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【時事評論2020】

ストレス論の医学的側面(21.3.22追記)

2020-12-06
  前回の11月30日に書いた「ストレス論」では社会的側面を述べたが、今回は医学的側面に触れてみたい。筆者は2012年7月14日に『ストレス論』(№164:9771文字)・2014年5月12日に『社会学的ストレス論』(№466:4598文字)を書いているが、今回はたまたまNHKの海外ドキュメンタリー「ストレスの真実」(20.12.6再放送)を見たことから、前項に引き続いて医学的側面について追記しようと考えた。従前の論文に捉われず、最新の知識を盛り込みたい。
 
  人は生存の危機や怖いものに遭遇したとき、恐怖や危機的状況、そして不都合な状況に遭遇したときに、本能的に動物的な反応をする。それはしばしば「闘うか逃げるか」という選択になる。その際の生体的反応には血圧上昇・呼吸数増加・体温上昇が伴う。それらを制御しているのは脳であり、外部刺激が目などを通して脳に与えられると、最初に偏桃体がこれを感受し、視床下部にこれを伝える。視床下部は副腎ストレスホルモン(ノルアドレナリン)を出すように指令し、これにより心拍数が上昇し、筋肉に血液が送られることで呼吸数も増える。そのことで感覚が研ぎ澄まされる。この反応は瞬時に行われるため、人はここで戦うか逃走するかの判断を迫られる。戦う場合に「火事場の馬鹿力」を発揮できたりするのもこれらの反応のお陰と言えよう。

  病院で癌を告知される患者の心理を考えると、筆者の経験からは医者から脅かされることが多かったことから、多くの癌患者は落ち込むことであろう。つまり恐怖に落とされることが多い。それは前述の選択でいえば「逃げる」ことを選択したことに等しい。もし医者が「しっかり養生すれば治りますよ」と励ましていれば、患者は「闘う」ことを選択するだろう。だが医者は嘘を付けない人が多く、また責任回避の姿勢から役人的になり、正直に患者に今後の可能性を述べるに過ぎない。それは決して正しい医師の在り方であるとは言えず、万が一の可能性があることを期待して患者に励ましを与えるのが正しい態度であると思う。
 
  現代のストレスは生存が直接脅かされるようなものは滅多にない。それよりも現代生活から来るストレスが圧倒的に多い。たとえばカード残高を見るとき、仕事がうまくいかないとき、車がパンクしたとき、スマホに仕事の電話が入った時、等々で人は大きなストレスを感じることが多い。生徒が問題に解答できない時も同様である。このようなときには脳の理性を司る前頭葉がより原始的な部分に乗っ取られ、理論的・冷静に考えることができなくなる。その結果感情的反応が爆発したり、感情さえ失って茫然とすることもある。女性の中には大きなストレスを受けて失神することもある。
 
  こうした生体反応を逆に有用なものに変えることができるという。すなわち、有用な仕事をするときには、ある程度のストレスが必要だということである。試験や競技の前の緊張がそれに相当する。そのとき、挑戦するものに対して恐れの感情を抱いたら負けである。むしろそれを楽しむような心のゆとりがあれば、これらの挑戦に良い結果をもたらすことができるだろう。近年ではこのような考え方が主流になってきたこともあって、競技者らがよく、「試合を楽しみたい」と発言することが多くなった。これはトレーナーが精神的な叱咤激励よりも、科学的な動機付けによるイメージトレーニングを重視するようになったからであろう。これは試合などに勝ったことを想像したり、相手が自分より弱いと思い込むことなどの心理操作のことを言う。自分がスーパーマンになったような気分にさせることも有効である。そうすると脳は理性の側である前頭葉が原始的脳である後頭葉を支配することで、普段よりもより大きな力を発揮させることができるのである。
 
