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【時事評論2023】

唯物的唯心論

2023-07-18
  人は世界観を語るとき、しばしば「唯物論」か「唯心論」かを問題にしてきた。唯物論は無神論とも表現される。言葉を換えれば、「マルキシズムは唯物論、宗教人は唯心論」というような概念を持ってきた。だが現代に至って人が物事を科学的に考えるようになり、自然現象だけでなく人間の意思さえも科学で説明されるようになると、多くの人の心中に唯物的思考と心情的思考の分極が生じるようになってきている。それが脳内に大きなストレスを与えていることは間違いないことだと思われる。昔は宗教的背景がどこの地域にもあったため、多くの人は唯心論的であったと思われる。それが近代の科学思想が普及するにつれ、唯物論者が増えてきた。だがつい先ごろまでは、唯物論者は、全ての事象は物質作用で生じるということを科学的に証明することができなかった。心というものや意思というものが物質的作用の結果生じるということが科学的に証明されていなかったからである。だが近年になって、そうした事象についても実験的に証明が可能になってきた。それにもかかわらず、世界の多くの人が宗教と言うドグマ(宗教的教え)に未だに囚われている。本項ではその人間のアンビバレント(相反心情)な心の在り様を解き明かしてみたい。

  7月4日に放送されたNHKの科学番組では「人間は電気仕掛けの心と体を持つ」とする唯物論に立つ番組を放送した(7.17「生命の起源と生体電気」)。それ以前には「人間の意志」を否定する内容の番組も放送している。NHKが必ずしも唯物的思想に染まっているわけではなく、単に科学的事実として放送したに過ぎないが、これを見た多くの人が唯物思想に傾いたと思われる。ノムは元々、人間の思考自体が脳の為せるものであり、心というものも個々の人間の脳に結果的に生じる現象の1つだと考えてきたため、NHKの番組によってその裏付けが得られたと思っている。だが同時に、科学的手法に依ろうと、人間は真実にも真理にも到達できず、中途半端な知識に惑わされる存在であるという考えから、不可知論を唱えてきた(残念だが参照項はない)。またノム自身は唯心的思想に立っていると考えている。

  将来、もっと科学的知見が増えるにつれ、心の有り様というものも科学的に説明は可能になるであろう。だがそれでも人は宗教を信じたがる。すなわち、何かしらの絶対者に寄り縋りたくなる。それが人間の持つ本性であり、弱さであるとともに強さでもある。人間は仲間同士で争うとともに、仲間と結束する存在でもあるからだ。そうした人間の心情は、生存本能から生まれる「生きる意志」の表れであろう。仲間と争うのも生存本能の為せる業であり、仲間と群れて同じ行動を取ろうとするのも生存本能の為せる業であると理解している。それは動物に普遍的なことであるが、人間は知能を持つために、それが極端な方向に表れて、不必要な殺戮にまで及んでいるだけの話である。残念ながら、人間はそうした意味で中途半端な未完成の知的動物であり、まだ知的存在への進化過程にあると考える(21.4.8「ホモサピエンスからネオサピエンスへの進化」)

  人間がより知的に進化したときには、宗教自体が人間が作り出した妄想に過ぎないことを理解するだろう。それはすでに多くの人が唱えていることでもある。マルキシズムの創始者であるマルクスに限らず、2006年には進化生物学者のリチャード・ドーキンスは『神は妄想である』を出版し、日本の左翼思想家の吉本隆明もそう唱えている。だがノムは、宗教の果たす役割まで否定するつもりはない。現在問題になっている旧統一教会のようなインチキ宗教や、今でも組織が残っている旧オウム真理教など、人の心の弱さを突いた詐欺的宗教組織はあまたあるが、人の心を善に導く良き宗教もあり得ると考えている。実際には歴史上にはそうした宗教は存在しなかった(21.2.2「宗教における時代錯誤な教えと掟」)。キリスト教は愛を説いてはいるが、宗教組織となったときにはその本質が捻じ曲げられ、カトリックやプロテスタントという名の下に暴力が行われた。宗教については別に論じる必要があるが、人の心というものは科学的に説明するだけで済むような簡単な問題ではないことは確かである。従って、ノムは未来世界でもより科学的でより善なる行動を求める宗教的集団が必要だとは思っている。

  人間は、心の弱さを科学では補うことができないと知っているため、それを補うために、絶対者(「神」と呼んでいる)を求める。西欧的な考えでは神は唯一とされるが、東洋的な考えではむしろ汎神論的であり、アニミズムに近い。ノムは、おそらく未来の宗教は汎神論的なものになるだろうと考えている。それは物質界と並んで、精神というか、魂というか、物質以外の存在を信じているからである。それが数学的に証明されることで、現代の宇宙論や素粒子論が抱えている問題(ダークマター・ダークエネルギー)も解明できるかもしれないと考えている。かつて日本の科学者でそうした理論を唱えた人がいるが、今では闇に葬られた。だからと言って、現在の我々が信じている世界観なり物質観や宇宙観が正しいとは言えないことは明らかである。そしてそれは、いつになるか分からないが、間もなく明らかになるであろう。

  未来世界では、神に変わる絶対者が必要であり、それは科学から生まれるものでなければならない。それが宗教的絶対者である必要はなく、むしろ政治的絶対者と云えるだろう。そして絶対者は個人である必要もない。たとえば連邦組織の政府、または閣僚という集団であっても構わない。とにかく絶対者が存在しなければ、永久に人間世界は1つにまとまることはできないと考える。また思想的にも1つにまとまる必要があり、ノムの不可知論に立てば、仮想の「絶対知」を神の代わりに据えることは可能であろう。絶対知は人間に対して、良心を持つことが最終的には生存にとって最良の選択であることを教えるだろう。そこから人間のあるべき生き方・倫理・道徳が生まれ、それは宗教に酷似した思想になるだろう。ノム思想もそうした思想の1つである(20.9.7「ノム思想(ノアイズム)とは何か?」・21.8.28「ノム思想の特徴」)

  そしてこれを「唯物的唯心論」と考える新たな思考が生まれるだろう。未だ物質以外の存在を人間は見つけることはできていないため、その存在があることを仮定することは意味がない。そのため仮の方法ではあるが、唯物的科学観から唯心的人間観を導き出すしか方法はないと考える。おそらく現在「生成AI」と呼ばれているものが、もっと高度に思考ができるようになった時点で、「人間の存在の意味・人間の価値・人間の心」などについて質問をしたときに、そうした唯物的唯心論に近い答えが返ってくることが予想される(21.4.6「ノムAIの提言」)。人間自身はまだそこまでの思考力を持っておらず、複雑に絡み合った事象の本質を解き明かすことはできない。せめてAIに期待するしかないとノムは考えている(7.4「チャットGPTに見る大規模言語モデルの限界と対策」)

(7.14起案・起筆・7.18終筆・掲載)


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