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【時事評論2020】

日本学術会議は民営化されるべき(3383文字)

2020-11-02
  日本学術会議に関する記事は既に3度も書いた(10.3「日本学術会議の人選の任命権問題」・10.10「再度、日本学術会議の非を問う」・10.10「再々度、日本学術会議を暴く」参照)。だがまた新たに筆者の主張する民営化を正当化する材料が出てきた。それを指摘したのは櫻井よしこである。11月2日付産経新聞の定例コラムに櫻井は寄稿したが、本項では敢えて彼女の指摘をそのまま掲載することにした。本人、および産経新聞には了解を得ていないが、おそらく道理主義に立てば両者とも掲載することに異議は唱えないであろう。櫻井の主張することを世に広めることは大いに両者の益にもなることだからである。また産経新聞を購読していない読者にとっては、本項によって櫻井の主張を読む機会が得られることになる。(以下の文には西暦を加えてある。また重要な部分は筆者の判断で太字にしたり、下線を付した)
 
 
  (以下産経新聞コラムより)『菅義偉首相が日本学術会議に投じた一石は戦後長く日本の政治・言論空間をよどませてきた教条的、左翼的な観念論を静かに無力化する第一歩となるだろう。学者の責任は専門分野における真理を見いだし、それにおって国民、社会、国に貢献することだ。しかし学術会議71年の軌跡は彼らが学術的真理とは異なる次元で、たとえば昭和25年(1950年)、同42年(1967年)、平成29年(2017年)の3度にわたる軍事研究禁止宣言に見られるように、特定の政党や政治目的に事実上加担し、組織的に運動してきたことを示している。
 
  この種の政治的宣言で、彼らは70年以上、学問の自由を妨げてきた。しかもそれを特別職の国家公務員として国民の税金で常勤職員50人を事務局に置いてやってきた。こんな組織はもう要らない。
 
  菅首相の任命拒否でほとんど注目されることのなかった特異な学者集団に人々の耳目が集まり、活動実態が理解され始めたことは、わが国にとって本当によいことだった。
 
  学術会議の来歴に触れる前に立憲民主党の安住淳国対委員長らの主張の壮大な間違いを指摘しておきたい。安住氏は今年10月21日、菅首相の任命拒否を「政治権力が学問の自由に介入した」と非難した。しかし学術会議会員の任命と学問の自由はおよそ無関係だ。
 
  学術会議も元会員で平成23年まで副会長を務めた東京大学名誉教授の唐木英明氏は、学問の自由は①研究の自由②発表の自由③教育の自由によって構成されると説いた(「国家基本問題研究所」研究会、今年10月23日)。
  学術会議は研究機関ではないために①と③は無関係だ。②について、彼らの「軍事研究絶対拒否」声明は3度とも堂々と発表された。その他学術会議内の検討事項も発表されてきた。すなわち②についても政府の妨げは全くない。学術会議の任命と学問の自由は無関係なのである。
 
  繰り返すが学問の自由を邪魔しているのは学術会議の方だ。3度にわたる軍事研究絶対拒否声明は確実に大学教授や研究者の学問の自由を侵害してきた。まるで化石のような存在だが学術会議の権威はまだあるのだ。声明によってとりやめになった大学教授らの研究の事例は少なくない。
 
  一方、近年改められたとはいえ、東京大学や京都大学など有力国立系大学で自衛官の入学が長年拒否されてきた。昭和51(1976)年、53(1978)年度の防衛白書には自衛官を理由に大学院への受験辞退の要求、願書受け付け拒否などの被害が39(1964)年からの7年間で延べ50人に上ったと報告されている。
 
  防衛大学校の学生故に国立大学が有為の青年から教育、研究の機会を奪った背景に、学術会議の声明の影響は否定できない。学術会議こそ学問の自由を妨げる元凶だと強調したい。
 
  なぜこのような教条的かつ左翼的学者集団がうまれたのか。再び唐木英明氏の論を借りれば、学術会議は設立当初から連合軍総司令部(GHQ)および日本共産党と深い関係にあった。昭和21(1946)年夏から秋にかけてGHQ科学技術部は当代の茅誠司氏らに日本のあるべき科学研究体制を作るよう指示した。彼らは日本の原子力研究を禁止し、理化学研究所、大阪大、京大のサイクロトロン(加速器)を破壊するなど極めて粗野な政策で日本国の工業力を徹底破壊しようとした。こうした状況下、24(1949)年1月に誕生したのが学術会議だった。
 
