本文へ移動
【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2020】

性的マイノリティの問題(10.30修正追記・21.3.6追記)(8667文字)

2020-10-29
  近年、「性的マイノリティーの問題」が世を賑わしている。ある人は好奇の目で見、ある人は人権論の立場から少数者を擁護する。だがこの問題は前回に述べた「特殊化と普遍化・絶対化と相対化」で分かるように、見る人の主観によって異なるのは当然のことであり、どちらが正しいとも決め難い(10.24「特殊化と普遍化・絶対化と相対化」参照)。だがそれを科学的に見る方が優位にあることは確かであろうと思うし、ノム思想が科学的であろうとする限り、科学的な立場からこの問題を論じてみたいと考えるのもまたノムにとっては当然のことである。
 

  つい数日前に偶然NHKの番組で『ヒューマニエンス・オトコとオンナ・性の揺らぎのミステリー』というものを観た。これによってある意味では筆者の自論に科学的根拠が与えられたとも思った(「10.24人間の性の問題に切り込む」参照)。そもそも性別が生物に現れたのは有性生殖という繁殖方法が現れてからであり、それはおよそ約5億6500万年前に出現し、その後に絶滅した謎の海洋生物「フラクトフズス」が最初ではないかという仮説がある。それ以来性の態様も様々に進化し、哺乳類ではオスとメスが存在する。だがその進化の過程では単性生殖と有性生殖の間の中間的なものもあったし、現在の生物には両方を行うものもいる。人間では雌雄同体に近い両性具有という性器を持つ人も稀にいる。また性器とは関係なしに、反対の性を意識する性同一性障害(トランスジェンダー)という一種の精神病も存在する。つまり性の態様は多様性があり、かつ同種の中にも多様性が若干残されている。
 
  同種における「異常」と言われる性の態様はある意味では「特殊(例外)」ではあるが、また別な観方をすればスペクトラム的遷移の状態であって、連続したものと見ることもできるため、特殊と断定できなくなってきた。つまり世界が赤と青だけだとした場合、その赤と青の境界がはっきり分かれているわけではなく、中間的な色を経て連続していると考える訳である。特に性器という構造的なものだけでなく、男女の心理の差というものを考えた場合、そこにはっきりとした線引きができるとは言えない。確かに男性脳と女性脳という特徴的なものはあるにせよ、誰しもがその両面を持っていることは認めざるを得ないだろう。その意味で本項では特殊化するよりも普遍化することに重点を置いてこれらの問題を検討していくことにする。ここで問題となるのは、両性具有やトランスジェンダー(性同一性障害)がどちらの性に属するのかということが社会的・法的な事柄に大きく関係するからである。  
 
  番組の内容は非常に重要な示唆に富んだものであったため、その内容を紹介したいと考えるが、紙幅の制限もあることから、その内容については最後の方に回し、とりあえず科学的に分かってきたことをまとめるとともに、社会的・法的問題点を先に論じてしまいたい。
 
1.現代の性の態様の解釈は2分化ではなく、スペクトルのように連続したものと捉えている(性のスペクトラム解釈)。
2.生物界は単性生殖から有性生殖に進化し、さらに多様性を増した。だが人間は生殖のためには男女が必要である。
3.人間は性を生殖だけでなく、コミュニケーション化して交友手段として用いている。その中には多様性の一環としてレズビアン・ゲイという同性同士の性のコミュニケーションがある。同性愛は類人猿にも見られる普遍的現象である
4.人間の性には好奇的増進性があり、その歯止めとして社会倫理・宗教があった。だが現代では科学の前にその説得力が失われている。人間の好奇本能から生ずる人間だけの現象に歯止めをかける方法を我々はまだ持っていない(21.2.8「人の快楽追及に限界はあるのか?」参照)
5.人間の性の未来予測として、男をつくる遺伝子(SRY遺伝子)の消失という仮説があり、科学的には男女という区別は絶対なものではないが必要であることに変わりはない。
6.類人猿の事例からすると、人間の性には一夫多妻や乱婚の傾向があると考える方が適切である。
7.見かけ上のペアが成立していたとしても、自然界では浮気は普通に行われる優良遺伝子選択、および遺伝子拡散戦略である。
 
