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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2022】

試行錯誤と修正の可否

2022-12-24
  試行錯誤(Trial & Error)は人間が成長する過程で何度も繰り返し行っていることであり、それは政治や経済、そして実験・研究でも行われおり、さらに戦争においても行われていることである(12.21「人の成長」)。プーチンは多くの誤りを犯したが、その修正が正しく行われているとは言えない。むしろ修正していないことの方が多いように見受けられる。戦争のような大義を掲げた行動では、修正は容易ではないのである(8.1「正義と大義」)。政治も同様であり、習近平はゼロコロナ政策の誤り(5.2「中国の「ゼロコロナ政策」の失敗」)を大衆デモの発生で学んだが、権威という面子に拘っているため、その修正もまた正しい手順を踏んでいないために失敗し、中国の体制が揺らぎ始めている(12.23「【時事短評】中国の失敗は体制崩壊に繋がるか?」)。本項では試行錯誤の本質を考察するとともに、その応用としての修正が可能な場合と不可能な場合について述べたい。

  4歳の孫が昨日、初めて「君ー、謝りなさい」とノムに向かって偉そうな口調で生意気なことを云った。どこから覚えてきた言葉であろうかと想像を巡らしたが、思いつかない。勿論ノム自身も家内もそうした言葉遣いをしたことはない。保育園で覚えてきたのかもしれない。だがこうした大人の社会で云う「分をわきまえない言動」はやがて、周囲の反発や嘲笑によって修正されていく。5歳になれば分別がついて「物心」が付くと云われていることから、恐らく来年にはこうした場違いな言行は無くなるだろう。孫はしつこくこの言葉を繰り返したので、ノムは「ジジちゃんのどこが悪かったのかな?」と聞いた。多分遊びの途中で仕事に戻ったことが気に入らなかったらしい。「ごめんね」の一言で孫は満足し、また新たな遊びを始めた。

  大人も同じような行動をすることがあり、それが社会的に反発を食らったり、仲間の間で嘲笑されたりすると「怒り」という感情に転化する。それを治めるには本人の自制心や道徳心が必要だが、近年ではそれらを持ち合わせている人が昔よりは少なくなった。現代教育が自己中心的な教育を行っているからである。「君は何をやりたい?」・「君は何が好き?」・「君はどんな人になりたい?」というような大人の善意からの問いかけが、人間を自己中心的な考えに導いていることを理解しなければならない。むしろ「君は何の役に立ちたい」・「君は何が嫌い?」・「君はどんな人を尊敬する?」と子どもに問うていくべきである。「何が嫌い?」という質問に、「虫」と答えたならば、そこから自然界の仕組みや昆虫の働きを説明して、「虫にも役割があるんだよ」と説き、「君にも役割があるんだ」と話しを導けば本当の教育になる。

  物事を修正するには科学的な思考が必要である。時には自分の過ちを認める素直さと冷静さも必要である。上記したプーチンが誇大妄想の間違いに気がつかずに失敗を重ねているのは、彼に科学的思考がないからであり、単に「力の思考」しかないためである。また素直さと冷静さもなく、直情的で最近は力の誇示にのみ頼るようになった。「サルマト」を実戦配備させることで世界の終末を速めている彼が修正ができない理由は、戦争の最初に「特別作戦」という「大義」を掲げてしまったことであり、その大義が誇大妄想からくる誤ったものであったからである。習近平中国共産党の「無謬性」を語ってきたことが、今回のコロナ禍の爆発的蔓延で誤ったイデオロギーであることが世界に知れ、規制緩和という修正を図ったが、それもまた誤りを重ねているが、それはプーチン場合と似ている面がある。中国の場合は、「ゼロコロナ政策」という発想自体が非科学的(8.18「ウイルスとの共存(ウイズコロナの戦略) 」)な大義であり、都市封鎖という馬鹿げた手法は一党独裁という体制だからこそ可能であったのであり、またここに来ての感染大爆発は一党独裁そのものがもたらしているものであると言える(21.1.23「武漢都市封鎖から1年・その評価は?」)。それを改めない限りこの国の「権力対国民」の闘争は終わらない。

