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【時事評論2021】

現代の民主主義は本当か?

2021-10-09
  民主主義が人間の考え得る政治体制の中で最良のものであると考える人は、世界的に見ても圧倒的に多いであろう。だがノムは民主主義が持つ衆愚性(ポピュリズム=大衆迎合主義)や、それが持つ基本的矛盾からして、民主主義は決して最良のものではないと主張してきた。但しこの議論では前提条件があり、ノムは賢人政治の下での全体主義(真社会主義)が最良のものであると考えるが、現代のような状況では民主主義が妥協的ではあるが最良であるとすることには同意する。つまり仕方なく民主主義を採らざるを得ないと考えている。他に歴史上に試みられた体制でこれに勝るものはいくつかあったが、その当時の状況と現代の状況では多くの点で決定的差異があり、同じ条件では比較できないからである。

  たとえば古代ローマの帝国主義は周辺諸国にもそこそこ繁栄をもたらし、なによりも安定があった(20.11.12「ローマ帝国と中華帝国、そして未来世界 」)。多少の異民族への弾圧はあったと思われるが、それも反乱を起こすほど脅威となるものではなかった。ただローマ帝国(前27年-1453年)は侵略に次ぐ侵略で繁栄できたのであり、それが停止したハドリアヌス帝統治(117-138年)の頃から衰退が始まり、現在のスペインの場所にあったラス・メドゥラス金鉱山が4世紀頃から枯渇したことでその繁栄の根拠が失われた。つまりローマ帝国は元々安定した継続的条件には無かったのである。それに対し、日本の徳川時代は250年ほどと短い期間ではあったかもしれないが、諸々の条件から持続性をある程度備えていた。それは単独権力ではなく、朝廷というもう一つの権威があったこと、為政者が国民の安寧を第一に考えていたこと、為政者が贅沢を戒め、江戸幕府が諸藩の暴政を防いだこと、武士道というサムライに誇りを持たせる規律があったこと、民の文化が自由に発展したことなどが挙げられる(20.9.1「武士道精神とは何か?」)。事実幕末には天災も多く発生し、必ずしも豊かであったとは言えないが、天下泰平」という言葉が象徴するように、体制の不安材料は無かった。徳川幕府が滅びたのは、一重に黒船来航による国内の国論分断が原因であった。それは歴史的に避けられない開国に繋がり、さらに上記の基礎があったために、日本は世界に勇躍できたのである。

  では日本の徳川幕府は民主的であったかというと、封建社会と言われるように決して体制的には民主制度の要素を備えていなかった。ただ幕府は「目安箱」を設けたりして国民の声を直接訊こうとする姿勢を持ち、また諸大名は家臣から領民の声を間接的に訊くことが多かった。つまり視点がどの時代に於いても「国民の安寧」にあったことは明らかに他国とは異なっていた。特に徳川時代は鎖国を敷いたため、諸外国との交易で経済が潤うことも無かった代わりに、交易に伴ういざこざもほとんど無かった。ある意味では「一国平和主義」を貫くことができた時代でもあった。農民は貧しかったがそれを不満に思わなかった。暗黙の身分制度があったこともあり、国民は「分」を超えた要求はしなかった武士も領民に対して理不尽な暴力を振るわなかった。ただ日本も、開国したことにより、上記諸条件が全て崩れたことは間違いない。ただ日本の安定というものを未来に生かすことは出来ると思われる。

  明治維新という画期的な偉業を成し遂げて開国した日本は、その直後の国論の分断から内戦(戊辰戦争)はあったが、それも天皇の存在という大きな一致点があったことで、国論分断にまでは至らなかった。旧幕府軍側として戦った會津藩(福島県)・庄内藩(山形県)は負けた後も廃藩置県によって存続できたし、新政府の圧政を受けるどころか、その支援(西郷隆盛)を受けて見事に復興している。庄内藩では武士が生糸産業を興し、逆に明治政府を支えるほどに豊かになった。庄内のある村では村民挙げて西郷の肖像を長押(なげし)に掲げているという。敵をも尊崇するというのは世界的にも珍しいことであろう。没落武家も武士も、それなりに維新後に栄達を遂げているのである。どこかの国のように、敵や敗者を徹底的に排除するということが避けられたという意味は大きい。それは日本的風土によるところが大きく、世界的には普遍的なものではない。

