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【時事評論2021】

先天性身障者の扱い

2021-12-22
  生命は継承に最大の目的を持つ。継承とは子孫を残して命を繋ぐことを意味する。また生命は環境に順応していくための方法として、進化を仕組みに持っており、環境に適応できた変種が次の世代を繋ぐこともある。その際には環境に適応できなかった多くの個体が死ぬ運命にある。進化は多大な生命の損失を前提として成り立つのである(6.7「生命進化は巨大な犠牲の上に成り立つ 」)我々人間はそのことを理解して他の動物を見ているが、自分達のことになると一転してそのことを認めない。昔は人間も自然の運命に逆らうことができなかったために、親・兄弟などの家族の死を悲しみの内にも受け入れてきた。だが現代の医療の革新的進歩や生活の豊かさが事情を一変させ、障害があっても生きることができるようになった。そこで、重い課題ではあるがこの人間の特殊な状況が、未来に及ぼす影響について考えてみたい。

  12月17日のニュースの中に、米フロリダ州在住のウィルディン・オーマースが今年10月13日、世界一身長が低い女性としてギネス世界記録の認定を受けたという記事があった。達成された記録は「72センチ(28.3インチ)」で、存命中で歩行ができない女性のカテゴリーでの世界一となった。それまでの記録はもっとすごいもので、マッジ・ベスター(1963年4月26日-2018年3月19日:女性)の身長は65cm(2フィート1.5インチ)であった。彼女の母親も小人症であったが70cmしかなかったという。どちらも先天性の骨形成不全症であり、遺伝的な疾患であったようである。ベスタ―は54歳まで生きることができたが、現在18歳のオーマースは誕生した時は1日持たないと医師に言われたそうである。ホスピスに1ヵ月入院して様子を見たが、生き抜いて18歳の誕生日を迎えた。もう胸も膨らんでおり、子どもを持つのが夢だそうだ。

  オーマースはベスタ―に続いてギネスブックに「生存する世界最小の女性」として登録され、家族もそれを多いに喜んだ。写真でみると両親は普通だが、妹も小人症の可能性があるように見受けられる。記事にはそうしたことには触れず、オーマースが語った感動的な強い希望に溢れた意思について、ドラマチックなストーリーとして描いている。誰もが彼女の生きる姿勢に感動を覚えざるを得ないだろう。だがノムはこうした問題を人間的感動劇として捉えることはしない。非情なように思えるかもしれないが、遺伝が絡んだこの問題に対しては、生物学的観点からその是非を問いたいと思う。だが現在のところ、まだ確信をもった結論が出ているわけではない。ノムも人間として大いに悩んでいるのである。以下に検証しておきたい課題を書きたいと思う。

  最初に述べたように、生物は環境に適応するために進化しており、それは今回のウイルス禍でよく分かったと思われる(6.8「新・進化論 」)。原初生命としてのウイルスは恐らく数ヵ月単位で変異を繰り返し、他の生物の中に寄生してその命を継承していくようだ。だが生物が大型化すればするほど、その進化には時間が掛ると言われる。38億年前に生命の原初形態が誕生したと言われるが、それが多様性を増したのはエディアカラ動植物が誕生した6億3500万年前であり、続いて5億4200万年前に始まる生命大爆発と呼ばれるカンブリア紀は5400万年も続いた。だが折角多様化した生物界は、2億5200万年前に起きたペルム紀の大絶滅によってほとんど消滅した。だがどのような環境の変化にも生物は適応し、残った生物がさらなる進化を遂げて現在に繋がっている。進化速度は各種で検証されているが、たとえばウマの場合は625万年で1属が誕生している。ヒトの場合はおよそ500万年前から400万年前にチンパンジーから分離して猿人となったと考えられており、240万年前に人類の祖先と考えられているホモハビリスが誕生している。ホモサピエンス(現生人類)が誕生したのはおよそ20万年前と言われ、その間に多くの属が誕生しては絶滅した。これから考えると、人間の進化速度は少なくとも数十万年と思われる。