  以上の科学的事実を基礎として、性的マイノリティーと呼ばれるLGBTの問題を考えていきたいLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)という存在が近年浮上してきたのは、彼らが恥ずかしいという感情から脱却して権利を主張し始めたことによる。それは権利主義というものを振りかざす現代に特有な問題であるとも言えるだろう。それが健全なことなのか、不幸を生み出すものなのかを問うならば、筆者は不幸を生み出す主張であると考える。
 
  一方、性の区分というものが単に社会的・法的取り決めのためにあるのだとすれば、性の区分が曖昧になってきた現代においては社会制度・法制度の改正が必要となるだろう。また前項で述べたように、ホモ・ハビリス(ホモ・サピエンス以前の原人)が一夫一妻の家族関係を作るようになったとしても、現代にその生活形態が適切であるとは言えなくなったことも確かであろう。特に一夫一妻制度を法的に縛った結果、多くの性犯罪というものを生み出すことになったことは看過できないことである。かつては日本にも遊郭というものがあり性的なはけ口があったが、西欧流キリスト教的禁欲主義に偏ったために、反って問題を大きくしてしまった()。特に6.の一夫多妻の傾向というものは重要な科学的認識であり、女性学者がそれを唱えていることからも分かるように、これは差別の問題として捉えるべきではなく、客観的に受け入れるべき事実である。それは科学がもっと進歩すれば、脳の作用である本能の問題として解き明かされる時が必ず来るであろう。
 
  だが社会制度としての安定性という観点からすると、人の社会にはある程度のルールが必要なことは言うまでもないことであり、それが性の態様にも適用されることもまた当然である。その意味で一夫一妻制が意味を失ったということではなく、位置づけを変えることで問題の解決がなされるであろう。すなわち、男が多妻を望む傾向があるにしても、それを基本的には制度的に一夫一妻に制限し、なおかつそれをはみ出した場合においても罪を問わないということが解決の道となるだろう。ただ女性の側からするとそれは非常に不安定な心理状態に置かれることにもなるので、適切な法的条文を考え出す必要がある。筆者の現在の考え方からすれば、男の多妻願望を満たすためには、①定期的性処理を可能にする公的施設を設ける・②浮気という行為を罪に定めず、それは夫婦間で解決すべき内輪の問題とする・③セクハラと呼ばれる不適切行為は、相手が不快に思った場合に訴えることができるようにし、軽度のものは事件として扱わない、という3つの方法しか考えられない。現実に多くの男が不適切な方法で不適切な娼婦とカネを介して関係を結んでいる。某国のデータではそれは20%以上の男性に及ぶとされる。これは社会的に見て無視できない割合であり、またそれを違法とするのには問題がある事柄が、食欲(生存本能)と同様性欲(生殖本能・コミュニケーション本能)という人間に備わった自然な生理現象であるからである。実際には友人などの経験談からするともっと多いと思われるが、それが性病の蔓延の原因ともなっていることを考えると、適切な性欲処理施設(これは男女、あるいはLGBTも利用可能)が社会制度に組み入れられなければならないと思うのである。
 
  最後にLGBTの権利の主張、すなわち結婚制度に組み入れて、普通の夫婦と同じような法的保護を受けられるようにしてほしい、という要求をどう考えるか、について私見を述べたい。社会制度というものが、多数の者の幸福のために存在するものだとするジェレミ・ベンサムの「最大多数の最大幸福」説を採用するとすれば、もし少数者の権利を優先して社会制度化した場合、それがもたらす混乱・性の秩序の崩壊・子供への影響、などを考えると、それは予想以上の社会の無秩序化に繋がる恐れがあり、最大多数の幸福も併せて崩壊してしまうと筆者は考える。だがこれはノム思想から出てくる結論ではなく、あくまでも現時点での筆者の予想である。そのため、少数者には不当な差別を強いない代わりに、制度的保護は与えないとするのが最適な方法なのではないだろうか。つまり差別的意識は排除されるべきだが、LGBTであることを公然と明らかにすることは社会秩序の維持の観点から容認できないと考える。各人の性行為を公にしないのと同様、その性の動態を明らかにすることは公序良俗に反すると考えるのである。すなわち性に関することは密かにプライバシーの範囲で行うべきことであり、不当な罰則は無くさなければならないが、それを公然と明らかにすることは犯罪とすべきであると思うのである。
 
