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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2021】

生命の系統樹・分岐の意味

2021-12-14
  前項の記事の中に「奥義」という言葉を使った。筆者はこれにわざわざ「おくぎ」という読み方を添えた。辞書では「おうぎ」と「おくぎ」の両方が載っており、おくぎという読み方が間違っているわけではない。その意味もほとんど同じようなことが書いてある。では日本語ではどうしてこのような二通りの読み方があるのだろう、と疑問を持った。あいにく国語学には疎いので、その理由は多分使う時の状況によって使い分けがあるのではないかと考えた。そうした疑問を抱えながら、ふと日経サイエンスの記事の中にあった生命の系統樹に目が留まった。そこには生命が樹状に分かれて進化してきた模式図が描かれていた。それをじっと検分していたところ、言葉の分岐も同じではないかという発想が浮かんだ。これもまたひらめきの為せる業であるだろう(12.12「アイデアとひらめきの科学 」)

  筆者が使っている「EX-word」という電子辞書では、「おくぎ」について「学問・芸能・武術・信仰などの最も深淵な意義・極意」と説明されており、同じ辞書で「おうぎ」については「学問・技能などの最も深いところ。一つの道で最も重要で難解な事柄。おくぎ。極意」となっている。PCでも調べたが、特段のことは書いてない。この2つの読み方については、後者の「おうぎ」の場合は、道を究めようとする人間が達する最高の悟りの場合を強調しているように思われる。「おくぎ」の方が一般的・普遍的な使い方がされているようだ。そこで筆者は無謀にも、「奥儀」の読み方は最初は「おくぎ」であったが、修業道においてはより特化して「おうぎ」というカッコイイ読み方がうまれた(分岐した)のではないかという仮説を立てた。

  言葉が時代とともに進化(時には退化)して、その意味も読み方も変化してきたというのは常識である。言葉が生まれたときから現代に至るまでほとんど意味が変わらないというのはむしろ珍しいのかもしれない。生命の系統樹でも同じであり、下図に示した系統樹では、分岐したあと一本線で描かれた先にある種が原型に近い種であろうと想像される。その途中で斜めに分岐して描かれている種は、進化して別種となったものなのだろう。生命の初期の共通祖先とされるものはまだ不明だが、LUCA(ルーカ:Last Universal Common Ancestor)と呼ぶそうだ。これから分岐した2つはバクテリア(細菌)と真核生物である。その真核生物の先端にカビがあり、われわれ動物はその途中で分岐して誕生したものだという。カビが原初分岐の最も古い形質を遺した生物であるとすれば、カビが人間の祖先である、という言い方は間違ってはいないだろう。同様にバクテリア(細菌)もその原型を留めているのはプロテオバクテリアらしい(「プロテオ」という冠詞は「タンパク質:プロテイン」を意味する)

  実に興味深いのは、かつて古細菌(メタン菌など)と呼んでいた一群が、細菌よりも前の存在という意味ではなくなり、カビに至る系統から初期分岐したものであるということである。つまり細菌と古細菌はそれぞれ独立して初期分岐した系統であり、直接の関係(連続性)はないということになる。そこで紛らわしいことから、生物学では古細菌群(群:ドメイン)を「アーキア」と呼ぶようになったようだ。アーキアはバクテリアとは別に誕生した初期生物であり、その両者から最初に分岐したものにそれぞれ高温耐性菌があったということは、生命起源に「深海熱水起源説」を採用しようという機運が高まっていることの一つの根拠になっている。そこで「LUCA=超好熱菌」説が現在主流になっているようだ。

  余談だが、筆者はこの系統図の中にウイルスが含まれていないことに非常に強い違和感を覚える。現代に至ってもまだ生物学会は正式にウイルスを生物とは認定していないからである。彼らウイルスは寄生生物であるが、立派に増殖機能や遺伝機能を持っている。生物と見做すのが当然であるのに、生物界はまだ認めようとはしない。我々が知る科学界(特に学会)は実に時代遅れな存在なのである。筆者はウイルスを生命の誕生の前か直後に位置すべきだと考える。そうして初めてウイルスを正確に理解することが可能になる。カビも同様であり、その存在は発酵食品などを作り出すことで人間に大いに貢献しているが、腐敗という現象も起こすことから嫌われ者の側面もある。だがそれが人間の祖先であるとすれば、まことに貴重なものとして見なければならないだろう(9.13「人類はウイルスと戦争すべきではない 」・2.25「ウイルスの正体」)ウイルスも全ての生命の起源であったとすれば、これを敵と観るのではなく、有用な使い方や共存を考えるべきだと考えられないだろうか。そして筆者は、ウイルスをLUCA(前述)として位置付けたいと思っている。すなわち、「LUCA=ウイルス」説を主張する(6.10「生命系の誕生とその応用 」)