  だが人間が編み出した科学技術がその常識を変えた。現代ではクローン技術などに代表される遺伝子工学によって、生命のプログラミングを変えることすらできるようになった。それもまた自然界の現象の一つだと考えれば、社会的倫理を別にすれば受け入れるべきことなのかもしれない。だがノムの科学に対するモノの観方は、その科学を制御できなかったが故に人類のみならず動物の絶滅を招く事態を招来させているという事実を考えると、受け入れる前に人智を尽くして科学技術を制御しなければならないと考えるべきであり、現代の科学技術(野放図な生産・宇宙開発・高度医療)をそのまま容認することはできない。

  先天性障害というものが、遺伝子の突然変異や遺伝によって生じたとしても、それが進化の可能性を持つという視点に立てば、それを受け入れる必要があるかもしれない。たとえば、これから起こる核戦争によって大都市が消滅し、国家が制御不能の状態に陥ってサバイバル時代が来たとした場合、国家にも家族にも身障者を支える余裕はなくなるため、身体的不具合を持つ身障者は淘汰される運命に晒されるだろうが、特段の障害が無い場合は、小人症は生き残る可能性を大きくするかもしれない(1.21「衰退期のサバイバル術」)。進化は思いがけない優位性によって生き残った個体によって生命の継承を可能にするからである。

  もう一つの問題がある。人は生存本能とともに生殖本能を持つため、たとえ身障者であろうと性欲があって子どもを欲しいと思う。上記したオーマースも女性としてその願望は本能的なもので自然である。だが社会として考えると、通常人よりも多くの世話が必要であり、介助具なども必要であることから、社会的負担は大きい。上記したオーマースにはそうした社会に対する感謝の念はなく、飽くまでも自分中心の生き方を主張しているだけである。それが許される社会であることは幸運なのであろうが、それは長続きはしない数十年程度の一過性の社会状況であると言えよう。ヒトラーは身障者をも社会から排除すべきだと考えてホロコーストを行った。日本でも優生保護法があったし、身障者に対する社会の目は厳しい。身障者を社会の要員として受け入れることはできても、その障害が遺伝的なものである場合、社会が結婚は認めても断種を強要することは、これまた道理である。

  ここに至って、人間がどこに視点を置くかでこの問題の考え方が異なることに気付くであろう。西欧流の人権主義の立場からすると、「身障者には生きる権利がある」という主張になるであろうし、日本的な思考からすれば、「人に迷惑を掛けるようなことはしたくない」という考え方になる。自己主張に徹するか、他者との共存を重視するか、という論争になるのである。ノム思想は後者の立場であるため、遺伝的に不利な要因を持つ障碍者に対しては、断種を含めた措置を取ることを推奨したい。ナチスのような抹殺思想は間違っていると考える。それは人間が他の動物と違って、高度な知的本能を持ち、その本能が他者を助けたいという共助の精神を生み出しているからである。これは理想でもイデオロギーでもない人間の持つ古代からの精神であり、それを否定する人よりも支持する人の方が圧倒的に多いというのが現実である。

  結論をまとめると、現代は人間が最高の文明を誇っている時代であるため、社会に物的余裕というものが生じており、身障者の不利を補うことができる状況にある。だがそれは普遍的なものではなく、ほんの数十年程度の短期間の状況であって、これから到来する人類にとって試練の時代では、再び昔のような状況が再来するであろう。身障者はかなりの苦労と犠牲を強いられることになる。これは社会にとっても不幸なことであり、それを防ぐために不都合な遺伝の可能性がある場合には、遺伝子検査を十分重ねた上で、社会が断種を強要することは止むを得ないことだと思われる。それをどのような形で憲法や法律に組み込んでいくかが、これからの未来世界で人類が試される課題となるだろう。


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