  テーマにおける議論の結論はここまでにして、以下には番組に出てきた科学的事実を紹介しておくので、読みたい人だけに読んでいただければ十分である。長い説明になるが非常に示唆に富んだ内容なので一読をお勧めした。
 
  複雑な性医学のことを全て説明することは紙幅が許さないが、人間の生殖の基本的要点は女の[X+X]という染色体と男の[X+Y]という染色体が卵子と精子の合体(受精)によって細胞融合したとき、その染色体が[X+X]の組み合わせになれば女、[X+Y]の組み合わせになれば男になるということである。だが生まれてくる赤児の男女比は必ずしも1:1にはなっておらず、女の方が若干多い。それは自然の作り出した精妙な業であり、男の方が戦闘などでの致死率が高いことが理由であろうと言われる。成人になるころには大雑把には1:1になっているとされる。男の寿命が女より短いのにも何かしらの理由があると考えられる。但しそれは自然状態の動物全体で別に考察しなければならないだろう。性染色体は他の染色体に比べて大きいがY染色体はX染色体に比べてかなり小さい。生まれてくる個体にY染色体の一部が欠けているものや、X染色体が1本しかないもの、Xが2本とYが1本のものもあるという。さらにX+YとX+Xが1つの個体に両方とも在る場合まであるという。両性具有はこうした染色体異常によるものもあるが、胎内での細胞分裂・細胞分化の際のホルモンの影響による場合もあると言われている。それがこれまでは特殊な例外だとされてきたが、最近の性科学では特殊とは考えずに、連続的な「性スペクトラム」という概念で捉えるようになってきたそうだ。リオオリンピックで陸上女子800m金メダリストの南アフリカの女性が、生まれつき男性ホルモンのテストステロンが高いため問題視され、出場にはテストステロン値を下げることを求めたという。つまりスポーツ界でも男女を分けることの困難にぶつかっているのである。   
 
  この異常が近年増えてきたのかは不明だという。だが江戸時代の春画にも娼婦の両性具有が描かれていることから、昔からあったことは間違いない。これらは例外・異常・マイノリティー(少数者)というように言われてきた。だが性スペクトラムの考え方では連続的な中間的存在と考えられるようになったのである。これらの多様化は生物学的にも進化の証拠であるという。現代では性決定は受精の段階で決まるとは考えていないという。これを性科学者の黒岩麻里(あさと:北大大学院理科学研究院教授)は「運命」と表現した。「もしかしたらXYが男になるかもしれない運命」とでも表現されるのが受精の段階で言えることだという。成長する間に性が変わることも考えられるようになったと言えよう。
 
  その仕組みを簡単に説明すると、受精から8週目位に生殖腺が分化し始めるが、この段階では男と女のどちらにもなり得るという。つまりこの段階でも性決定はされていない。Y染色体のSRY遺伝子(性を決める遺伝子)が働くと精巣を作るスイッチが入り、男が誕生する。元々生物はメスが主体であり、オスは有性生殖のために作られたものであると考えられている。精巣ができるとこれがアンドロゲン(男性ホルモンの総称)が大量に生産し、アンドロゲンシャワーと呼ばれる現象を作り出す。これは全身に働いて男らしい容姿を形成していくとともに精巣以外の男性生殖器を作り出す。これは哺乳類に共通の仕組みである。このシャワーに浴び方によって手の人差し指と薬指の長さの差が生じると言われる。通常薬指の方が長いが、その差が大きい程シャワーを多く浴びて男らしいという。
 
