【時事評論2022】
世界はプーチンの思う通りに成功体験をさせてしまった
2022-09-30
いよいよウクライナ領土がプーチンによって略奪される時が迫り、プーチンの見事と言える戦略に世界が何もできないことが証明されようとしている。こうした事態はクリミアをプーチが略取したときから分かっていたのに、世界はプーチンの秘密裡作戦に翻弄され、その脅威を最初から訴えてこなかった。これはプーチンが表向きの民主主義(在外ロシア人の意思を尊重するという似非民主主義)を掲げたために、西側報道が矛先を緩めてきた結果である。プーチンは非情で強引な政策を権力者になった途端から始めているが(ロシア高層アパート連続爆破事件)、その本質を見抜けず、報道してこなかったメディアに最大の責任があると考える。プーチンのこれまでの歩みを辿りながら、彼の成功体験に基づく世界の動かし方の裏側を見てみよう。
プーチンは母親の不倫によって生まれたと言う負い目を子どもの頃から味わってきた。貧しい育ちをし、小さい頃は不良少年であった。その後母は結婚したが義父に疎んじられた。そのリベンジをするため、権力に憧れた。KGBに入ったのは、幼少の頃からの憧れもあったようだが、その強い力に憧れたからであると考えると納得がいく。権力を得るためには彼はなんでもした。だが途中までは割と平凡な官吏であったようだ。だが1988年にソ連崩壊に遭遇し、1989年のベルリンの壁崩壊で衝撃を受け、ロシア・サンクトペテルブルクに戻った。運よくサプチャーク市長に引き立てられてソ連の資産をロシアに移転する仕事に就いたことで、今度はカネに目がくらんだ。対外交渉をする上で彼の冷徹な強引さが光り、上司に目を留められて出世街道をひた走り始めた(4.2「プーチン立志伝を生み出したロシア」)。市職員時代の彼を「礼儀正しく、遠慮深く、落ち着いた人物/権力欲が無く、地位よりも仕事を重視し、仕事一筋に生きるタイプ」と評価した上司がいることを忘れてはならない。プーチンは表向き実直な民族主義者であったのである。チャンスが与えられて、才覚によって大統領にまで上り詰めた。
彼はこの頃から蓄財に余念がなくなり、自前の会社を立ち上げたりしているが、今は首脳級でさえ持てない大宮殿に居座っている。自分の仕事への対価で儲けたものではなく、全て権力を傘にして横領したり、オリガルヒなどから貢がせたものである。彼は出世街道を歩むうちに、恒久的権力を目指すようになった。栄華を誇った人が没落して行く様を見てきたからである。上司のエリツィンも収賄で同様に没落したが、彼はその不名誉を繰り返すまいと、大統領経験者に不逮捕特権を与えて権力を移譲させ、かつ自分に当てはめた。憲法を改悪し、2088年まで大統領でいられるようにした。つぎに狙ったのは国家の繁栄と領土の拡張であった。それにはソ連という前例があったことが大きい。1998年に財政危機があったこともあり、当時のロシアのGDPランキングは21位にまで下落していた。「大国ロシアの復活」を掲げたのは、ロシア(ソ連時代)が世界で、世界第二位の超大国になったという体験があったからである。その武器は広大な領土と資源であった。だがソ連解体で領土を失い、唯一残ったのは人ではなく資源だった。ウクライナ侵攻直前まで、ロシアはその財政の7割をエネルギー輸出で賄っており、ガスプロムという国営企業が大きな力を持つことになり、多くの特権オリガルヒがこれに群がった(マフィア国家ロシア)。
プーチンは首相就任直前の1997年に、資源を活用する戦略論を書いている。またナチズムと同様、民族論で人を動かせることも学んだ。就任直後にベラルーシ・ウクライナはロシアと同民族だと決めつけることで、両国をロシアに編入させる計画も描いた。当時ロシアから安くエネルギーを得ていたドイツ・メルケルは、プーチンのこの遠大な謀略にはまり、2011年の福島原発事故を受けてエネルギーのロシア依存に傾いた。ノルドストリームを両国は2012年に完成させ、ノルドストリーム2も計画した。だがその途中の2014年頃からプーチンはクリミアを強奪し始めたことから、メルケルはプーチンに疑いを持ち始め、完成年度の2021年にこの計画を放棄した。これはドイツ繁栄の基盤を失うものであったために大きな決断を要したが、ナチズムから民主化を遂げて模範国となったドイツは大義を曲げるわけにはいかなかった。原発政策を放棄せず、ドイツと反対に原発推進に邁進していたフランスに遅れて、ドイツも遅ればせながら反ロシアの陣列に加わった。
