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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2024】

権力の善なる意思と国民の納得

2024-05-02
  本項は2年近く前に起案したものであるが、前項を書いたことでその後に続けることにした。既に1600字以上を書いていたため、前項との繋がりはあまり明確にはできないかもしれない。

  権力を奪取しようという試みの多くは、権力志向者の利益を優先して考えている。2年前のミャンマー国軍によるクーデターはその端的な事例であり、国軍最高司令官のミン・アウン・フラインが中国にそそのかされて、中国のミャンマー属国化計画に則った形で権力を我が物にするために、クーデターを起こしたとノムは考えている。決して民が政治に不満を持っていたわけではなく、フラインが理想を掲げて起こしたクーデターでもなかった。それまで日本を含む西欧の支援で奇跡の繁栄を誇ったミャンマーでは、国民生活が破綻するほどにコロナ禍と戦火(内戦)で疲弊しつつあるが、フラインはそのようなことにはおかまいなく、国民を弾圧し続けている。

  だが本項ではそうしたクーデターによる権力奪取の中に、理想を求めて革命を志向した者がいたとした場合を考えてみた。孫文の辛亥革命などはそれに相当するであろうし、他にもインドのマハトマ・ガンディーによる英国植民地支配への抵抗なども該当すると思われる。こうした理想を求めて国民のための革命を志した人々の持つ意思なり矜持が、国民に全面的に受け入れられるかどうかは、国民がその革命に同調するかどうかに懸かっている。すなわち、国民が納得するかどうかが、この革命が成功するかどうかの分かれ目になるとも言えよう。

  歴史をこのような視点で改めて探ってみると、そうした革命が、当初思ったような成果を上げていないことが多いように思われる。たとえば比較的近年に起こったアラブの春(2010-2012年:チュニジア・ヨルダン・エジプト・)などを見てみると、その大部分が再び専制に戻っており、唯一民主化に成功したとされるチュニジア(2010年12月:ジャスミン革命)でも2021年7月26日に政変が起こって、サイード大統領が首相を解任し議会を停止したことで独裁化に進む気配が強くなった。他のアラブ諸国を見ると、シリアではアサド政権側の政府軍と反体制組織等による泥沼の内戦状態に突入した(シリア内戦)。エジプトでは2013年エジプトクーデターにより選挙で選ばれた政権が幕を閉じることとなった。リビアイエメンではこれまで続いてきた抗議運動の高まりにより政権を打倒したものの、その後国内が分裂し、リビア内戦イエメン内戦を招いた。そのイエメンでは暫定政府側とフーシ派など、いくつかの勢力が内戦状態にあるようであるが、最近はフーシ派によるガザ紛争に絡んだ反欧米軍事闘争が過激な行動に出て注目されている。

  変革は一朝一夕には安定をもたらさず、反って矛盾が露呈することで内乱・内戦に及んでしまうことが多い。それは結局、国民の不満に乗じた短絡的な利益獲得集団がうごめくからであり、ガンジーのような理想を持つ人物が居ないことが悲劇をもたらす要因となっている。そしてガンジーも、独立後に暗殺されてしまった。だが幸いなことにガンジーの精神は今も高く評価されており、インドは多宗教の問題を抱えながらも発展し、現在のところは比較的安定している。だが世界一の人口を抱えた矛盾だらけのこの国家を率いるナレンドラ・モディ首相のヒンドゥー教に基づく現実主義は傲慢さを表しつつあり、西欧にもイスラムにも属さない独自の路線を模索し続けている。これらの事例から、国家の指導的立場に立とうとする者は国民の求めるものに敏感でなければならず、たとえ大衆迎合ではあっても彼らを納得させるような結果をもたらさなければならないことは明白である。そこで以下のような教訓を列記してみた。

1.国家指導者はどんなに大局的な視点に立った大義に立つ矜持を持ったとしても、国民がそれを支持しなければ、指導者の地位を保つことができない。
2.国家指導者がどんなに地球環境の破滅を意識したとしても、国民がその意識を共有しない限り、指導者の地位を保つことができない。
3.未来社会では国家指導者である賢人を国民が尊崇し、その決定を支持するため、権力の決定を国民が支持する可能性が大きくなる。それは権力の良い矜持が生かされることになり、未来世界の全体主義の優位性を示す。
4.大義(地球的善>自然界の善>人間界の善>国家的善>地域的善>個人的善)を持つ変革に民の苦痛や苦労が伴う場合、それを民が納得できるようになるためには、未来世界の賢人政治が成立している必要がある。