  本題の分岐の意味に戻ろう。分岐は進化の過程で起こるものであり、その形態や属性が変わる進化は生物だけでなく、事象にも起こることから、物理・化学の分野では相(フェーズ)が変わると表現する(6.8「新・進化論 」)。生物の生態系にもこうした使い方が見られ、「極相林」という言い方にそれが表れている。相の変化は固相・液相・気相の間で起こることで我々にも理解しやすい。人間界の事象でも相の変化が見られ、それは社会体制の革命的変化、人間生活の革命的変化(産業革命・IT革命など)に表れている。それを固定的に安定させることに人間は成功しておらず、多分未来世界が実現しても何らかの形で変革は続くだろう。その変革の都度、人間は安定を志向する意思を持たなければならない。それが無いと、人間界はある意味で非常に脆いため、不安定化して自己崩壊するだろう(6.9「自己組織化と自己崩壊化 」)


全生命の系統樹 (「日経サイエンス」2022-01より引用)
  ここで生命の系統分岐の意味を考えてみたい。これは事象の進化過程における相(フェーズ)変化の一例と考えることができる。進化では事象・生物の形態や属性が変化するが、それを相変化と捉えることもできる。物理学では物質進化にそれを見ることができるし、それは不可逆的変化でもある。可逆的な相変化は進化とは呼ばない。固体が液体や気体に変化するのも相変化であるが、これは可逆的なので進化とは言わない。物質進化でエネルギーから量子・原子・分子などが生まれたのは、ある意味では可逆的でもあるが、一度生じた物質はさらに進化するため宇宙全体では不可逆的であり、我々はそれを進化と呼ぶ。生物も一旦生じるとそれは無限に進化し続けるため、相変化は不可逆的となる

  系統樹の分岐では、相変化が新種の誕生という形で分岐が行われるが、その中でも基本的な生理が似たものは一群として捉えられ、1つのドメインとして分類される。現在の生物学の認識では3つのドメイン、アーキア(古細菌)・バクテリア(細菌)・ユーカイア(真核生物)、に分けているが、これにLUCA(上述)としてウイルス()を加えることになるだろう。ウイルスはこれら3つのドメインと違って、①非細胞性で細胞質などは持たない・②生体膜である細胞膜も持たない(一部のウイルスは膜構造を持つ)・③小器官がない・④タンパク質を合成できない・⑤代謝系を持たず自己増殖できない・⑥エネルギーの産出ができない、という特徴があるが、原初生命体としての寄生的増殖機能・遺伝機能・大きさの相似性・構造性を持つ。立派な生命体と見做すのが当然である。すなわち1つのドメインとして生命系統樹に加えるべきなのである。

  分岐が進化過程に必須で宿命的なものであることは明白であり、分岐がなければ進化という現象もあり得ない。分岐は正に進化そのものである。ただ、分岐が相似性の維持だけに留まっているならば、それは進化とは呼べない。つまり「逆は真ならず」ということになる。たとえば、会社が大きくなったから分社したという場合、それは相似性の維持だけの意味を持つため、革新的相変化ではなく、従って進化ではない。だが社会が王制から共和制や社会主義制に変わるならば、それは全く新しい相が生まれたことになり、進化と呼ぶに相応しい。だがこれらの進化は可逆的でもあることから、厳密な意味での進化とは言えないかもしれない。共産主義が社会主義に退化し、さらに民主制に後退したことを考えると、共産主義が社会発展段階における最終相であるとは言えない。だが相転換が明らかなことから、ノムとしてはこれら社会の変化を進化過程の1つとして考えたい。


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