  大型の動物でも単性生殖と同じような多様性がある。爬虫類のメスのコモドオオトカゲが2006年に動物園で卵を11個産み、7個が孵った。新聞はこれを「処女懐胎」と騒ぎ立てた。通常は性交渉で子をつくるが、メスしかいない環境では単性生殖が起こることがある鳥類でも魚類でも同じようなことが一部で可能である。だが哺乳類だけはオスとメスが絶対に必要であり、処女懐胎はあり得ない。前記した北大の黒岩麻里(あさと)は、胎盤の発生に関わる遺伝子は父親からもらった染色体にあるという。ということは人の場合は処女懐胎はあり得ないということになる。1億6千万年前のジュラ紀には大型の恐竜などが生息しており、その中で哺乳類はネズミよりも小さい大きさの弱い存在であった。卵生から胎生へと進化したのはこれら大型爬虫類などから卵を守るためであり、そのために胎盤を必要とした。
 
  科学誌「ネーチャー」に掲載された「性の未来」という記事には、500~600万年後にはY染色体は自滅するかもしれない、という衝撃的な話が載っている。著者の遺伝学者であるジェニファー・グレーブスは言う。「X染色体に傷がついた場合、もう1つのXによって修復が可能であるが、Yの場合は1つしかないので傷が残る。もともとXとYは同じ長さだったが、機能の特化と傷により短くなっていったとされる。それが遺伝していくといつかはYそのものが消滅する」というのである。だがもっと恐ろしい話がある。現代の40代以上の老齢化した男性の細胞からY染色体が消滅しているというのである。70~80代の男性では4割の人がY染色体を失っているという。もしYのあるなしで細胞の女性型・男性型が決まるとすれば、老齢化した男性は女性化しているとも言えるのかもしれない。ある意味で高齢化男性は2つのタイプの細胞から成るモザイク人間だと前述の黒岩は語る。
 
  一方、救いとなる話もある。日本だけに生息するトゲネズミY染色体を失った極めてユニークな哺乳類の例である。それでもちゃんとオスが生まれ、子どもができる。オスの染色体にはXだけしかなく、Yはない。SRY遺伝子がないのにオスができるということは、他の遺伝子が同様な働きをしていると考えられる。この遺伝子は人間も持っているので、もしY染色体が絶えても生殖は可能であるかもしれないとのことである。これを発見したのは上記した北大の黒岩教授であり、ノーベル賞に匹敵する快挙であると評価できよう。
 
  カクレクマノミという魚は1つの群れにオスとメスが一つがいしか存在せず、他の魚は皆未成熟状態にあるという。メスはとても大きく成長するが、オスはそれよりかなり小ぶりであり、他の魚はもっと小さいので、オスとメスを見つけるのは容易である。もしメスが死ぬとオスが大きくなるとともに性転換してメスになり、他の魚の中から1匹だけが未成熟状態からオスに成熟する。これは社会に例えると、社長が死んだら副社長が社長になり、次長の中から副社長が指名されるのと似ている。非常に柔軟でかつ安定した社会を創っているということになる。ここには社長の座を巡る闘争はない。ある意味で理想的な社会である。
 
  これを人間に当てはめると、男が女を主張したり、女が男を主張したりする必要が無くなれば、それは非常に安定した社会であるということになるであろう。LGBTは自分がどちらの性を選ぶか自由に選択しても何ら問題はないと思われる。また婚姻関係ではなく、パートナー関係を結ぶのにも問題はない。ただそれを公にして婚姻関係(本来これは生殖を目的としており、それを社会が容認しているだけである)を主張するとすれば、社会的混乱は避けられない。上記に述べた筆者の結論はこの例を用いても妥当性を主張できることになる。
 
