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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2024】

人流と物流

2024-05-08
  人流と物流は古来から人の営みとして行われてきた。そもそもホモサピエンスはアフリカから移動して、世界に広まったとされる。アフリカが居心地が悪かったからなのか、好奇心に駆られて新天地を求めたのか、その理由については我々は知る由もない(20.12.24「人類の好奇心と冒険心(1)(2)」)。しかし台湾から沖縄の島に移動した人々は、かなり命懸けの試みをしたということが明らかになっている。10万年前から黒潮の流れは変わっておらず、台湾に住み着いたホモサピエンスはその流れの向こうに島影を見たようだ。そしてそこに行ってみたいという好奇心を募らせたようだ。そして、恐らく丸木舟を使って、何度か渡航を試みたと思われる。運が良かった一団が沖縄の島に辿り着いたのはおよそ3万年前とされている。そしてその島に住み着いた人の中から、さらに東の島を目指した人たちがいた。

  人がその居住地を離れて、他の場所に移動したり、人と会うために旅をしたり、食べ物を求めて様々な未知の土地に行ったりするのは自然なことであろう。その中で、命を失う覚悟までして冒険を試みる人々がいるということは、人間の持つ好奇心が、恐らくは本能的に植え付けられているものである可能性を示唆している(21.11.18「本能論」)。以前の項でも書いたことだが、コクゾウムシが米の袋から、まるで逃げ出すかのように放射状に散っていく姿を見たことがある。食料が目の前にあるのに、なぜ他所に向かおうとしているのか、理由が分からず当惑した。その様は恐ろしいものだった。何千匹とも思えるコクゾウムシが床一面にうごめく様を想像してほしい。ぞっとする光景であった。

  人間にもそうした本能があるとすれば、衣食住に不自由は無くても、他所に行こうとするのが本能的な欲求から生じるものだと考えることに違和感はないように思われる。現代では、人々は難民を除いて衣食住の条件は満たされている。それでも人は旅行をしたいと思うし、特に外国旅行に憧れる。だがそれは徒歩なり自転車に依るものならば余計なエネルギーは使わないが、現代の交通機関を利用するとなると、化石燃料の使用を増加させることに繋がってしまう。そうしたことから、ノムは未来世界では、得られる自然エネルギー(再生可能エネルギー)の範囲でしか、人の移動は認められなくなるだろうと考えている。いわば本能を抑制する必要が出てくるわけだが、そうせざるを得ないのが実情であろう。

  物流に関しても同様なことが言える。古代から人々は物々交換を通して、あるいは儀礼的贈答品のやり取りを通して、かなり遠いところの人々と交易を重ねてきた。それはかなり古い時代の遺物の中に、遠方の地でしか得られないものや作品があることから分かっている。そして貨幣が登場したことで、物々交換は通商という形に変わった(23.2.4「通貨論(貨幣論)」)。それにより物はより多く、より早く移動するようになった。物流という現象が顕著になったことを意味する。そして物流のために多くのエネルギーが費やされるようになった。近代以前では、そのエネルギーは人力などの動物力か、風などの自然力であったが、産業革命以来、石炭・石油などの化石燃料を使った移動手段(鉄道・船舶・航空機)が使われるようになった。これもまた「より多く、より早くの原理」が働き、今や物流は膨大な量に及んでいる。そして不必要なほどの大量の化石燃料が、移動手段のために消費されている。たとえば遠洋で獲れたマグロを我々日本人は寿司として多食している。

  未来世界では、これらの人流・物流の多くに制約を課さなければならなくなるだろう。それが自然エネルギーの範囲であるならば問題はそれほど大きくはないはずだが、化石燃料を使っていれば、地球温暖化は避けられないことだからである。数万年から数億年を掛けて蓄積されてきたエネルギーを、我々現代人が数百年で消費すれば、地球の大気に変化が生じるのは当然のことであり、それは温暖化だけでは済まなくなる可能性を秘めている。ノムは酸素の不足さえ懸念されるのではないかと考えているが、今のところ、科学者の中にそのような説を唱えている人はいない。もっぱらCO2の増加だけに気を取られているが、地球環境が灼熱化した場合、森林も山火事で失われ、植物そのものの量が減れば、酸素の供給源に不安定要素が生まれるだろう。気温が上がれば海洋によるCO2吸収能力も落ちることから、CO2も劇的に増加するだろう。これらは正のフィードバック現象として知られていることである。

  だが人間の心の中に、こうした人流・物流に対する抑制力というものが生まれるかどうかは、極めて疑問であり、それらが人間の本能から生じているものである限り、自己抑制力には限界がある。恐らく未来世界では、強制力を伴う抑制策が採られることになるだろう。それは、①国外旅行の禁止・②旅行に於ける乗り物の禁止・③贅沢品の消費の禁止・➃一生に於ける消費物資の制限、などが政策的に取られることになると思われる。それが人間の心にどのような作用をもたらすかは、過去の事例を参考にするしか手掛かりはない。昔はもっと質素で慎ましやかな生活であった。近代以前まで遡った生活様式が、もしかしたら求められているのかもしれない。ただ、現代の技術がその不便をかなり補ってくれる可能性はある。昔はエネルギー効率が非常に悪かったが、現代ではかなり効率が上昇し、未来ではもっと効率は上がっているであろうからである。そして人類は、消費よりも知的生産性を求めるようになるだろう。それが高度な精神的文化を育む原動力になってくれれば、人々の間に不満は生じないと思われる(21.3.15「物質文明から精神文明へ」)

  そういうノムは、かつて若いころはかなり消費家であった。物を買い求めることが多く、特に園芸関係などの趣味にカネを使った。月平均の小遣いは10万円ほどに上り、贅沢をしたわけではないと思うが、結果的に多くの資材を消費してきた。海外旅行は30回以上に上り、多くの国を見てきた。だが、消費ということを意識しだしてからは、特に老後の年金生活に入ってからは、消費をできるだけ抑えるように心掛けている。そしてそれは苦でも我慢でもなくなり、むしろ消費を抑えることを楽しみにするようになっている。旅行もほとんど行かなくなり、友人と会うこともほとんど無くなったが、何も不自由は感じないし、土と戯れているだけで幸せを実感できるようになっている。人は心掛け次第で、どのような環境にも適応できるものだと、日々感じている。「スマホが無くては生きていけない」と言った学生の言葉が不思議に思えて仕方がない。スマホが無かった時代にノムは生きてきたからである。

(5.5起案・5.6起筆・終筆・5.7掲載)


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