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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2023】

人には興奮が必要

2023-04-30
  前々項で「気」について書いた。そしてNHKの科学番組(4月25日放送「ヒューマニエンス」・「”神経” 謎だらけのネットワーク」)から、人間は精神的健全性を保つには沈着だけでなく、精神的高揚、もしくは感情的興奮も必要なことを学んだ。今回はそういった科学的視点から「人には興奮が必要」というタイトルで書いてみたい。

  堅苦しい話で申し訳ないが、人間は神経系とホルモン系、もしくは情報伝達物質系で制御されている。自律神経には交感神経と副交感神経があり、交感神経は脊髄の中央部にある。副交感神経は脊髄の上部(脳下垂体辺り)と下部(性反応を起こす部分)にある。交感神経は全身をフル活動(アクセル役)するときに使われ、休むときは副交感神経(ブレーキ役)が働く。現代人はこのバランスが崩れており、食欲不振・不眠・うつをもたらしている。いわゆる自律神経失調症である。ノムも不眠症に悩んでおり、自律神経失調の状態にある。感情の起伏などは脳と神経の相互作用から生まれ、ホルモン系もこれに関わる。喜怒哀楽は報酬系との関わりから放出されるホルモンによって変わる。そしてこの喜怒哀楽があってこそ、精神は安定が保たれるとも云えるようだ。つまり無感動・無表情は決して健康的な状態とは言えないという。悟りを開いた人間はもはや人間とは言えないのかもしれない。

  神経は強化することが可能である。神経の働きはそのネットワークの複雑さや情報伝達の速度によって決まるが、生物は不思議なことに情報伝達に電気を部分的にしか使わなかった。神経細胞から次の神経細胞に情報を伝達するのに、化学物質(情報伝達物質)を使い、化学反応を用いているのである。それではかなり速度が遅くなると思われるが、そこが生体の不思議なところであり、電気信号と化学反応の両方を使いながらも、人間は体操競技や知的ゲームで見るように、瞬間的判断を適切に行うことが出来る。しかも電気信号を伝える神経にミエリンという絶縁体を巻き付けることで、その伝達速度を上げているそうだ。全ての神経がミエリン化されているわけではなく、末梢神経はミエリン化されているが、中枢神経は部分的である。人が練習・訓練などによってこのミエリン化を促進させ、かつ神経を太くすることで情報伝達が早まり、その情報量も変わるようだ。アスリートが練習で鍛えられるのはそういう神経の変化をも含む。

  ノム思想の中に、「事象の波動性」という考え方が入っている。国家の栄枯盛衰にもそれは表れており、人間の運命にもそれは表れていると観る(20.9.7「ノム思想(ノアイズム)とは何か?」・22.7.21「波動論」)。人はいつも幸運であるとは限らず、多くの場合、「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり」の格言のような生き方をしている(21.8.23「幸福論」)。上下の幅の違いはあっても、波動的であることには変わりはない。永遠の幸福も無ければ、永遠の苦悩も無いというのがノムの運命論である(20.11.7「運命論」)

  人が生きていく上で動物としての生理上、最低限の必要がある。摂食と排泄、そして性的活動と感情的興奮である。前者2つについては誰もが認めるところだが、3番目の性的活動を必要だと認める人は少ないかもしれない。それは人間社会の場合、性的活動が規制されているからである。動物には無いそうした規制は、人間が無秩序に性的活動を行うと、社会に混乱と騒動が発生しかねないからであり、文化的社会を持つようになった人間は、自ら性的活動に制約を設けるようにした。それが結婚制度であり、一般的には一夫一妻制である(22.11.2「人の生活の安定化」)。 だがそれは人間独特のものであるとともに、普遍性はない。イスラム国の中には一夫多妻制を認めるところもあり、あくまでも現代の状況から生まれた制度である(21.1.18「状況理論」)。だが結婚制度で人間の性欲が解消されるはずもなく、若者や独身者は自慰でその欲求を満たすことになる。時にはその性欲が各種の性犯罪の原因になったりもする(20.8.21「政府高官や有名人の性的不祥事」・4.17「人類の暴力史」)。感情的高揚が健康に及ぼす影響についてはまだ深くは追及されていないようだが、徐々に明らかにされていくであろう。

  人間が最も興奮するのは戦争であるが、これは未来世界では無くなる(21.7.4「戦争論」)。戦争では興奮とともに強度のストレス(ときにはトラウマになる)も生まれるので、決して人間の健康にとって良いことはない。つぎに興奮するのはスポーツ観戦や野外フェスティバルであろうか。これらの娯楽イベントはどうも古代ローマの闘技場の例を見ても分かるように、人間から取り除くことは難しい。だが最近、米国などの野外音楽祭が排出するCO2が予想以上に多いことが分かった。問題は会場で提供されるプラスチック容器などのゴミと、スピーカーや照明などに大電力が消費されていること、そして観客が会場まで車を利用することにある。米カリフォルニア州の砂漠で行われたフェスティバルでは数十万人が集い、人の移動に伴うCO2排出量はイベントそのものによるものより遥かに多いという。プラスチックを生分解性のものにするという努力は払われているが、昨年のフェスでは140トン以上のゴミが出て、そのうち堆肥に転用されたのは86トンだったという。

  未来世界では、生活の中に適当に興奮する機会を与えるようになるだろう。それは主として性欲処理施設、小規模地域イベント(祭り・運動会・音楽祭)などが有効である。イベントは地域で1ヵ月に1回ほど催されることが望ましい。世界的規模での競技会は恐らく無くす方向に向かうと思われる。人はオリンピックに非常に関心があり、また興奮もするが、それは人の移動と大規模なエネルギー・物資の消耗を伴うため、未来世界では良くないとされるからである(21.5.30「オリンピック開催と観客入れは妥当か?」)人の興奮を重視すれば、多くの場合それは地球にとっては好ましからざる影響を与えることになる。人が興奮を求めるあらゆる行動(オリンピック・冒険・娯楽)を許容すれば、それは贅沢であり、傲慢であるということになるだろう。だが一方、上記したように、人間には興奮する時が必要なのであり、そのバランスを取ることが求められている(20.9.7「人間活動の無駄はどの位省けるか?」)

(4.28起案・起筆)


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