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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2020】

集団免疫論(3396文字)

2020-12-22
  「集団免疫論」というものは仮説であるが、これまでのペスト菌やインフルエンザなどのウイルスによる生物への攻撃によって、たとえば人類が全滅したようなことは無かったことを基にしている。すなわち生物には免疫というこれらの微生物に対する抵抗機能があり、病気に罹る割合を減らし、たとえ病気に罹っても軽症で収まらせてしまうのである。ペストという恐怖の病原菌の場合は、地域によっては100%の死亡率であった場合もあったが、人類がどこかで必ず生き残るという原則は守られた。中には持病を抱えていたりして、感染症に罹ることで寿命を短くする人もある。それは自然界の仕組みとなっており、生物が集中的に生息した場合に感染症は猛威を振るうことが多い。だが免疫によって耐性を得た個体が必ず残るので、全滅は防がれる。そしてこの免疫はある程度は遺伝するようだが、多くは後得的(【筆者造語辞典】参照)なものである。
 
  人類が産業革命で人口を爆発的に増やし始める前から、人類は都市という集合体を作り始めた。これは細菌のコロニーに似ており、特定の場所に人口が集中している。このような場所では自然界とある程度疎遠になるため、自然界に多数存在する細菌やウイルスからの攻撃を免れるという良い一面がある一方、一旦侵入されると感染拡大し易いという欠点を持つ。ペストが流行したのは世界各地の都市であり、年代も6世紀から8世紀、14世紀から17世紀、19世紀から21世紀と大きな波動を作っているが、最も猖獗(しょうけつ)を極めた14世紀から17世紀にかけては「黒死病」と呼ばれて恐れられた。当時は治療法が無かったために致死率は30~100%に及んだという。
 
  インフルエンザは歴史が古く紀元前からあったとも言われる。科学的に立証されたのは比較的近年で、1900年頃からになるという。100年足らずの短い期間に 「アメリカ(スペイン)風邪」「アジア風邪」「香港風邪」「ソ連風邪」と、4度ものパンデミック(世界的な大流行)があった。最も古い1917年~1919年にかけて大流行した「アメリカ(スペイン)風邪」においては、全世界で6億人が感染し、死者は4000万人から5000万人だったと言われている。この猛威は当然日本でもふるわれ、人口の約半数が罹患し、約 40万人の犠牲者が出たと推定されている。日本だけをみても、明治6年2月から関西で、8月~10月に掛けて関東で大流行した「稲葉風邪」がインフルエンザと断定できる最初の流行とされている。日本では「流行性感冒(流感)」と呼ばれた。最も古い記述では三代実録(862年) という一般の書物での中にそれと思われる記述がでてくる。
 
  これらは一時期(数年に及ぶ)に流行り、その後収まっていることに注目しなければならない。これは多くの人が感染することで集団免疫が生じ、感染の勢いが衰えることで自然と収束することを意味する。一般に感染は「再生産率」が1以上で拡大、1以下で収束すると言われる。武漢コロナの場合は、WHOが暫定的に1.4~2.5という数値を示している。スウェーデンは公的には声明していないが、考え方として集団免疫を目指す免疫飽和を目指す方策を取っている。つまり過剰な日常活動の制限を極力避け、最低限の予防対策をとって、時間を掛けて免疫飽和を目指すという考え方である。しかし9月18日になってやっとマスクを推奨するということに見られるように、対策が甘かったことは明白であり、ついには国王が12月半ばに番組で「対策の失敗」を示唆する懸念をもらした。12月段階での感染数は北欧諸国で突出して多いが、英・仏・尹・西など都市封鎖を行った国々よりは人口比での死者は少ない
 
