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【時事評論2021】

働きの仕事選択

2021-12-17
  人は動物と異なり、生活を維持していく上での必須条件を分業で作り出している。動物の場合は生きていく上での必須条件をそれぞれの個体が自分で作り出さなければならないが、人間の場合はその必須条件が文明の進化とともに複雑化していったため、自分だけでは条件を作り出せなくなった。例えば生きるのに必須の水という条件1つをみても分かるように、それは浄水された無菌の状態が要求されており、浄水場で作られる水が各家庭などに配管を通して蛇口から出るというインフラが無ければ、文明的生活を維持できない。食べるものにしても、自給自足している人はほんのわずかであり、農村で自給自足していると言っている人も、自分で作れるのは野菜とコメ、そしてわずかな種類の果物だけであり、加工食品などのほとんどは購入している。このように人間は分業によって生活を維持してきたことから、そこに職業というものが生まれた。

  古代を想像してみると分かりやすいと思うが、矢尻を作るのが得意な人がいたとすると、その人に注文が多く舞い込むことで、専業が生まれただろう。その人は他の仕事ができないため、食料などを代価として貰うことで生計を立てた。いつしかそれは給料という形になり、専業が職業になった。現代では無数の職業(生業)が誕生し、古代の手先仕事から肉体労働、兵士としての職業へと変わっていき、今では多くの人がPCの前でデスクワークをしている時代となった。だが生きるために職業に就かなければならないという事情は、もう数千年の歴史を持つことだろう。「仕事」という概念が何時頃から生じたのかは判然としないが、古代の人が「狩りに行ってくる」と家人に告げる代わりに、現代人は「仕事に行ってくる」と言って出かける。そうした仕事というものを、人間は何歳くらいから意識しはじめるのだろう、という素朴な想いからこのテーマは生まれた(12.15「3歳の「お仕事」 」)

  人が生業(なりわい)としての仕事を意識するのはかなり早い時期だろうと思う。子どもが小さい時から、親が出掛けるときに「仕事に行ってくる」と言う言葉を意識するからである。筆者も孫が「パパは?・ママは?」と問いかけるときに、「お仕事だよ」と言い聞かせると、孫は納得したように頷く。確かに3歳であっても、仕事は大切なものなのだということくらいは理解している。そして現代において、人は仕事の選択を何時頃から具体的に意識するのだろうかと考えた。小さい頃にはよく子どもが「大きくなったら電車の運転手さんになる」とか、「飛行機のパイロットになる」とか云うのを聞くが、動くものを動かす仕事が好きなようだ。すこし大きくなってくると、「お医者さん」・「お巡りさん」とか、社会で尊敬されている身近な職業が出てくる。だが大学などに進学するとその専門分野にある程度仕事が限定されてくることから、希望職種はかなり具体的になってくる。

  筆者の仕事選択は実に簡単な偶然によって決まった。大学に1年契約で実験助手としての仕事をしていたときに、偶然部屋に入ってきた初対面の教授に「どこか就職口はありませんか?」と訊いたのが一生を決めた。教授は名刺を取り出して斡旋先の学校名を裏書きして渡してくれた。後任を決めて無事に途中退職し、学校に就職したのは年度途中であった。そもそも教職課程を受けていなかった私としては、全く予想外の職業に就いたわけである。これは極めて珍しい例外だと思うが、多くの同期の桜はリクルートなどから資料を取り寄せたりして就職口を決めていた。現代ではもっと進んで、ネット上の情報から希望の会社を探すことが多いようである。息子は2回転職したが、いずれもネットの求人情報から情報を得たようである。最近ではヘッドハンティングや中途採用求人も多いと聞く。

  人の仕事選択には、①公務員か会社員・②公務員の場合は県市区町村の別・③会社員の場合は分野を決定しなければならない。学歴や資格、あるいは職業歴なども関係する。まず自分の履歴書の作成から始まるのだろう(筆者は上記経緯から、履歴書は就職が決まってから書いた)。学歴が高くなればなるほど、また年齢が高くなればなるほど、職業の幅も制約されてくる。親の自営業を継いだり、自分で独立創業するのは暫く後になってからが多い。いろいろな経緯を経て、人は自分の仕事を決めるが、それも事情によって途中で変化したりする。多くは転職による変化であるが、職場での昇進や転任などに依る場合も多い。生涯を同じ仕事で通す人も多いと思われるが、人間は適応能力が優れているため、途中で仕事の内容や質が変わっても、適応していくものである。

  未来世界ではそこら辺の事情が多少異なってくるかもしれない。というのは未来世界では現代にない「人格点」というものが、その人の職業にも直接影響してくるからである。例えば政治の世界に足を踏み込もうとする場合、現代では極端に言えば学歴さえも関係なく自由であるが、未来ではそうはいかない。特に政治の分野に入り込もうとしても、議員秘書には成れても議員になるには「賢人資格」がなければ成れない。現代のどこかの国ではストリッパーでもお笑い芸人でも議員に成れるが、未来世界はその点厳格である。政治家になるにはそれに相応しい人格を備えていなければならないからである。選挙は人気投票ではなくなり、人格を見定めるものとなる。

  会社に入社してからは、人格点が高くなっていかなければ昇進も叶わない。まして社長になるには、従業員や役員の中で最も人格点が高い人が選ばれることになるだろう。人格点が高い人は、それなりに常識を備えているだけでなく、経営手腕に於いても高い評価を得ているはずだからである。特に会社の利益よりも、社会貢献という視点を重視する人の方が人格点が高い可能性が大きい。社会全体が人格点が基準となってポジションが決まってくることから、全ての人が自分の人格を高めるような努力をすることになる。人格というものは自分で評価するものではなく、他者が評価して決めるものであるため、自分の努力が的外れな場合には周囲からの尊敬を集めることができない場合もある。頭の良い悪にとっては住みにくい世の中となるだろう。

  人は正義を全うした時に最高の満足が得られるように出来ている。不正によってどんなに高い地位についたとしても、それは何時も脅威との闘いであって、穏やかで深い充足感というものをもたらさない。また周りの人々も尊敬の念を持たない。そうした欲望によって得られた高い地位は不安定なものであり、不運や裏切などによって晩節を汚した「お偉い」人はいくらでもいる。未来世界では人の道に外れるということが極端に嫌われることから、また悪い競争というものも少なくなることから、多くの人が善なる競争によって自分の人格の高みを目指すようになるであろう。その際には職業の種類や仕事の内容は関係ないものとなり、全身全霊で自分の仕事に真摯に誠意を持って取り組む人が、高い人格を得ることになるだろう。


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