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【時事評論2021】

道理論と法律論

2021-06-16
  現代は全て法律が優先されており、道理はあとに回される。どんなに道理に適っていたとしても、それが法律上の規定に触れることがあると、それを問題にする人が多くなっている。たとえば他人の敷地に足を踏み入れるということを考えてみよう。それが集合住宅の敷地であれば、そこは半公共の場であり、誰が入ろうが文句は言われない。だがそこで犯罪が起きたとすると、犯人が敷地に侵入したことが、不法侵入として犯罪要素の1つになることもあるだろう。多くの場合、法律的な厳格さよりも、常識を優先させて人々の日常生活は成り立っているが、ノムはそれを超えて、社会全体の利益のためには法律よりも道理を優先させるべきだと考えており、それを実践している。それを事例にして、今回は「道理論と法律論」というテーマで考えてみることにした。

  ノムの自宅の前の道路に直径10cmほどの穴が開き、市の道路課に電話をして修理してもらった。だが派遣されたのは下請け業者であり、2人が20分ほどで処置してくれたが、その費用がどの位になるのか知らない。日本は素晴らしい国であり、連絡した翌日には飛んできてくれた。だが地方財政も厳しい折、こんなことに税金を使っていいのだろうかと考えてしまった。そこで自分で修繕することを考え付き、元々そうした工事が好きな性格なので、セメントに塗料を加えたり、シーラーを加えたりして工夫して、修理跡が目立たないようにしてやってみた。1年が経ったが、穴は修理し易いが、ひび割れは難しいことが分かった。だが比較的上手くいったと思ったので、自宅に近い道路の修理をやりながら、凸凹も補修してみた。

  そこで考えたのは、市民が道路を勝手に修理していいものだろうか、という問題である。ノムとしては一々届けて許可を取るのは面倒だし、これは皆に喜ばれる善行なのだから市役所も文句はないだろう、という考えであったのと、市民が自主的に道路を修繕するのは市の財政にとっても助かる事だろうと思った。また修繕することで道路の全面再舗装までの期間が延びることも期待できる。調べてみると、道路の賞味期限は5年となっているようである。5年ごとに再舗装しているという現実はなく、少なくとも自宅前は25年以上舗装していないのが現実である。アスファルトで舗装するのとセメントで舗装するのとどちらが持ちがいいのだろうかとも考え、ハイブリッド舗装(アスファルト舗装の上に薄くモルタル舗装を重ねる)を考案してみた。現在実験中である。

  ムの道理をまず述べたい。
 1.行政はインフラ整備の予算を組む際、それによって新たに生ずる維持費・修理費を軽んじている。それを計算に入れて予算を組まないと、予算は膨大の一途を辿る。
 2.市民が管理できる道路舗装の修理や歩道の街路樹や植え込みの管理、さらに言えば公園の管理などは、市民のボランティア活動に任せられるものは任せた方が良い。協力してくれた市民には人格点を付与すればよい。
 3.市民の手に負えない本格的補修は市が行う。そのために市民との相談は欠かせないだろう。市民への費用に関する説明を含めて、その意義について市は丁寧に説明することが望ましい。それは市民主導の社会構築に大いに役立つ。
 4.市民による公園管理・道路管理・歩道管理などは市の予算を減らせる可能性がある。また本格的整備の間隔を長くすることができる。

  そうした観点からノムは勤務先の道路際のガードレールのコンクリートブロック枠にマツバギクを植えて管理をしている。長さは50m位である。通る人に美観を与えていると思っている。また自宅前道路の補修と凹凸の補修を行った。工事の際にはコンパネ(コンクリートパネル) を切ったものを置いて、自動車が踏んでも大丈夫なようにした。苦情は今のところ出ていない。これらは多分法律上は許されることではないかもしれないが、善意から出ている行為であり、誰にもとっても良いことであるから許されるであろう。それは道理論からしても納得できることであろう。

  もし苦情が出た場合、ノムは申し開きのために道理論を展開するだろう。それで通報者が納得すれば一件落着であり、納得しない場合は裁判となっても良いと考えている。それはニュースになり、道理と法律の問題提起となるだろう。なにかしら変革を行おうとした場合、自己犠牲をためらってはならない。自己を犠牲にしてこそ何かしら有意義なことが行い得るのである(5.13「他者への愛 」参照)

  未来社会では道理主義に立つため、問題が起きた場合に道理と法律を比べてみて、道理を優先する(20.11.27「権威主義・権利主義からの脱却・法律主義から道理主義へ」参照)。道理は成文化されないものだが、人間はそれを判断できる。AIに判断させても良い。こうして不条理の発生を防ぐことができ、人々の納得度や満足度が増すであろう。


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