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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2024】

人の絆

2024-04-29
  先日、家内の卒業した公立高校の卒業者名簿の購入案内が来た。創立190年になるというから、明治4年に学制が布かれてから間もなくの創立となる。以前購入したものでも相当な厚さである。こうした名簿が作られているということは、その国の管理がしっかりしていることの証拠であろう。また人の絆を大切にしているということの証でもあろう。ちなみにノムも大学の学部卒業者名簿を括ってみた。1996(H8)年版であり、学科別に分けている。同科の同期の桜は170人ほどもいたが、今、顔を思いだせるのは40人ほどである。そんなことがあって、人の絆について考えてみることにした。

  人と人の関わり方はまず家族から始まる。そして親類縁者と呼ばれる一群が居る。学校に通うことで級友や同窓の友ができる。就職すると職場の同僚など同期入職者は「同期の桜」と称される。これらの関係は一生付きまとうものであり、歳をとっても懐かしく思い出されるものである。さらに不特定な友達関係もあり、一人の人を取り巻く人の絆は相当な数に上るであろう。こうした人の絆が大切なものだということは、天災や戦争という非常事態が起こったときにしみじみ感じられるものだという。ノムは幸いなことに、これまでの人生の中でそうした災害に遭ったことがないため、そうした災害に遭った人の気持ちを代弁することはできないが、十分理解はできる。

  幼児期から少年少女期に重要な絆形成の過程があるという。肌の接触や抱き合うという行為によって、親子や家族との絆が形成されていく。これを身体接触による愛情形成と捉えることができる。NHKは「アクセス効果」と呼んでおり、何でも英語化したいNHKらしい用語だが、これでは意味がよく分からない。なぜ英語を使わなければならないのだろうか? 脳は皮膚と同じ外胚葉から形成されるため、皮膚の一部が脳になるといえるという仮説がある。皮膚の感覚は脳の体性感覚野で処理され、それが占める面積は脳内で非常に大きな割合となっているため、脳に与える影響は大きい。東洋医術においては施術者が患者に触れることを重視しているが、最近の西洋医術では問診はするものの、聴診器を遣ったり、身体を押して触診することを軽んじている。それは大きな誤りであり、機器による検査が治療に繋がっていないことを示している。脳は皮膚接触を受けるとオキシトシンを放出することが知られている。これは母性愛を生み出し、幼児に安心感を与える。人は身体的な温かさを感じると、脳の島皮質が興奮し、他者に対して温かい気持ちが高まる。皮膚の温度変化が心に影響を与えているという。皮膚にあるC触覚繊維と呼ばれる識別機能は触覚によって快や不快、安心感や嫌悪感といった情動を喚起させる。

  幼児では母親と離れているとき、おしゃぶりを口に咥えたり、タオルなどを離さず持つなどの行動をすることで、代替的安心感を得ようとしている。幼児のおしゃぶりは母親の乳首の代替であり、温度が無いだけ効果は乳首より低いと思われる。幼児から少年少女期になると、身体全体の接触を求めるようになり、戯れという遊びが起こる。ノムの孫(5歳男子)もしきりに触りを求めてくる。兄弟がいないため、祖父を相手にしているだけであるが、不思議に家内にはそれを求めない。母親には抱き着いてキスをして愛情表現をする。青年期になるとこうした親子の間の接触行動を恥じらう心理が生まれる。特に女子は父親を汚いものと思うようになることがある。これは同じ年頃の男子への恋愛感情の芽生えとほぼ同時期に起こるとされる。そして成人に達し、経験を積むようになると、特に同世代の他者との交流を好むようになる。最終的に老年に達して悟りの境地に至ると、人の絆は社会の絆であると意識するようになる。

  「絆」という言葉が一躍注目され、その年を象徴する漢字として取り上げられたことがある。言うまでもないことだが、東日本大震災の時であった。2011年3月11日に起きた宮城県沖で起きた大地震は、関東にまで揺れをもたらして大災害を与えたが、それ以上にひどかったのは、誘発されて起きた津波による被害だった。そしてその時、日本の近くにいた米軍は総力を挙げて災害救助に当たった。その名前は「トモダチ作戦」であった。駐日大使として着任したことのあるキャロライン・ケネディは、このトモダチ作戦実行の発端について、『3.11トモダチ作戦は、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロに、日本の消防救助隊が駆けつけてくれた事に起因する』と公の場でコメントしている。震災前は家族の絆として取り上げられていたものが、震災後には地域や住民の間での結びつきを意味するようになったという。過酷な状況の中で、お互いを励ます意味合いを持つようになった。つまり個人としての繋がりから社会的な繋がりに変化した。さらに日米の間の国家的繋がりを象徴するようにもなった

  未来世界では、世界の民の間に、人類という共通した意識が生まれるだろう。それは地球が生存に適さない環境に変貌していくことで、お互いに助け合わないと生き残れないという意識が生まれるからである。そして未来世界では国家同士のあいだでの人的移動が制限されるため、他国の情報はテレビやネット・新聞などを介して多少は得られるものの、遠い国の話に思うようになるだろう。そうしたときに、人は他者としての覚めた感情とともに、接することのできない他者に対する恋慕の感情も生まれるに違いない。それは望郷の念に似ており、遠い国のことを憧れる感情であろうと思われる。争うことのない多国との関係は、そうした相互に思い遣る感情に成長していき、災害があった場合などには、大きな支援の輪が広がるだろうと思われる。

(4.23起案・起筆・4.28終筆・4.29掲載)


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