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【時事評論2023】

権力者の立場

2023-12-28
  前項で人間の所有欲について述べたが、どこの国においても所有欲が最も強いのは権力者であろうと思う。権力者が良い社会を作りたいと考えたとしても、それは自分にとって良いと思われる独善に基づくと想像される。あるいは、帝政ローマのカエサルが言ったように、「始めたときは、それがどれほど善意から発したことであったとしても、時が経てば、そうではなくなる」の格言からすれば、権力者が地位にこだわることによって、善意はいつの間にか悪意に変じていくと思われる。これまで権力者が地位にこだわらなかった例はほとんどなく、こだわったからこそ権力者になれたのだ、という言い方もできるだろう。だが権力者はそれなりに自分の立場をよく理解していると思われる。権力者が独特なのは、その権力の意義の理解が自分にとっても社会にとっても必要だと考えているところにあるだろう。たとえ国民が権力者を追い出そうとしているときにも、権力者はそう考えられる特殊な人間だとも言える。

  権力者の置かれた立場を以下に列挙してみたい。

1.権力者は自分が選ばれたエリートだと考えている。
2.選ばれた者は権力を行使できると考えており、そうするのが当然であるとも考えている。
3.しばしば権力は権力者の地位保存のために使われる。それは多くの場合、粛清や弾圧の理由となり得る。
4.善意に基づく治世を行おうとする権力者は、しばしば不正に目をつぶる。
5.権力者は地位保全のために、忠誠を誓う部下や仲間を求めようとする。
6.権力者が意のままにならない状況に追い込まれた時が、最も危険な社会状況が生まれる時である。
7.権力者は、地位を追われた後の事をいつも考えている。それに備えた準備をすることを怠らない。
8.権力者は自分の名誉を最も重んじる。権力者に媚びる部下らは、権力者をおだて上げることで自分の地位を確立する。
9.権力者はそのため、部下や配下の者の人物を見誤ることがあり、裏切られることもある。
10.権力者が死の間際まで名誉を維持できれば、権力者にとって最高の人生となるだろう。

  1.の「権力者のエリート意識」は相当なもので、それは長い時間を掛けた成功体験によって醸成されてきたものである。「自負心を持っている」とも、「自分を誇りに思っている」、とも言えるだろう。それ故に、他者の苦しみが分からないことも多く、平気で部下を粛清(解任・左遷・更迭・追放・処刑)できる場合もある。それは独裁者に特有な性質と言えるだろう。

  2.の「権力行使権限意識」はやはり成功体験から得られたものであろう。成り上がっていく間の経験が、権力の魅力を作り出していく。だが一方、自分が権力を奪われることを極度に恐れており、その恐怖心を闘争心に変えることができるのが権力者の能力であるとも言える。権力者は権力を自己保身のために使うことをためらわない。

  3.の「地位保全のための粛清・弾圧」は部下に対して行われるだけではなく、時には国民に対しても行われる。中国の鄧小平は苦労して権力に這い上がり、2度もその地位を奪われたが復活した。その彼は国民の反乱の兆しに敏感に反応し、天安門事件という弾圧を行った。彼は国家の行く末を案じたと思われる。私利私欲や地位に固執して弾圧政策に踏み切ったのではないとノムは感じている。だがそれは、権力者の置かれた難しい立場を象徴していたということだろう。鄧小平は少数の犠牲で中国の将来は担保される、と説いたが、それは歴史的には極めて評価は低い。

  4.不正に対して権力者が取る態度は、一般的には目をつぶるというものである。だが安倍元首相は、首相になってからパーティー券料が安倍派内でキックバックされていることに激怒したという。だがその改善は、結局為されず、暗殺されたことでうやむやに葬られたという。やはり安倍は希代の名宰相であったが、メディアは「安倍派」という括りで間接的に安倍首相を批判して、死者に鞭を打っている。

