って子分になった。だがプリゴジンには壮大な野心があり、子分で収まっているような器ではなかった。民間軍事会社「ワグネル」を立ち上げ、アフリカの内紛国に派遣して暴利を貪り、巨額の資産を蓄えるとともに、プーチンと結託して近衛兵的な役割を密かにワグネルに持たせた。プーチンはこれを操っていると噂されてきたが、逆にプリゴジンに利用されてきただけである。プーチンは法的には存在さえ認められていないワグネルに巨額の国家予算を投じてきたことを自らばらしてしまった(《ロシア》6.27「プーチンがワグネルの汚職疑惑を持ち出して失態のカモフラージュを図る」)プリゴジンの乱はプーチンの理性を失わせるほどにプーチンを怒らせたようである。だがプーチンはプリゴジンを抹殺することすらできなかった。それは従来のプーチンのやり方とは異なり、無罪放免するという妥協をしたことで、権威の失墜が明らかになった。

  プリゴジンの乱には何人かの軍のトップも関係していたとされ、今粛清が進行中である。だがプリゴジンが粛清を求めていたショイグ国防相とゲラシモフ司令官には手をつけていない。プーチンはこの2人だけは忠実な部下だとせざるを得ないからである。この2人まで粛清したら、プーチン政権が持たないであろう。正規の組織的トップを更迭したら、自身の任命権に傷がつくことになる。他項でも何度か触れているが、セルゲイ・ショイグは若いころにプーチンの釣り仲間であった。元々建築関係の技術者であり、軍のことは専門外である。ロシア特有のマフィア的縁故によってプーチンに引き立てられて国防相にまで上り詰めた(7.8「マフィア国家ロシアの裏付け証言」)ワレリー・ゲラシモフは生粋の軍人であり、「ゲラシモフ・ドクトリン」で知られている。だがその戦術能力は疑問坿が付く。当初ウクライナ侵攻は総司令官無しに「特別軍事作戦」という形で進められ、失敗した。だがこの作戦計画にゲラシモフは参画していたようである。そこでプーチンは実質的な司令官役をセルゲイ・スロヴィキンに任せた。2022年10月8日には正式なウクライナ侵攻司令官として就任したことが発表されている。だが戦況は思わしくなく、プーチンは何と作戦途中で司令官をゲラシモフに交代させたのである。2023年1月11日、ショイグ国防相はゲラシモフをウクライナ侵攻総司令官に任命し、スロヴィキンを副司令官に降格させた。同月24日、プーチンはヘルソン撤退を指揮したミハイル・テプリンスキー大将を解任した。こうした軍内の解任・更迭劇が繰り返されることで、プーチンに対する軍内の信頼は薄れていき、後のプリゴジンの乱ではスロヴィキンも同調したのではないかと言われている。

  人事というものは難しいものである。上司は自分に近寄ってくる人間を排除することはない。ましてや自分に同調する人間を信頼するものである。それが組織内のことであれば、それほど問題になることは少ないが、組織外から自分のお気に入りを連れてきて重要ポストを与えると、しばしば組織に歪を生じさせ、不安定になってしまう。ましてそのお気に入りが、自分の立場を危うくするような存在になると、組織の瓦解が始まる。上記の習近平の例で言えば、習はしばしば若いころの福建省・浙江省時代の部下を登用するという癖がある。秦剛との繋がりは明確ではないが、抜擢したということはそれなりに習の軟化政策に近かったからかもしれない(22.7.17「中国の黒社会(マフィア)化」)。プーチンの場合はマフィア的人事であり、媚びへつらってくる人間を登用している。いずれも自分に近い派閥だけで政権を作ろうとしているそれは強みを発揮できるが、弱くなったときには脆い。今後両者がどこまで没落していくのか、大いに見ものであろう。  

(7.31起案・起筆・8.1終筆・8.1掲載)


TOPへ戻る