  何か初めての経験をするときに、それが怖いことであったとしても、それを始める前に「これはワクワクするようなことだ!」と思い込ませることは有効である。それを言葉に出して言うことでより効果的になる。ストレスホルモンの一種であるノルアドレナリン(上述) は脳の脳幹末端の背側にある青斑核で作られる。このホルモンは血中の二酸化炭素の濃度に敏感に反応し、ゆっくり呼吸することで調整が可能である。試合前に、指導者が「大きく息をして」と言うのは科学的根拠がある。また堂々とした姿勢を取ることも制御をしやすくするという。呼吸がしやすくなり、気分も大きくなる。逆にうなだれると呼吸は小さくなり、ノルアドレナリンの量を増やしてしまう。だがおもしろいことにノルアドレナリンの量が多すぎても少なすぎても脳の働きは落ちるという。制御がうまくいけば、実力以上の力を発揮できることが多いのである。脳はストレスによって生み出されるエネルギーをうまく利用しているのである。

  1991年に湾岸戦争が集結したあと、米国軍兵士の間には「湾岸戦争症候群」が見られた。その症状は慢性疲労・筋肉痛・睡眠障害・認知機能の低下、というようなものであった。これを研究した米国とカナダの研究者によって、脳を守っている「血液脳関門」がストレスで損傷を受けた結果ではないかという説が唱えられた。これはマウスに与えたストレス実験によって確認されたものだが、1996年にNature Medicine誌、1998年にNature誌に掲載されて大きく評価された。脳関門がさまざまな物質から脳を守っていることが知れていたが、ストレスや加齢がこの機能を損ねることが分かった。湾岸戦争の場合は、化学兵器から身を守るために兵士に与えられた解毒剤・ピリドスチグミンが、戦時ストレスを受けた兵士の血管の関門を通り抜けて脳に達したためと考えられている。加齢の場合はストレスではなく、単に機能が落ちたことで認知症誘発に関連していると考えられている。
 
  筆者は入学試験の受験の際に、周りを見て「大して優秀そうなライバルはいないな」と思ったことがある。これは今振り返れば、自信を持つことにつながったようで、5大学全ての受験に合格した。社会人になって弓道を習ったときに初段を受けた際、いつもは着用していない稽古着を初めて着たにも拘らず、落ち着いて射場に立つことができた。そのお陰で普段あり得ない2射を当てることができ、二段に飛び級認定された。そば打ちで四段を受けた際、ほとんど練習しなかった。直前まで失敗続きであったが、不合格の覚悟を決めたことで居直られた。実技試験に落ち着いて挑めたことで、初めて試験粉を試験の場で打つことができて合格した。どのような状況にあっても冷静さを失わず、恐怖感や不安感を持たなかったことが実力以上の力を発揮できた理由だと思っている。
 
  以上の医学的知見・経験的知見から分かることは、人は絶えずストレスに晒されている状況にあるが、それをうまくコントロールすることでなんとかやっていけるものだということである。絶望する前に、自分の心をコントロールすることで対処することをぜひお勧めしたい。それは精神論に立った勧めにみえるかもしれないが、現代の科学はそれが実に科学的に合理に適ったものであることを明かしてくれた経験論に立つ精神主義を決して侮ってはならない。精神がしっかりしていれば、人間はほとんどのことをうまくやってのける力を持っているのである。ただし、いつも運というものが支配していることを忘れず、上手くいかなかったときには他人や自分を責めるのではなく、単に「運が悪かった」と諦めて再出発することが肝要である(11.7「運命論」)

  2021年になって、新聞の雑誌広告欄に小さな記事タイトルを見つけた。「ストレス侮る癌大国・日本」というものであった。内容を読んでいないが、多分癌の原因で最大であると考えられるストレスについて、日本ではあまり重視していない、と主張しているのであろう。その通りであり、日本では癌患者に食事療法や休養を勧める程度の助言しか与えておらず、精神的な励ましや気力を高めることなどの助言はほとんど行われていないと思われる。癌患者にも日常生活におけるストレス解消は治療として有効であること、精神的高揚がもたらす回復力(免疫力向上によると思われる)が奇跡を起こすこともあるということを医師にも知ってもらいたいと思うのである。(21.12.28追記)


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