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【時事評論2020】

人間は「競争」、および「競争心」を克服できるか?(23.4.25追記)

2020-09-07
  前項で人間の競争というものが人間の繁栄と文明をもたらし、それが今度は人間の存在そのものを脅かすということを述べた。ではノム思想はこの人間の競争、それをもたらす人間の競争心という本能を克服できるのであろうか。本項ではその具体的方法を述べたいと思う。そしてその前に、日本と中国の経済の奇跡的発展の歴史を振り返って教訓としてみたい。
 
  日本は建国以来の天皇制の下、世界でも極めてユニークな歴史を辿ってきた。その特徴の一つが江戸時代の徳川幕府という武家政権による鎖国である。この鎖国は完全なものではなく、一部門戸を開いて海外の学問・文明品を取り入れてきた。九州では薩摩藩が密かに交易を行っていたものの、日本全体ではほぼ鎖国が敷かれていた。言ってみれば内需しか無い経済であったが、それは極めてうまく回っていたため、幕末まではある意味で「天下泰平」という状況が続き、庶民文化が栄えた。

  だが西欧の圧力で開国させられ、明治維新という動乱の一時期はあったものの、新政府は今度は西欧に追いつき追い越せとばかりに近代化を急いだ。それは富国強兵という理念の下に急激な社会の変革をもたらした。だがその成功が傲慢を生んだことも確かであり、防衛のために朝鮮・中国に進出した。それは当時の状況からすれば当然の成り行きであり、結果的に侵略と言われるようなことになったが、日本としては西欧による植民地化を恐れたが故の行動であり、植民地主義に立っていた西欧から非難されるいわれはなかった。

  だが結果的に欧米列強から中国のことで非難され、国際連盟を脱退して戦争への道を選んだ。当時も世界一であったアメリカに単独で挑んだ太平洋戦争は、大義を掲げたものの惨敗し、進駐軍に約7年間統治された。米軍統治下にあった沖縄が返還されたのは27年後である。その間に1950年に朝鮮戦争があったこともあり、日本は奇跡的な復興に成功した。1960年に池田内閣が所得倍増計画を発表し、10年間でGDPを2倍にするという大風呂敷を広げたが、これを7年間で実現した。何しろ戦後に主要都市は爆撃で壊滅的であり、生産手段を失っていたのが復興できたのは、朝鮮戦争特需で工作機械が大量に輸入されたためであるとも言われる。一方アメリカの統治下での洗脳教育により、日本人は以前に増して平和的な民族へと戻った。戦後の日本人には戦争というものは想像すらできないものになっている。
 
  中国はアヘン戦争で欧米の収奪戦略に喘いだ。日清戦争では完敗し、その誇りと共に皇帝を失うことにもなる。そのような中、共産主義が浸透し始め、毛沢東率いる共産軍と蒋介石率いる国民党軍が内戦状態に陥り、そこに日本軍も侵入して三つ巴の戦争が続いた。結果的に第二次世界大戦で日本が敗戦したことで毛沢東と蒋介石の内戦に舞い戻り、毛沢東軍が勝利して蒋介石は台湾に逃れた。だがこの頃の中国はほとんど手付かずの文明から取り残されたような状況であった。毛沢東の大躍進政策は数百万の餓死者を出して失敗し失脚したが、文化大革命で息を吹き返した。だがこれでも数千万の餓死者・粛清があったという。時代は鄧小平に受け継がれ、彼は文化大革命を否定して終了させ、後に改革開放を唱えて近代化を図った。このとき世界から見捨てられていた中国に手を差し伸べたのが米国のニクソン大統領であり、それを機に日本も国交を再開した。そして米日による経済支援の下、中国は躍進を開始したのである。