  正しい試行錯誤は、失敗の原因を科学的に推考し、正しい手順で順番にその修正を試みる、という点にある(20.12.16「科学的思考の世界」)修正が上手くいかない場合は、さらにもう一度試行を重ねる。つまりこの手法は「修正主義」に基づくものであり、「改善主義」と呼ぶべきものである(20.9.13「工夫・改善」)。中国が共産党の無謬性を喧伝しているかぎり、決して修正主義はとらないはずだったが、今回は習近平が暴動を恐れて弱気になり、修正主義に走った。それも段階を踏まなかったため、各地に混乱と不安を呼び起こし、火に油を注ぐ状況となった。もし習近平が鄧小平に倣い、共産主義に資本主義を導入したような修正を行っていたならば、コロナ増大はあったと思われるがもっと緩やかなものになっていた可能性がある。また米国の支援を受け入れて米国製ワクチン接種を急いだならば、国民の不満も恐らく和らげられたと思われる。だが無謬性と面子に拘ってそれを拒否したために、国民はそれを知っていたかどうかは分からないが、国家が自分達のことを考えていないという確信を深めたに違いない。

  プーチン戦争ではプーチンの成功体験が決定的な戦略の誤りを導いている(9.30「世界はプーチンの思う通りに成功体験をさせてしまった」)。彼は戦争の本当の形や姿を知らず、力さえあれば敵を屈服させられると思い込んでいた。最初の侵攻は3日で終わると思い、その後の兵站を考えなかった。戦史を振り返るとそのことで失敗した事例は多い。戦闘が長引けば長引くほど兵站の重要性が増すのに、プーチンは力で押すことだけに集中して兵站を整えることを後回しにした。連隊が塹壕を掘ろうにもスコップが3つしか無かった、新兵には銃だけ持たせて軍靴を用意しなかった、などにそうしたことが表れている。当然の結果として前線では兵士の不満が募り、戦線離脱・脱走・自主投降・戦闘拒否、などが起きているとされる。兵士の数を増そうと焦れば、よりこの混乱は拡大するだけである。本来なら陣後の備えとして兵士に必要な武器や装備の生産を国民総動員で行うべきであるが、プーチンは「特別軍事作戦」という大義名分を掲げてしまったために、それができない。あくまでも軍と軍産複合体だけが行動するしかないのである。大義を誤ったために彼は失敗の重ね塗りをしている

  物事を成功させるためには大義(スローガン)の設定が最も重要である。実行者や国民がそれを理解し、受け入れてこそ物事は上手くいく。第二に本義を忘れてはならない事だ。戦争は相手の軍力を叩くことで成功させなければならないはずだが、プーチン戦争ではインフラにもっぱら攻撃を集中している。一説ではウクライナの士気を挫くことが目的だとされているが、それは完全に失敗している。反ってウクライナ国民のロシアへの憎悪・反感・抵抗心は増したと云われる。第二次世界大戦では米国が本義を忘れて民間人大爆殺と核兵器の2度に亘る使用で勝利を決定づけた。恐らくプーチンにはその成功が念頭にあるようだ。だが彼はその後まで考えているのか怪しい。つまり人類の文明崩壊まで考えているのか、地球環境の激変まで考えているのであろうか(21.3.27「第三次世界大戦後の現実 」) ? 現在の言動やサルマト配備からはそうした兆候は見られない。

  状況理論から考えると、大義を誤った場合、修正はほぼ不可能となる(21.1.18「状況理論」)。習近平が共産党の無謬性を否定し、コロナ対策の修正を図ったならば、国民もここまで混乱はしなかったのではないかと思われる節がある。つまり習近平が状況変化への順応性を強調していたならば、国民はこぞってその方針転換を受け入れたであろう。そうすれば現在起こっている混乱は避けられたかもしれない。プーチンも「特別作戦」は戦争の段階にまで進展していることを認め、その状況に応じて総動員を図れば、大義名分を変更したという順応性を国民は受け入れたかもしれず、停戦交渉も可能になる。だが大義がそのままでは両者とも決して譲歩することは有り得ず、路線の修正は不可能なのである。


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