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【時事評論2021】

衰退期のサバイバル術(2965文字)

2021-01-21
  事象には波動がある。個人にしても国家にしても浮き沈みがあるものである。そして高揚期にはなにもかもが上手くいく。多少問題があるやり方・システムであっても、上昇期にはそれらの問題は覆い隠されるからである。問題は波動が下降に向かった時、すなわち衰退期に差し掛かった時である。往々にして人も国家もその分かれ目(分水嶺・境界期)を認識できないものである。あるいは認めたくないという心理が働く。だが事象を客観的に捉えている人や国家はそのことを自覚できるであろう。そしてその中に、先覚的な人物なり思想が生まれ、人々はその声に次第に耳を傾けるようになる。それは決して遅きに失してはならないのである。

  盛衰期から衰退期に移る間に、高原期というか、停滞期というようなものがあることが多い。場合によってはカタストロフィによっていきなり衰退期に入る場合もある。前者はカエルが釜茹でされるときのように、衰退という滅亡への過程が分からない場合が多いが、後者は誰もが認識できるだろう。賢者は事象の波動現象というものを理解しているため、その見分けが容易である。その時期に為すべき事は、衰退期をどう乗り切るか、次の盛衰期に向けて何を準備すべきかを考えて、その手を打っておくことである。時代の先覚者はそれを指し示すことができるが、現代の思想家にそのような人物は見当たらない(21.1.5「追及すべき世界観」参照)

  今回のコロナ禍は世界中にカタストロフィを与えた。その中で気を吐いているのは中国だけであろう。だが中国は世界が衰退したことで相対的に浮上しているだけであって、中国が成長の基盤にしていた他国からの需要が途絶えることで、やがては他国とともに衰退に向かうであろう。それは人類全体の衰退とも言えるようなことになるだろう。その意味で習近平が「運命共同体」という言葉を持ち出してきたことは意味深長である。だが中国は頭が良いため、既にその対策を取り始めて運命共同体のリーダーになろうとしている。サプライチェーンというものを確保すること、すなわち中国の生産力が世界にとって欠かすことのできない必要として認識されるようにすべく動き出した。さすがに伝統的な策略の国家である。筆者が忠告するまでもなく自律的に動いている。

  だが一方の民主主義を掲げている国家群は右往左往するだけで対策を打ち出せていない。その原因は波動というものを理解しておらず、民主主義の欠陥と矛盾を理解せず、今でも特にアメリカは頂点にいると錯覚していることにある。このままでは歴史の必然から中国に追い抜かれるのは間もなくであろう。一般でも2050年にはその時が来ると理解されており、それがコロナ禍で早まったという見解も出てきている。果たして民主主義国家はその基礎としてきた「民主主義」というものの矛盾に気が付くのだろうか?(20.6.3「米国の暴動が示した民主主義・個人主義の劣等性 」・7.16「自由主義と民主主義の破綻 」・11.4「米国大統領選挙に見る民主主義の破綻」・21.1.4「民主主義は集団幻想」参照)

  最初に述べたように、隆盛にある国家はそのより処としている理念に間違いがあったとしてもそれに気が付かない。アメリカの場合は建国が1776年であることから、200年以上も繁栄を誇ってきた。だが前記したように独立宣言も現合衆国憲法も民主主義を明確に理念としているわけではなく、ただ条文に議会制を謳っているだけであり、憲法を変えることで如何様にも体制を変えられるであろう(21.1.8「アメリカの心はどこに?」参照)。だがその改変を成し遂げるには、国論の激しい衝突と軍事的なクーデターのような動きが必要かもしれない。

  日本は伝統国家であり、皇室を中心とした立憲民主制をとっており、これは簡単に変えられるものではないし、変えてはならないものである。民主制は明治維新によって海外の先進国から学んで取り入れたものである。天皇家の在り方は時代によって変わってきたが、その存在は建国以来2000年以上の長きに亘って消失しておらず、現天皇家は世界でも羨むほどの健全な状態にあり、また国民の尊崇も静かなものであるにせよ深いものがある。日本はその精神である「和」を未来世界に向けて発信していくべきであり、日本の体制を他国に押し付けるべきではない(過去に押し付けて失敗した)。ただ「和」の精神はいつの時代にも有用・有効であり、反対される謂れも無い。それを武器に世界に浸透していくべきであろう。

  ヨーロッパの一部の国を除いて多くの国は民主主義を受け入れた国々であり、決して自分で編み出したわけではない。そのため民主主義が矛盾を露呈し始めた半世紀ほど前から、徐々に専制的な方向に動いてきた。それは特にイスラム国家に強く表れている。イランのように宗教主義に舞い戻ってしまった国もあり、アフリカ諸国の部族主義は独裁を拠り所にして体制を保ってきた。だが多くの独裁国家は民衆の怒りを買って自滅し、一旦は民主的体制がつくられたところもあったが、民主主義の矛盾がすぐに露わになってしまったために内戦状態が続いている。その意味でチュニジアから始まった中東の民主革命はほとんどが失敗であった。カタストロフィで全てが善なる方向に向かうと考えるのは大きな誤りであることが証明されたのである。全ての国が新たな体制を求めて模索しているというのが現状であろう。

  この混迷の世紀に必要なのは新たな世界観であり、新たな体制の構築に向けての準備である。新時代・新世紀に向かって適切な準備をした国が、統一された世界において力を持つことになるであろう。ただその力は従来のような一国が支配するようなものではない。相対的な力であって、それは特に思想面に表れる。すなわち「和」を尊ぶ日本民族の伝統が新世界において思想の拠り所とされるであろう。筆者の説くノム思想は特定の国家・思想・イデオロギー・宗教を基にしたものではない、普遍的で科学的な考え方そのものである(20.9.7「ノム思想(ノアイズム)とは何か? 」参照)。だがその考え方には日本の「和」の精神が色濃く反映されていることは間違いない事実である(20.8.17「平和の意味とその達成手段 」参照)

  もう一度混迷の中にあるアメリカに戻ろう。彼らが次に来る新時代においても中心的な存在であるためには、テクノロジーに全ての価値を置くべきではなく、むしろ東洋や日本の「共存」の思想に目を向けなければならないアメリカ流の共存思想が構築されれば、それはアメリカを精神的に強化された国家とすることができるだろう。その第一歩として民主主義の欠陥・矛盾を真摯に反省して改善を図り、社会の調和と安定を第一優先事項とする全体主義へと変貌していかなければならない。そのためにはノム思想の説く連邦制と同様に、政策決定までの議論は自由であるが、決定された事項については反対を許さず、国民も決定された政策の実現に向けて大同団結して取り組むような国家にならなければならない(20.6.26「表現の自由 」参照)


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