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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2023】

人間の所有欲と所有権

2023-12-27
  今回は「人間の所有欲と所有権」について考えてみることにした。切っ掛けは、仕事から帰ってきて横になろうとした息子に向かって、孫が放った言葉がとても印象的だったからである。孫は「それは○○くんのだよ!」と言って、息子が枕にしようとした縫いぐるみを指した。5歳の子(男児)でも所有意識を明確に持っていることを改めて知らされた思いがする。所有意識というものは、恐らく3歳頃から芽生えていると思われるが、自分の物を他者が使おうとすると、拒否反応が出てくるようだ。子どもでもそうであるから、大人になるともっと強く所有意識を持つことになる。さらに国家という集合体もまた、自国の所有として領土・領海というものを主張している。そんなことから、この人間の持つ所有欲について、動物と比較しながら考えてみることにした。

  動物にも恐らく所有意識はあると思われる。たとえば親が子を自分の物として意識したり、リスやモズが自分の餌を保存することで、自己所有という意識が芽生えているのではないかと思われる。また縄張り(テリトリー)というものも、一種の所有と同じような意味を持つ。だが一般的には、動物の場合はむしろ餌や寝場所、およびテリトリーの獲得競争をしていることが多い。そういうことから、保存食やネグラ、そしてテリトリーについてはある意味での所有意識があるのだろうと思われる。

  人間は知能を持つことで、その意識を強化してきた。道具を持つことは生存上の優位性をもたらすため、道具については特に強い所有意識を持ったであろう。また獲物については、狩りなどの共同作業による場合、自分の分け前という意識を持ったであろう。さらに分業をするようになると、自分の作品に対して所有概念を持ったと思われる。現代で云えば知的所有権とでもいうような概念である。そして取引によって物々交換を行う際には、その価値を高くしようとしたに違いない。

  さらに人間が集団を作るようになると、集団としての所有意識が芽生えることになる。それは領土や領海という概念に結びついていく(21.6.27「土地は誰のものか?」)。動物のテリトリーの意識と同等のものである。近代になって国境などが地図上に明確に記されるようになって、国際法で国境や領海、そして排他的海上権益(EEZ)が定められるようになっても、相変わらず国境紛争や領海紛争は絶えない。中国は一方的に領土をチベット・モンゴルなどに広げ、そのための侵略戦争を起こした。現在も台湾を虎視眈々と狙っている。海上の領海権も、地図上に勝手に線を引くことで領海だと言い張っている。こうした国家の所有欲は、人間の所有欲の延長線上にあると考えていいだろう。

  所有の主張は、多くの場合誰もが共通の認識を持っている。Aさんが買って手に入れたものはAさんの物だと誰もが認める。共通の認識を持つために必要なのが法律であり、通常は日常的な物については取り決めがないが、土地などについては法律上の登記が必要である。だがそれはその国だけに通用するものであり、軍事的に支配された地域では、土地は支配者によって接収されてしまうこともある。2つの国が国境や領海について、別々の主張をした場合には、紛争が生じることになる。こうした場合に裁定を行う国際機関は無いに等しい(12.21「国連による軍事制裁を構築せよ!」)。国連はそうした機能を持っていない。もし絶対的力を持つ機関が存在したならば、裁定も可能になるだろう。また不当に非道理的侵略が行われた場合でも、絶対者がいれば、それを阻止することも、あるいは制裁を科すことも、さらには懲罰を加えることもできるだろう。

  未来世界では、通常の所有権の争いについては当該国の法律に委ねるが、国境・海境・資源などの問題については、連邦政府が絶対権限を持つことになる(21.3.28「連邦政府の可能性」)。もしその裁定に不満が出た場合、連邦は説明責任は負うが、説得責任は負わない。裁定に不満を示した国家は、国家格が引き下げられ、資源の割り当ても少なくなる。もし暴動を起こしたとしても、武器を持たないために連邦軍との戦争にはならない。暴動の鎮圧はその国家が責任を負うことになる。もし政府も国民と同じように行動した場合、連邦政府はその国家の統治権を剥奪し、暫定的臨時政府を国外に設けて、国家を封鎖状態に置く措置を取る。政治はノムネットを通じて臨時政府が行い、国民には大きな混乱が起こらないようにする。国内に連邦支持派が代替政府を宣言した場合、その代替政府に統治権限を委譲するかどうかは、時間を掛けて審議していくことになる。そして改めて選挙が行われることになる。

  未来世界に於いても人間の所有欲というものが無くなるわけではないことから、所有権という概念は現在のものとさほど変わらないだろう。ただ、国家による資源の所有というものは無くなり、資源は連邦政府が管轄・管理することになるため、資源保有のための利権争いというものは無くなるだろう。鉱物資源の探査などは、国内の研究者と連邦の研究者が共同で行うことになる。土地の所有権は基本的に国家の法治に委ねられるが、連邦が必要とする施設などを確保する場合には、連邦が所有権を設定することができる。これは事実上の接収であるが、それまでの所有権者に対しては応分な対価が支払われる。だがそれは、決して所有権者に過大な利益をもたらさないように配慮される。

  人間の所有権というものは、ある意味で適正に制御されれば、秩序を維持するために必要なものである(21.1.7「制御思想」)。誰もが好き勝手に所有権を侵害しないようにする必要がある。たとえば公共の物や施設を破壊する行為は立派な犯罪であり、その使用に当たっては、公序良俗が維持されなければならない。だが公共物を善用しようとする行為に対しては、時には表彰を含めた措置を取って奨励する場合もある。例えば公共の道路や施設の清掃ボランティアなどがその事例に該当する。所有権をみだりに振り回す行為は、逆に人格点を損なう場合もある。未来世界では所有権を善用するようにしなければ、人格点や組織格点にマイナスになることがあるということになる。

(12.27起案・起筆・終筆・掲載)


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