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【時事評論2021】

本能論

2021-11-18
  本能は生物が生きるため、子孫を残すために、脳なりに仕組んだ行動パターンである。人間以外の生物はこの本能に従って行動をし、定められた寿命で滅びることが宿命として定められている。だが人間だけは知能という生存本能・生殖本能以外の知的本能を持ったため、その行動には人間の意思が係わるようになり、人間は多種多様な行動を取るようになった。だがそれはしばしば生存競争と生殖本能という基本本能によって人々の間に衝突をもたらした。そこで人は集団をつくる際に、というものを定めることで、この知的本能に制限を加えた。集団の役に立つ知的活動は有意義なものとされたが、集団の益に反する自分勝手な行動は戒められるようになり、社会に自ずと掟(ルール)が生じることになった。本項では人間本能を中心に、その社会論的意義についてまとめてみたい

  人間が生物の1つの種である限り、基本的には生存本能と生殖本能が優先されるため、人間社会はこれらを満たすことができる体制や社会インフラを作ることが必要であった。そして知的本能もある程度満足させる必要があり、文化というものが集団内に生まれた。人間は社会に不利益な害をもたらさない限り、分業という職業に知的活動を生かし、また自分の知的本能を満たすために芸術活動という形で私的活動も行っている。生存本能は主としてを社会が保証することで満足させることができる。過去の人間活動の主たる部分はこの食の生産に費やされた。また人間が生存していくためには衣食住が必要であり、の生産と住の生産も重要となる。衣の生産は繊維を作ることから始まり、それを織って服を作る分業に発展した。の生産はかつては村という集団の共同作業であったが、徐々に分業化されて建設業というものに発展した。

  だがおもしろいことに、生殖本能を満たすことを社会は仕組みとして取り入れなかった。ただ婚姻制度というものを設けることで、私的に生殖を行うことを認めた。逆に言えば、公的場で生殖を行うことを禁じたのである。一部の国では公娼制度を採り入れ、賢明な対処をした。これは生殖本能というものを人間が特別なルールで制御しようとしたことを意味する。その理由は、生物界をみれば分かるように、無制限の生殖活動はしばしば、大型動物の場合オスの間に闘争をもたらしたからである。これは社会にとって不利益なことであり、それを防ぐためには婚姻制度という形で枠を設けることである程度は防ぐことができた。だが不完全なことに、性欲は幼少期からあるものであり、思春期に最大となる。だが人間社会が成熟してくるに従って婚姻は遅くなってきたことで、独身者に性欲のはけ口がないことになる。また身障者や伴侶を無くした場合や単身赴任というような場合にもはけ口を失う。さらに同性愛や同性婚の問題も生じている(20.10.29「性的マイノリティの問題」・3.18「同性婚問題で地裁が憲法矛盾判決 」)。これは大きな社会的問題であり、それを未だに人間は解決していない(3.21「性の多様性(21.4.25追記) 」)。そしてそれによる破廉恥で女にとって不条理な犯罪は今や見過ごすことができないレベルに達している(20.8.21「政府高官や有名人の性的不祥事 」・3.24「西欧の性的腐敗の原因はネットの自由性にある 」)

  知的本能は知的好奇心というものをもたらした。これは生存本能や生殖本能にも備わっているが、それはその範囲に留まっている。人間の持つ知的好奇心はあらゆる方面に及び、それが法則や原理の発見に繋がり、科学的手法というものを編み出し、科学技術の発展をもたらした。個人の知的好奇心や知能、そして信条や思想は他者からは知ることができないため、これらは個人が自由に発展させることができた。だが現代に至って思想の自由だけは脅かされるようになり、特に独裁体制の下では思想教育によって思想の自由は奪われた。逆に科学的知識や研究という行動は、殆どの場合社会の発展に有益であったため許容された。社会において学者や研究者は高い社会的ステータスを得ている。

  未来社会を考えた時に、大きな課題となっているのが以上に挙げた中の、①性本能の制御・②知的本能の制御、の2つとなるだろう人間の性というものが、単に生殖のためだけでなく、むしろコミュニケーションと娯楽の手段となっていることから、性行動を婚姻関係の中だけに閉じ込めるのは矛盾であり、それを社会として発散させるための場を設けることが必須の課題となるだろう()。知的本能に関して言えば、その価値がこれまででは無制限に認められてきたが、それがもたらした科学技術が誤った過剰な欲求を生み出し、無制限な消費をもたらしたことを考えると、科学技術の発展に枠を設けなければならなくなっている。たとえば宇宙開発や宇宙観測、そして寿命の延長といった、人間の分を超えた領域での研究開発に莫大な予算がつぎ込まれ、軍事にも同様にそれ以上の予算が投資されている。これらの技術が引いては人間の存在を許さない環境の激変に貢献してしまっているということを、もう一度考え直さなければならない。

  ノム思想はこの2つの本能がもたらす問題に対して解答の糸口を示している(20.10.5「人間本能の制御は可能か? 」)①の性本能の制御については、婚姻制度の見直しから始まるだろうが、仮に婚姻制度はそのまま残したとしても、婚姻関係以外の性活動の場を社会的に設けることを提案する。②の知的本能の制御については、前記したような宇宙開発や軍事開発の場を無くすことで、そのような研究ができなくしないようにすれば良い。個人で出来る範囲のものや、予算やエネルギーを莫大に消費する研究以外のものであれば、研究の自由は認められるべきであると考える。そして現在のような、軍事・産業、そして会社の利益に繋がるようなものではなく、国民の利便性の向上やエネルギー効率の向上、そして長期的使用に適した天然素材のものを開発することが、研究者の目標となるだろう(7.11「利便性はどこまで求めるべきか? 」)。数学には制約は全く必要がない。それはエネルギーや物質の消耗がないからである。ただスパコンを使ったシミュレーションには制限が必要だが、それを経費として徴収すれば制限となるだろう。

  以上の2つの問題が解決できれば、人間の未来世界における生活は安定した満足のいくものとなるだろう。すなわち、本能を認めつつ、それに社会的制約を加えることで適切に制御すれば、人間にとっても自然界にとっても、ウィン・ウィンのものとなり、世界全体の調和が可能となるのである。これまでの世界では人間の本能を直視することを避けてきたために、諸問題を解決することができなかった。人間の本能の本質を理解すれば、それのどこに現代での問題があり、それをどう制御すれば解決可能なのかが見えてくる(4.8「現代人の動物性 」)。本能論を考える際には、単にその個別事項を研究するだけでなく、それを基に人間の在り方を探ることが有意義である(20.10.4「人間本能の階層構造 」・10.21「人間の欲望との闘い 」・10.30「仮想現実に生きる時代 」)。生物・動物・人間の本能に共通する基礎的な事項と、個別の特徴とを勘案し、人間の本能の特殊性に注目して、そこから生ずる諸問題(闘争・戦争・国家・法)に対して本能論から解決法を見出していくべきなのである。


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