  未来世界は必ずしも国民の欲望に応えるものではないと思われる。それはエネルギーや資源の浪費を抑えざるを得ないという事情から生じるのであるが、未来世界の指導者や権力は、国民の欲望を精神的満足の方向に振り向けさせる必要がある(21.2.16「電力依存の現代文明の落とし穴」・21.3.15「物質文明から精神文明へ」・2.27「文明の同時崩壊」)。それが可能かどうかは、ひとえに権力側の政策なりにあるのではなく、国民の意識の変革が可能であるかどうかに掛かっている。これについては長いことノムも熟慮を重ねてきたが、最初は不可能だと思われたことだが、自分の経験や歴史的な流れからして、人間の意識の変革は可能であると思うようになってきた。事実歴史上ではそのような変革は何度も起きてきた(例えば明治維新)。そのためには世界全体が絶望的な大災厄を被るという経験が必要であり、決して願うことではないが、その大災厄は今や目前に迫っている。それが起こることで、生き残った人々は改めて、世界の在り方を変える必要があることを認識するだろう。

  すなわちまず最初に自分たちが意識の変革をしなければならない、という必要を感じるであろうし、どういう指導者を自分たちが望んでいるのか、どうしたらそういう指導者を生み出すことができるのかを、考えるようになるだろう。ノムが提唱する未来世界の全体像は、その思考の結果生み出された一つの提案であるが、全世界の国民がこれを支持するようになれば、自ずとノムの考える仕方によって、善なる意思を持つ指導者が現れ、その提示する政策を全世界の国民が支持することによって、自ずと世界は変わるであろう。

  これまでの歴史では、こうした指導者を作り出すプロセスに誤りがあったため、どのような革命が起きたとしても、どのような変革が起きたとしても、結果的に悪い事態を招いてきた。ノムはどうして悪い結果が導かれてしまうのかということを、事象の状況論からその原因を解き明かしたつもりである(21.1.18「状況理論」・21.7.7「ニュースで証明された状況理論」)。科学的に説明可能な「原因→結果」論があれば、人々はこれまでとは全く異なる手法で指導者を選ぶことを余儀なくされるとともに、それを最善な手法として受け入れるようになるだろう。ノムが主張するのは、指導者は決して我欲を持つ人間であってはならないということである。そうした我欲を持たない人間が指導者として選ばれる手法を編み出さなければならない。ノムはその手法として未来世界の人格点制度を提唱した。人格点の優れた人物でなければ、指導者になることも、権力を握ることもできない、という全く新し指導者の選抜方法となるだろう。

  こうして選ばれた指導者に、国民が全幅の信頼を寄せることは間違いないことだと思われる。そして指導者はそうした国民の信頼を基に、善なる道を模索し、国民に提示することになる。それが国民にとって、どんなに苦役を強いられるものであったとしても、賢人の持つ意思に信頼を寄せ、納得はしなくても支持するようになるだろう。そして賢人の言う通りに事が進んだときに、初めて国民はその結果に満足し、納得するに違いないと思うのである。

  もう一度これらのプロセスを概観してみよう。まず世界は大災厄(コロナ禍から始まる第三次世界大戦などの可能性)を経験する。それによって全世界的な騒乱が起こり、秩序は崩壊する。人々はそのような絶望的状況の中で、考え方の変更を迫られる。そしてもしノム思想が知られるようになれば、それが唯一の解決の道だと考えるようになる。そうした思想が噂などによって世界に広まることで、人々の間に意識の変革が起こり始める。そして世界を統一することこそ、騒乱を終わらせる唯一の方法だと悟るようになるだろう。ここに至るまでに数十年から数百年を要するかもしれない。そしてノム思想が全世界に知れ渡ったとき、その思想を形にしようという人々の群れが立ち上がる。その形成には同様に数十年から数百年掛かるかもしれない。そして最強の武力を持つ者の中から、善なる意思を持つ者が現れるだろう。そうすれば、全世界の国民の推挙により、これまでにない強力な権力が誕生することになる。幾多の試行錯誤を繰り返しながら、この善なる意思を持つ権力が、邪悪な意思を持つ権力を滅ぼし、世界を統一することになると考える。それが自然や人間界が歩んできた過程の必然的帰結だからである。こうして生まれた権力に、全世界の人々の多くが賛同することであろう。

(22.2.6起案・起筆・24.5.2終筆・掲載)



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