だがこの過程で既にプーチン主導のロシアは成功体験を重ねた。ソ連崩壊後の経済的苦難は、エネルギー価格高騰でいとも簡単に解決され、それが2000年のプーチン政権誕生と重なったために、プーチン個人への称賛となった。それを追い風にしてプーチンは永久皇帝の座を獲得するために2020年に憲法の大幅改正を行い、これはすんなり承認された。あとはプーチンの考える戦略に従って事を進めるだけとなった。だが唯一、プーチンには国民の反乱による革命という事態だけは恐ろしい課題として残っている。そのため彼は国民に媚びを見せると共に「偉大で強いプーチン」のイメージを作ろうとしている。それは目下のところは成功してきた。大統領の支持率にそれは表れており、クリミア強奪の際には97%にまで上がったとされる。戦時に入っても、ロシア人以外の少数民族などを前線に送ったために、批判は少ないとされる。だが「部分動員令」が発令されたことは、事態を大きく変える可能性が出てきた。プーチンは初めて、国民から追い詰められる立場に立たされている。
クリミア併合までの経過についてはノムにも多少の記憶があるが、新聞・テレビの報道は、ロシアが背後から操って軍を進出させたのにも拘らず、ロシアという名を出さずに、「親ロシア派」と言う名称で通した。当時のノムも、親ロシア派住民が多いのなら仕方のない事かもしれないと思っていた。だがそれがプーチンのやり方であることを知ったのはつい最近である。つまり彼は真の動機・真の実態を隠し、偽りの動機・偽りの軍(当時「覆面部隊」と呼ばれた)を動員して物事を強引に力で屈服させるのである。それが今回も同様の手法で行われ、名目上はウクライナ領内の新ロシア派が動いているように見せかけてきた。メディアもそのように報道している。だが2月24日のウクライナ侵攻は名実ともにロシア軍の侵攻であり、世界もそのように報じた。だがここでも、動機には偽りが隠されていた。すなわちロシアは、戦争を仕掛けたのではなく、「特別軍事作戦」を実行しただけだ、という言い訳を作ったのである。本当はクリミアに通じるウクライナ沿岸部を全てロシア領にするという魂胆が見えていたにも拘らず、メディアはその本質を最初から報道しようとはしなかった。事態の進捗に応じた後付け説明をするに留まっている。
プーチンの目的・意図・戦略は最初から素人にも明白であった。それをメディアが解説してこなかったのは、単なる怠慢で済まされることではない(7.19「メディアの役割と責任」)。役人の場合には「不作為」という刑罰が適用されるだろうが、メディアにはそれがないのである。それどころか、戦時には各国メディアは全面的に戦争を支持し、戦後になって敗戦国のメディアだけが糾弾されるという愚かなことを繰り返してきた。だがメディアは明らかに、プーチンの本質を知ろうとすることを怠ってきたうえに、現在でもプーチンのやっていることを客観的に報道しているに過ぎず、時にはロシアのプロパガンダをそのまま伝えて、読者・視聴者に誤解を与えている(9.17「プロパガンダ」・9.21「社会にとって有害なメディア報道」・9.28「NHKはバカか!・親ロシア派報道を詳報」)。本来ならロシアによるクリミア侵攻時から第三次世界大戦が始まっていると認識すべきところを、局地的紛争と捉えることでロシアの世界戦略という本質を捉え損なった。今もって戦時体制を取れない西側の姿勢は、メディアがそれを押し止めているからである。ロシアも中国もメディアを挙げて戦時体制に入っている。だが遅れをとったからといって、決して負けることを意味しない。挽回は十分可能であると思われ、要は西側が戦時体制に如何に早く移行するかに掛かっている。
このまま世界や日本が「他国で起こっている紛争」、という視点に留まっていれば、プーチンは思い通りに自己戦略を展開し、世界は翻弄されるだけであろう。世界はプーチンにこれ以上の成功体験をさせてはならないのである。そのためには、せめてウクライナ東南部4州での偽りの国民投票の前に、西欧軍(NATO軍ではない)が結束してこれら諸州に軍事侵攻し、国民投票を実施させないようにすべきであった。それによって第三次世界大戦、すなわち全面的核戦争が引き起こされたとしても、また人類の文明が破壊されたとしても、歴史的に必然なことを少し早めただけに過ぎない(6.30「人類史から観た第三次世界大戦の必然性」)。ロシアの暴挙に対して西欧が毅然と戦ったならば、それは未来の歴史書に光栄ある記録として残される(20.12.15「AIによる歴史検証」)。すなわち西側には大義があるからである(21.8.21「「大義」論」)。専制主義には大義はない。世界は見て見ぬ振りをして、あるいは単に遠吠えのような批判を繰り返して不正を正すことをしなければ、このままずるずるとプーチンに成功体験を重ねさせるだけに終わり、ついには中国・ロシアが主導する専制国家が世界中に誕生することになるだろう。だがその専制国家群は呉越同舟であるため、すぐにでも自己崩壊して、世界は戦国時代に入ることになる(*005「大災厄後の世界」 )。