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【時事評論2021】

3歳の「お仕事」

2021-12-15
  ノムは孫の養育に多少なりとも関わっていることから、その成長に合わせて自分としてもいろいろな工夫をしている。1ヵ月という時間の経過は、子どもにとっては恐らく若い世代の数年、老人にとっては10年に相当する変化がある。その変化についていくことだけでも大変だが、それに合わせて自分を変えていくというのはもっと大変なことであると実感する。多くの大人は子どもの成長に合わせているとはいえ、その接し方を見ていると、大人の論理が中心になっているのではないかと思わせられることが多い。たとえば子どもが言葉を学ぶ3歳までの間に、世話はするもののほとんど話しかけをしない親も多くなってきた。子連れの親がスマホに熱中している姿はその象徴である。つまり親の都合や好みが優先されている場面を見ることが多い。

  筆者は幸いなことに年金生活者であるため、時間拘束されるのは孫を世話する時だけであり、それも保育園に預けているため、1日のうちで5:30~9:00頃だけであり、その間に合間をみて執筆をすることもあったりして、孫に完全に拘束されているわけではない。だがその間に遊び相手になっているのは私であり、孫の関心の移り気に合わせて遊びを考えるのは大変なことである。幸いおもちゃを買い与えることは少なく、身の回りの物品や道具、そして廃棄物などを用いて遊びを創出している。そして3歳になった頃から、躾と習慣の重要性が増していると実感し始めた(2.17「孫の躾」・6.30「幼児の心理と躾 」)。たとえば、家に帰ってきたときに必ず手を洗わせるという習慣を身に付けさせるために、家内は言葉で叱るような口調で命令するが、孫は容易に言うことを聞かない。そもそも園から帰るときに園内遊具で遊びたがり、家内は40分も悪戦苦闘した挙句、ついに音を上げた。

  そこで私の登場となり、一昨日から私が迎えに行くことになった。私のやり方は、孫の気を反らす・孫に期待感を与える・孫の気を誘導する、というような方法を用い、言うことを聞かないときには時に大声で脅して尻を叩くという非常手段も用いて変幻自在な対応をするよう心掛けている。重要なことは、こちらの都合を無理に孫に要求しないことだと考えており、孫の意思を優先しながらも、それを誘導することでこちらの都合に合わせるように仕向けることだと考えている。孫から観ると「じじちゃん」はやはり怖いらしく、私が迎えに行くと、昨日は山登りだけをして素直に帰った。両親が、勤務日である月曜から金曜まで夜の8時以降でないと帰ってこないことから、孫も意味はまだ分からないにせよ、「お仕事」というものが大切なことだという認識は持っているようである。

  筆者はしばしば、庭仕事や修復仕事などをしている時に、孫に真似させることが多い。2歳の頃は何にでも興味を抱くことから、真似させることは容易であった。3歳になると多少面白い事かどうかによって、興味を持つか持たないかが出てくる。そのような時に、面白くないことでも、これは「お仕事だよ」と言い聞かせると、やりがいを感じるらしく、真似仕事をやることが多い。役には立たないお邪魔虫であるが、孫のためだと考えて、面倒を看るようにしている。そして先日ふと、孫に「お仕事」をやらせて褒美を与えるという習慣を身に付けさせることができるかどうかを考えた。これは試してみる価値はありそうだ。もしおやつを褒美として与えるようにすれば、孫もおやつ欲しさに仕事の手伝いをするようになるかもしれない。

  だが一つ障害がある。家内である。家内は孫にまるで決まりきった習慣であるかのように、食後などにおやつを与える。それに報酬の意味はない。ひたすら与えることが義務であるかのようにせっせと果物などを用意する。筆者は男であるせいもあり、おやつはご褒美として与えることにしており、決まりきった習慣としては与えない。ミカンは最初は薄皮まで剥いて与えたが、2回目からは厚皮が付いたまま与えることにした。孫は苦労しながらも、楽しそうに皮を剥いて、薄皮ごと食べる習慣が付いた。その時も私は、孫と一緒になって剥いた厚皮の大きさを「大きいなぁ!」などとはしゃぎながら応援する。皮剥きも遊びにしてしまうのである。そのお陰か、孫はミカンを大層好きになった。

  囲碁の棋士の中には3歳頃から始めたという人がいる。恐らく記憶に残っているわけではなく、周りからそう言われてそう思い込んでいるのだろう。棋士の親や祖父などが、身近に対局姿を見せていれば、孫も自ずと興味を持つ。最初は石で遊ぶだけだが、徐々にルールを覚えて石の取り合いなどによって対局できるようになるのだろう。筆者も孫に囲碁を覚えてもらって、将来の大局相手にしたいと考えており、2歳の時からマグネット碁石で遊ばせた。だが最近はほとんど興味を示さない。意味が分からないことに興味が湧かないのは当然であり、如何にして興味をもたせるかで考えあぐねている。「お仕事」についても同様であり、それに報酬が伴えば自然とやるようになるかもしれないし、仕事の意味が分かってくれば、自分から協力するようになるかもしれない。

  昔はどこの家も子どもが多かったこともあり(筆者は10人兄弟で3歳まで育った)子どもにもそれなりの「手伝い」という仕事があった。ほとんどの場合褒美は与えられなかったと思われるが、それでも子どもなりに手伝いは当たり前のことだと思っていた時代があった。現代は食うことよりも楽しむことに重点が移ったことで、誰も子どもに手伝いを要求しなくなり、子どももまた、それを拒否するようになって自分の興味のあること(ゲーム等)に集中するようになったそのような現代で、子どもに仕事の大切さを教えるのは並大抵なことではない。だが筆者は孫の未来を考えた時、それが辛苦を伴う時代であることを想像して、敢えて仕事や役割の重要性を子どもの時から教えたいと考えている。その方法はまだ試みていないが、恐らく何らかの褒賞(遊んであげること・おやつを上げること、等)を約束することで、仕事をやらせて達成感を味合わせたいと願っている。結果が出たらまた報告したい。

  早速だが、翌日の16日に私が保育園に迎えに行ったとき、一緒にスーパーに純水を貰いに行った。限外濾過方式の純水をサービスでタダで貰える。3Lタンク3つを運ぶとき、ワゴンに載せたところ孫が押したがった。やらせて車まで運び、家に着いたら今度は孫がタンク1つを運びたがった。やらせたら重そうに家まで持って運んだ。大層褒めたら誇らしげな顔をした孫が初めてまともなお手伝いをした最初の経験だった。孫にしてみれば、重い荷物を運ぶのは「お仕事」であったに違いない。ワゴンを押したのも同じである自分が役に立つというところを見せたかったのであろう。孫にしてみれば、大いに達成感を味わったに違いないと思う。その後ミカンを食べた時、ジジにも1つ分けてくれた。また救急車遊びをしたときには、「ありがとうございました!」という難しい言葉を、すこしつっかえながらも3度も言った。優しい心根を持って成長していると感じている。(12.16追記)


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