  番組は最後に「一夫一妻制」に踏み込む。最終章は「一夫一妻はうそ!?」と題して展開された。古来から当然視(世界の全てではない)されてきた一夫一妻制に疑問を持つのが東京大学教養学部特任教授の坂口菊恵である。人の性行動について研究をしてきた彼女は「人は同じ相手に恋愛感情を抱き続けるのは難しい」と語り、その平均年数を2年半と判断した。2019年の日本のデータでは、58万3000組の結婚があったが、21万組がすでに離婚しているという。椙山女学園大学の人間関係学部教授の五百部(いほべ)裕は動物園やアフリカの原生林で霊長類の生態を調べた。類人猿の代表であるニシゴリラは一夫多妻の代表として知られている。特徴はオスとメスの体格に大きな差(2:1)があることである。五百部は「体の大きさが大きく違う場合は一般的に一夫多妻」だと言う。霊長類のテナガザルオスメスの間に体重差はなく、一夫一妻である。チンパンジー人間と似たような体重差があり、乱婚である。人間(日本人)の場合は男女の体重比は6:5程度である。体重比から考えると人間は一夫多妻性、ないしは乱婚性を持つと考えるのが妥当であろう。

  チンパンジーの睾丸は極めて大きく、精子運動は人間の精子よりはるかに活発である。つまりメスは多くのオスと交尾することにより、より強く活発な精子の受精の確率が高くなる。だが父親がどれだかは不明である。1回の射精時の精子数は6億個であり、ゴリラでは5千万個、人間では2億5千万個である。人間はチンパンジーとゴリラの中間であり、闘争性・乱婚性のチンパンジーと非闘争性・一夫多妻のチンパンジーの中間であるとすれば、人間にはある程度の性を巡る闘争性とある程度の乱婚性と一夫多妻性があると考えるのが普通であろう。
 
  坂口は人間の結婚をシリアル・モノガミー(Serial Monogamy:連続的一夫一妻)だと表現する。つまり結婚しても浮気して離婚するのが普通だという。実際に浮気するかどうかは現代でも規範を守るかどうかの個人的事情によるため、不確定である。だが心理的には浮気願望というものが男にも女にも現実に存在する。恋をして結婚し、破綻して別れ、また別の人と恋をして結婚し、を繰り返すことが自然なのではないかと彼女は考える。アメリカの人類学者のヘレン・フィッシャーは『Anatomy of Love』において、「愛は4年で終わる」と書いている。世界の国や地域・民族を調べた結果、世界の離婚のピークが3~4年であったことがその根拠となっている。映画には『7年目の浮気』(1955年)というのがアメリカ映画にあったことを思い出す。坂口によれば、一緒に生活するパートナーが1対1である場合、それを「社会的一夫一妻」と言うそうだ。それに対しパートナー以外とは性的関係を持たない場合は「遺伝的一夫一妻」だと言う。鳥の場合、9割が社会的一夫一妻であるが、それは必ずしも遺伝的一夫一妻ではないことが近年分かってきた。つまり鳥のメスは浮気をするのである。それは多くの種(たとえば野良猫)でも同じことが起きていた。人間もまた同様で、国によっては女の方が浮気率が高いという統計もある。一方、人間だけが法で縛られて浮気ができないのである。浮気は生物の種の保存・個の保存という本能的な働きによるものであり、また子殺しを防ぐためでもあると坂口は言う。婚姻は男が側にいることで、他の男が子を殺さないように守っている、と坂口は解釈する。
 
  国の文化によっても婚姻の意味は異なるフランスでは家庭を大切にしつつも恋をも楽しむ。イタリアラテン諸国は性欲自体を楽しむようだ。日本はそれに比べるとひどくかしこまっており、性文化はかつては豊かであったが今は衰退して、世界で最も「性生活に満足していない」民族となってしまったアメリカでは反対に、極端に合理主義に走って卵子や精子をカタログで選んで買うという時代になってしまっている。産むのも代理母と契約するという。それらは突飛で喜びの少ない味気ないやり方に思えるが、より良い子孫を残すという意味では恋や結婚と同じ行為であるのかもしれない。現代に起きている性のゆらぎというものは、制度的には性の規制を緩める方向にいくべきではないかという意見が番組のコメンテーターの中には多かった。そして女性の立場からは坂口が、「この人とは嫌だ」という感覚が動物本能としての「選択」を行っているのではないかと述べたのは印象的であった。確かに自然な感情の中に自然選択があるのであり、それはまた男女の関係の中にも多種多様な選択があり得るということも示唆しているのかもしれない(10.30「性的マイノリティーが生ずる要因に関する一考察」参照)
 
TOPへ戻る