  前年12月に学術会議の会員210人が選挙で選ばれたが、共産党候補者61人のうち26人が当選し、40人ほどの同調者も当選した。共産党および同系統の学者たちは学術会議の3分の1に迫る66人の勢力を形成したことになる。
 
  ジョージ・ケナンは占領下の日本を23(1948)年に訪れ、マッカーサーの下で作り替えられつつあった日本の状況を危惧した。当時の指導層約20万人の公職追放にはとりわけ強い懸念を抱き、独断的、非人間的、復讐心に燃えたGHQの手法は全体主義国家を除けば類例がないと非難したほどだ(『ジョージ・F・コナン回顧録』読売新聞社)。
 
  20万人もの優れた日本人が追放されて生まれた空間を共産主義者や社会主義者をはじめ、GHQの意向に従う二流三流の人材が埋めた。学術会議の学者もその状況下で選ばれた。マッカーサーがGHQ内部にニューディーラーの共産主義者が入り込んでいると知っていたこと、占領統治下で日本の共産主義者たちが政治活動の自由を謳歌し急速に力を拡大しつつあったことをケナンは回想している(前同)。
 
  当時の日本は共産主義・社会主義勢力が拡大し、国内には武力もなく、警察力も不足していた。防諜部隊もない。ケナンは共産主義者が権力を奪取するのにこれほど好都合な舞台背景は滅多にあるものではないとも警告した。
 
  学術会議会員に選ばれた共産主義者らは頭の回転も速く論も立つ人々であっただろう。その一軍が絶対的権力者であったGHQ内部の共産主義者の後ろ盾を得ていたのだ。どれほど強い影響力をもっていたことか。そうした中で「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明」が出された。これこそ、脱却すべき戦後レジーム体制なのだと、私たちは肝に銘じるべきだろう。
 
  その後の歴史を振りかえれば、日本政府はわが国が共産主義に浸食されることなく健全な発展を遂げられるように、学術会議側と話し合いを重ね、学術会議側も努力を重ねた跡が見える。しかし、内部の強硬派、共産主義勢力の働きかけなどで学術会議は先鋭的な対決姿勢から脱却することはできずに今日に至る。
 
  結論から言えば、学術会議は諸外国のアカデミー同様、民営化するのが一番よいだろう。
 
  真に国民の幸福や安全に貢献し、世界にも貢献する頭脳集団であれば寄付も集まる。政府もプロジェクト研究を発注するだろう。日本政府も国民も、自由で闊達な、かつ自立した学者集団なら心から歓迎するに違いない。』(以上産経新聞コラムより)
 
 
  最後に筆者の感想を述べたい。櫻井の指摘は最初から最後まで説得力のある力強いものであった。客観的事実を積み重ねて論証していることは、毎度のことながらいたく感心し、感動すら覚えた。特に戦後の学術会議発足の経緯は、日本の当時の状況を彷彿とさせ、筆者のような戦後生まれの者にとっても納得できるものであった。そして次に湧いてきたのは、なぜアメリカが共産主義者の跋扈する戦後日本を作ったのであろうか、という疑問である。憲法の押し付けによる無力化、公職追放による右翼の無力化、までは状況論から理解可能であるが、共産主義者を抑え込む方策を取らなかったことで、戦後の日本は組合活動や左翼運動が花開いた時期であった。筆者は幼少の頃からそれらの雰囲気を好ましくないものと考えていた。自由主義を標榜するアメリカが日本では共産主義を育てたような気がする。そこら辺の事情をもっと知りたい気がしたのである。それにしても櫻井が最初の方に書いた、「菅首相の任命拒否でほとんど注目されることのなかった特異な学者集団に人々の耳目が集まり、活動実態が理解され始めたことは、わが国にとって本当によいことだった」というのは筆者も同感である。そして学術会議が民営化されれば、その時、櫻井とともに「万歳!」を叫びたい。
 
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