  だが日本の体制は、権力者や天皇が国民のことをいつも大事にしたという意味で、ノムは非常に民主的であったと観る。その精神は未来にも引く継ぐべきものであるが、それは日本の長い歴史の中で育まれたものであって、世界に当てはめることはできない。未来世界は日本的な民主主義を新しい体制(連邦制度・賢人政治)の下で改めて創り出していくしかないのである。

  一方西欧流の民主主義の成立条件は、繁栄と成長にあった。白人が発明した科学技術(航海術・動力革命)は世界を席巻し、世界を一時的には支配した。そのような中で民主主義は思想として生まれた。すなわち自由競争が最善であると見做されたからである。だがそれは原理的に言って人間活動の最大化をもたらし、地球という人類の生存環境を破壊するに至った。既に自由競争は許されない状況になっているにも拘らず、繁栄と成長を求め続けているという矛盾が現代にはある。それが許されないと悟ったならば、停滞、あるいは縮小の経済下で民主主義が成り立つかということを、もう一度考え直す必要があるのである。

  最後に確認しておこう。経済を縮小するということは、人々の中に必然的な犠牲者が生ずるということを意味する。そのような条件になった時、人々は争わずに安定を維持することができるであろうか? 現代の自由が束縛されたとき、人々はそれを不満に思わないであろうか? ノムはそれはできないと確信している。人間はそのようにはできていないからである。人間の生存本能を考える時、自分にとって最も有利な状況を人は求める。百人百様に有利な条件を求める結果、そこには利害の衝突が生まれ、国論は四分五裂するであろう。それを制御できるのは強力な権力の存在しかない。日本は天皇という権力の象徴を建国以来戴いてきたが故に、長い安定が維持できたのである。では未来の強力な権力を誰が持つのが最適なのであろうか? それは世界民から選ばれた賢人しかいないであろう。しかも世界は主権を持つ多国家制から、唯一の主権を持つ連邦制へと移行しなければ争いを回避することは不可能である(20.12.26「主権論」・3.28「世界連邦の可能性 」)。そのような未来をノムは真社会主義と呼ぶが、これは個人主義から全体主義への移行によって可能になる(20.12.23「真社会主義」・8.24「未来の全体主義と現代の個別主義 」)

  日本に倣うべきことのもう1つの条件は、全体の調和にある。権力者は民の最善を願い、民は権力者を尊崇するという在り方が「」という概念によって出てくる(9.27「「分相応」とはどういうことか? 」)。権力者はその分をわきまえて毅然としながらも民に優しく、民は権力者を尊崇しながらも世の中を自主独立の気風で改善していくことができるという体制が好ましい。これは乗り越えられる階級制度とも言える。事実日本では、優れた民間人が幕府によって登用されてきた(二宮尊徳・渋沢栄一)。未来世界では、人格点が優れた者がどの分野に於いても指導者として登用され、そのような中から選ばれた賢人は誰しもが尊崇する存在である(5.1「賢人政治は成り立つか? 」)。賢人らが行う政治は是々非々であって、特定のイデオロギーによるものではない。議論は活発に行われるが、一旦世界政府や各国政府の賢人らが決めたことには、全ての政府と国民はこれに従うことになる。すなわちここには争いの余地はない。これこそが真の意味での民主主義となるであろう。

  もう一度改めて問いたい現代の民主主義は本当に民を主としているのであろうか? 権力者や資本家が有利な世界になっていないであろうか? ここ数十年の世界の状況を見ても、貧富の差や政治家の悪徳が増大してはいないだろうか? もしこれらを「その通り」と同意する人がいるならば、改めて「現代の民主主義は本物なのだろうか?」と問い直してもらいたい。そして思考に制限を加えず、根本的なところから未来世界というものを想像(創造)してみてもらいたい。そうすれば自ずと、こうした世の中ができれば良いのだが、と思うイメージが浮かんでくるであろう。それは以上に書いたように、権力者が尊崇されるような、そして民が掟に素直に従って最善を尽くすような、そんな世の中が思い浮かんでくるのではないだろうか。(10.10加筆)


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