  すなわちまだスウェーデンの「集団免疫」対策が失敗とまでは結論できない。集団免疫を早期に有効にするにはワクチンが欠かせないが、これまでの感染症の歴史的事例をみれば、数年内に自然に収まる可能性の方が大きいと見るべきなのではないだろうか。各国はワクチンが唯一の解決策だと考えているようだが、既に感染が1年を過ぎたこの時期を考えると、あと2年待てば自然に収まると考えられる。筆者はむしろ、感染予防のための都市封鎖やソーシャルディスタンス対策が感染を長引かせているのではないかと恐れる。日本では一波が3月から5月に掛けて、2波が7月から8月に掛けて、3波が11月から猛威を振るっている。ピークの頭を辿ると現在はほぼ直線となるが、これまでの経験からするとピーク間隔が広がるとともに級数的に増えると考えられることから、3波のピークは1月で1日の感染者はおよそ5000人となるだろう。そうなるとスウェーデンの考え方との優位性の差は徐々に無くなっていくだろう。
 
  まだ世界での実態が必ずしも明らかではないが、明確なのは中国における都市封鎖が最大の効果を上げたことである。これは何を意味するのであろうか(10.25「コロナに対する免疫の東西の違い」参照)。西欧の都市封鎖が中途半端なものであったから失敗したのか、それとも中国には元々免疫の強い体質なり環境要件があったのかなど、考察すべき要素は山積みである。筆者はなぜアフリカなどの治療体制の不備な国々でパンデミックが起きていないのかということに疑問を持っているが、それも実態が解明されていないことが一つの要因としてあり、実際は感染者増大にあっても免疫が強いために表れていないのかもしれない。現在はまだ以上のことから予断できる状況ではないが、この災厄が過ぎ去ったあとに科学的な事実が明らかになっていくのであろう。筆者としては自然に任せた場合の感染者がおよそ全人口の2/3に達した時に再感染率が1を下回ると考えているが、それによる死亡者が1%であった場合、世界での人口減は7400万人に達することから、これはやはり大災厄の1つと考えていいのではないかと思っている(*005「大災厄後の世界」参照)
 
  最大の問題は人々の耳目が感染者の増加にばかり集まっており(これにはNHKの責任が重大である)、感染を気付かない無症状者や軽症者の存在を無視していることにある。検査をして陽性であれば無症状であっても罹患者として扱われてしまい、統計上は感染者増加につながる。すなわち検査すればするほど感染者は増えるのである。この矛盾を報道でも述べてはいるが、その無症状者の意味を把握しようとしてはいない。もし真の感染者が現在統計上に表れているの感染者(統計感染者)の10倍であるとすると、日本の真の感染者はこれまでの累積統計感染者20万人から推定して200万人ということになる。インフルエンザでは日本の人口の半数が罹患したとも言われており、これから推定すると6000万人が感染する可能性もある。死亡率1%とすれば60万人の死者が推定されることになる。1956−1957のインフルエンザでは超過死亡者が2年間で5万人を超えたという推計もあり、筆者の推定の数字は決して誇大なものとは思えない。現在の死亡者はまだ3000人に達しておらず、毎日大騒ぎするような事態ではない。本当の脅威はこれからだと覚悟する必要があるだろう。いずれにしても科学的に報道しようとするならば、真の感染者の推定飽和に達するまでの期間の推定超過死亡者の推移を冷静に報道すべきである。
 
  心配なのはコロナの変異であり、すでに9月にそれがロンドンで発生したようである。インフルエンザも現在分かっているだけでも4種の型があり、それが恐らく変異によってもたらされていることは確実であろう。コロナが今後変異を重ねていくと、ワクチンの有効性が格段に落ちることは明白であり、現在の対応が間に合わない恐れもある。最悪の状況を想定するのが賢明だとすれば、感染防止策を強化するよりも、一人一人の免疫力を向上させることを国民に徹底させる方が賢明だと思われる。日本政府や諸外国では一切そのことに触れておらず、対策が片手落ちであることは明白である。戦争でも攻撃と防衛の二面で備えなければならない。防衛も武器だけ用意すれば良いというものではない。国民が全員その武器を使えるように訓練しなければならない。そのような発想が現代の医療・政治に欠けていると観るのは筆者だけなのであろうか。
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