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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2022】

ジオシティー(未来の地下都市)

2022-06-24
  ノムは長い事、人類は地球表面で繁栄を誇った末に、自ら滅亡の種を蒔いて滅びようとしていると考えてきた(2.25「人類史」・4.7「人類の戦争史」・4.8「絶滅原理」)そうした危機感を持ったのはおよそ35年以上前の話である。仕事として環境問題を学校で教えてきたことが切っ掛けであるが、教職に就いた最初の頃はほとんど問題を感じていなかった。だが地球温暖化という現象を調べるうちに、それが科学的にも避けられない人類滅亡に繋がると考え出した。それを防ぐ手段はあるが、人類はそれを選択することができない、とも考えた。すなわち繁栄を棄てて、産業革命以前の生活に戻ることなど誰も選択しないという矛盾に気付いたのである。

  だが思考の状況というものは刻々と変化している。35年前の考えは多少修正され、人類は生き残ることができるだろう、という確信に近いものも最近は持てるようになった。だがそれはごく一部の人間に限られるだろう、という予測もした。その一部の人間とは、決して特権階級や政府の上層部のことではなく、アフリカなどの後進国に住む人々や山村に暮らす自給自足に近い生活をしている人々のことである。当時からそうした生活を目標としてきたが、結局は家族などの都合から東京から地方都市に移るだけに終わった。だが自給に少しは足しになる広い土地を得たため、現在は100坪ほどの菜園で野菜などを育てている。ヤマイモに大きな望みを賭けており、都会の真ん中でヤマイモを育てている。それも塀のフェンスを利用したり、物置の屋根を利用したりして無駄のない栽培法を研究している。「立体畑」と自称している合板で作った垂直畑は、解体すればそのまま長い芋が収穫が出来るようになっている。そうした自給自足を目指した生活は、ついに米の栽培にまで及んだ。数年の試行錯誤でなんとか作れることは分かったので、その後はやっていない。だが2年分のコメを購入して貯蔵している。変質は避けられないが、栄養素としての役割は果たすだろう。ウクライナでは穀物の腐敗が心配されているようだが、他人事ではないと感じている。

  自給自足の生活の追及と同時に、環境シェルターと称する未来型地下住居の実験も進めている(21.2.9「田園都市構想」・3.28「シェルター籠城におけるサバイバル術」)。既に25年前に建設は終わっており、延床面積は60坪を超える。太陽光発電施設も備え、太陽光温水器も備えている。水の確保のために井戸も掘ってある。良質で美味しい水が得られており、現在は畑への散水などに活躍している。残念ながら予算の都合から、シェルターは半地下となった。それでも夏場・冬場の外気との温度差は顕著に感じることができる。夏場に入った今、寝場所を自宅の方の半地下に移した。地下に降りると空気がひんやり感じる。勿論クーラーは無い。こうした設備については他項でも触れているので、本項では社会全体としての「ジオシティー構想」について書いてみたい。

  ジオシティー」という言葉はてっきり「地下都市」のことだと思っていたが、ネットで検索しても「ジオシティーズ」とやらのウエブサイト名しか出てこない。ということはノムのこの構想はオリジナルなものなのだろう。「地下都市」という言葉で検索すると「ジオフロント」という言葉が出てくる。これも一種の地下都市を意味することがあるようだが、広義では「地下空間」のことを指すのでどうもしっくりこない。やはり「ジオシティ」をノムの専売特許としたい(?!)。地下都市で有名なのは、トルコのカッパドキアに5000年ほど前から造られてきたものが観光地となっている。見学したことはあるが、退避用という感じだった。意外だったのは中国が冷戦時代に造ったとされる核シェルターであり、現在も100万人ほどの貧しい人々の住居になっているという。またワインセラーとして作られた洞窟もあるが、これは住居ではない。プーチン戦争において、ウクライナが3ヵ月も耐えられたのは、やはり冷戦時代のソ連がウクライナにも造った住民用核シェルターがあったからである。これはそれぞれの建物の地下に造られた。爆撃にも耐えられたが、ついに兵糧攻めでマウリポリは陥落した。今はセベロドネツクで攻防戦が繰り広げられている。いずれも工場の地下に造られたシェルターには1000人ほどが退避していた。カッパドキアの地下都市(そう呼ぶのはどうも違和感があり、シェルターと呼ぶ方が正しいだろう)もキリスト教徒が異教徒から攻められたときの退避壕であったらしいが、一説ではカイマクルでは万単位の人が暮らせたそうだ。

  ノムの「環境シェルター」は少し違った意味を持つ。逆の意味で使っている場合もある。すなわち、環境の異変から逃れるための退避壕という意味であるとともに、環境を人間活動から守るためのもの、という意味もある。これは制御思想から出てくる発想であり、人間が地上を思うままに荒らすことを避けるために、人間が自ら地下に生活の場を移すことを指している(21.1.7「制御思想」)。住居だけでなく、工場も地下に造ることを考えているが、その可能性は決してゼロではないであろう。交通網もできれば地下の方が良いが、莫大な資金が必要なので、当面は物流に限って「空気圧搬送システム(ニューマティック・トランスポーテイション・システム:PTS)」を考えている。これはカプセル状の容器に物資を入れて、チューブの中を空気圧で移動させて物流を行おうというもので、最初は地上に設置し、それを瓦礫や廃材で埋める形で地下構造物にするというものである。これは人間生活や産業から出る廃棄物の処理場としても有用であろう。コアと呼ばれる住宅などの集合体は、この物流PTSで結ばれ、また通信網(光ファイバー・ノムネット)でも結ばれている。人々は自家用自動車を棄て、共用タクシー、もしくはバスを利用するようになるだろう。それら電気自動車が、道路を走るのか地下道を走るのかはまだノムにも分からない。

  未来世界ではエネルギーを消費する旅行は差し控えるようになるだろう。江戸時代の「お伊勢参り」のようなものならば許容される。どうしても旅行したい人は、自分で歩いていくか、太陽光だけで動くレンタカーの助けを借りて、多少長期間に及ぶ旅行を数年に1回楽しむだろう。普段は仕事や自家菜園の管理に忙しいため、留守にするときはコアの仲間に留守中の菜園やペットの面倒を見てもらうことになる。これは互助会形式(昔の「講」に相当)の助け合いとなる。仕事自体が職住接近、もしくはテレワークとなる。交通にエネルギーを消費することは好ましくないからである。ノムは新幹線を使って片道3時間の通勤を10年ほど続けた。思えば罪なことをしたものである。その当時は最先端の通勤だと粋がっていた。1日のうち6時間以上を通勤に費やすなど、現代でさえ考えられないようなことをやってきた。それだけに同じ過ちを繰り返したくないという思いがある。

  日本は都市部の人口密度が高いため、住宅地・商業地・工業地が複雑に絡み合って平面的に広がっている。だが未来では中世のヨーロッパのように、スポット的な円状の都市に変化していくことだろう。いわゆる集落的な分布に変わっていくと思われる。これは移動効率を考えれば分かることであり、細菌のコロニー形成と同様に、人間もコロニーを作っていくことになるだろう。そのコロニー同士を結び付けるのは前記した物流・情報流のネットワークである。そして地上はほとんど緑で覆われるようになるだろう。そうなればもはや地球温暖化に悩まされることも無くなるかもしれない。少なくとも原理的にはそうなるだろう。あとは自然災害や天変地異がどの程度の頻度で人間などの生物界を襲うかであるが、それは天命だと思って受け入れるしかない。運を天に任せるというのが最後の覚悟であり悟りでもある(20.11.7「運命論」・21.6.13「確率論」)


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