  5.権力者が求心力を求めるというのは、当然のことであり、媚びる部下を政権の中枢に引き上げるという形で報いてきた。外交においても、自国を認める国を仲間として連合を組もうとする。その手法は報酬を与えるという形で行われるか、相手の自尊心をくすぐるという手法で行われる。報酬はしばしば手心的に行われ、時には違法な買収という形になることも珍しくない。

  6.権力者が自分の意向に沿った政策を進めようとして、議会の抵抗にあったり、国民のデモに見舞われた時、権力者は忸怩たる思いに襲われる。その時に、正しい忍耐力があればそれを乗り切れるが、感情的に激しい権力者はしばしば誤った対応に走り、墓穴を掘ることが多い。選挙で支持を得られなかった米国のトランプ元大統領は、執拗に権力への執着を見せており、固定的な支持者も多いことから再選の可能性が取りざたされているが、不正だらけのトランプに未来はないとノムは思っている。

  7.権力者はいつも名誉ある引退を考えており、死に至るまで権力を持とうとする独裁的権力者は少ない。それは支配が独裁にならないように法が定められていることが多いからであり、中国・ロシアという独裁国では、現在の権力者が法をも曲げて終身体制を築こうとしている。だがそれが成功した試しは歴史上少ないと思われる。エリツィンは自身の汚職が追及されそうになったとき、いち早くプーチンに禅譲をして、追及を免れた。汚いやり方であり、それが現在のロシアの一時の繁栄と未来永劫続く苦境をもたらしたとも言える。

  8.権力者が最終的に求めるものは名誉である。だが権力が自分の派閥以外の勢力に奪われたときには、その名誉さえ奪われてしまうことが多い。韓国では歴代の政権トップが、政権交代の度に訴追されて、監獄に送られてきた。それは韓国特有の、「怨念」という国民病から出たものであろう。日韓関係も過去に囚われた案件で暗礁に乗り上げており、政権が日本と友好を結ぼうとしても、メディアや国民がそれを許さないという構造になっている。現在の大統領は前政権の不正の追及をしているが、前政権が訴追を阻む措置を講じていたため、ムン・ジェイン元大統領はまだ監獄には入っていない。用意周到な人であった。

  9.権力者が公正な人事というものを行うことはない。現代の力関係による政治では、党派や派閥が生じるのは仕方ないことであり、ここにも競争原理が働いている。そのため権力者が部下や配下の者に媚びる人間を充てるのは当然の結果であり、その人間が、風見鶏のような者であった場合は裏切られるという事態も出てくる。未来世界では党派というものは無くなるだろうとノムは予想しているが、それは政治が政策中心なものになっていくため、人間的要素が最低限に抑制されるためである。

  10.権力者が運よく、その死が国家から追悼されれば、その権力者は成功者となることができる。独裁国家で云えば、史上最悪の人間と言われるスターリンも毛沢東も、国家から追悼された。すなわち国葬という名誉に与った。逆に非業の死を遂げた独裁者もおり、ムッソリーニは広場で逆さ吊りされた。一般的に、民主国家では権力者の末期は保証されているため、こうした事例はほとんどない。独裁国家ではこうした悲惨な最期が多いため、独裁者は最後まで権力を保持したがるのである。

  未来世界では、権力という概念が極めて小さなものになるだろう。確かに一貫した未来志向の政治を司るためには、最終決定者である連邦議会(一院制)の長であるとともに政権の長である主導者(ノムはこれを「総裁」と呼びたい)には大きな責任と権力があると言えるが、賢人である総裁は、議会の議員である賢人と特に変わることはない。交渉力や財力などの力でトップに選ばれるのではなく、その人格と指導力によって議会と国民から選ばれるからである。詳細については検討中であるが、連邦議会が3人の総裁候補を選出し、全世界の世界民がこれを選挙して総裁を選ぶという手法が取られれば、良い結果が得られるであろう。選ばれた総裁に投票しなかった人にはその理由が問われ、その理由にAIが合理性が無いと判断した場合は人格点が引き下げられることになるだろう(20.9.24「ゲーム理論」)。つまり拒否ではなく承認を前提とした世界民の投票が行われるだろう。

(4.26起案・12.28起筆・終筆・掲載)


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