  もともと中国人は頭がいい。バイタリティーもあり、競争心に富んでいる。立身出世は彼らにとって必須条件である。日本と同じように、西欧に追いつき追い越せの競争をしているうちに、あっという間に技術を米日から学んだ。共産主義という名称は名ばかりになり、金権主義・利権主義がまかり通る独裁資本主義となった。これを国家資本主義という人もいる。GDPが急速に上昇しだしたのは2005年頃からであり、年率10%を優に超える高度成長を成し遂げた。GDPを倍増させるのに要した年数はたったの5年である。日本よりもすさまじい成長が少なくとも2020年まで続いている。2010年には日本を抜いて世界第二の経済大国になり、この15年間にあっというまにアメリカに並ぶ強国に成長した。だが金権主義は定着し、汚職大国でもある。日本と比べると品位から言ってもまだ遠く及ばない。国民一人当たりのGDPで比較すると、2018年統計では米国9位・日本26位・中国72位となっている。2020年の中国の平均年収は3万元(約46万円)であり、月収1000元(約1万5400円)の国民が6億人いると全人代で報告された。貧富の格差が顕著であることは社会主義国とは言えない。
 
  成長礼賛主義にあった世界が、今岐路に差し掛かっている。コロナ禍は各国を鎖国状態に追い込み、産業を根底から変えようとしている。内需と国内生産が重要になりつつあるのは、鎖国状態であった過去の日本に学ぶべき点が多いことを改めて教えてくれた。さらに数歩進んで、未来世界ではほぼ内需だけで経済を回す仕組みに進化するであろう。貿易というものがほとんど無くなるからである。物流という観点から言えば、資源は適正に分配されるので、資源の物流は残る。だが木材などの生物資源の輸出入は極力制限される。それは自然生態系を維持するためであり、余剰がある国だけが不足している国に輸出できる。アマゾンの生態系は保護される。
 
  貿易というものが無くなることで、各国間の経済競争というものも無くなり、国内だけの競争が残る。だがそれも、企業の価値が企業格というもので比較されるため、営利だけを求めようとする企業は低く評価される。社会にどれだけ貢献しているかがAIによって判断され、それによって企業の価値が決まり、企業格という点数評価も決まる。そしてその評価によって国家・自治体の企業への注文が増えることになり、その企業は栄えることになる。社員の給与も人格点によって相対的に決まるので、営業成績を上げることに意味が無くなり、競争は人格点の競争になる。それは企業間の競争というものに本質的な変革をもたらす。結論的に言えば、来世界では利益優先ではなくなり、社会貢献が優先となることで、その評価は人格・組織格によって決まることになるのである。つまり人や組織は制度的に定められた「格付け制度」によってこれまでに無かった新しい価値を競うことになる(20.8.30「未来世界における人格点制度」)。ノム思想は競争を否定するわけでも、競争心という本能を否定するわけでもない。それらを人間が自然に備えていることを前提にして、それらをコントロールすることに主眼を置く。その手法はゲーム理論によって組み立てられる。どうしたら格を上げることができるかを人は競うことになる
 
   後日知ったことだが、英国には「競争・市場庁」というものがあるそうだ。日本の「公正取引委員会」に該当する庁であり、独占を禁止している。つまり競争を適正化しようという趣旨の行政機関である(21.1.7「制御思想」)。決して競争を奨励しているわけではないが、競争を否定しているわけでは勿論ない。だがノムは競争自体を否定的に捉えており、競争は人間本能から出てくるものであるためそれを無くすことはできないが、善導することはできると考えている。そこに良い競争と悪い競争」という考え方が出てくる(21.1.31「良い競争と悪い競争」)。そういう意味で、人間は競争心を無くすことはできないが、社会としてそれを制御することはできるし、現在でも法の下でそれを行っている。未来世界ではさらに発展させて、競争の元になっている立身出世欲を人格点制度で低く評価し、経済競争の元になっている利益優先主義を社会貢献主義に置き換えることで、国格点で評価するようにして、これら組織による競争を制御する方法が取られることになる。(23.4.25追記)


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