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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2022】

【時事短評】日本の選挙が愚弄されている

2022-12-26
  ノムはかねてから現代の選挙制度に反対しているが、それは主として立候補者の条件に関するものである。日本を例に取れば、①国籍条件(日本国籍)・②年齢条件(知事選の場合30歳以上)・③犯罪歴、だけしかなく、本来あるべき人格に関する要件がないことを批判してきた(20.11.2「選挙制度改革は急務!」・7.11「選挙制度の改革を問う」)今回は最悪な人物が宮崎県知事選に立候補するというニュースをNHKが報道した。だが調べてみると、以前にも何度も各選挙に立候補している札付きのおふざけ候補であった。名前からして立候補名が「スーパークレイジー君」である。こうした名称で立候補できること自体が日本の選挙制度が愚弄されている原因である。ノムは今回初めてこの人物を知ったが、既に2020年の東京都知事選にも立候補していたという。その当時はニュースにならなかったのかもしれない。いずれにしても日本人として恥ずかしい思いを味あわされただけでなく、このような選挙制度を容認しているメディアや国民に対して怒りをさえ感じる(21.9.26「愚民論」)。以下では改めて現在の選挙制度の愚弄性を論じたい。

  12月25日、「スーパークレイジー君」が立候補したことがNHKニュースで報じられた。すでに2020年東京都知事選に初登場して以来、2020年つくば市議会議員選、2021年戸田市議会議員選などにも登場している西本誠(36)である。自身が「売名のため」と称しており、父親が元暴力団員・中学校卒の学歴・10代の頃は暴走族・5年間の少年院暮らし・20代はいかがわしいクラブ従業員、という経歴の持ち主である。それでも東京都知事選では11887票を得ており、つくば市議会選では41人の候補者の中の40位であることから、ふざけ投票する国民がいることは証明されている。何と戸田市議選では912票を得て当選した。だが候補者条件の「選挙区内での3ヵ月以上の居住実態申告が議員就任後に市民による訴訟で否定され、翌年2022年3月4日に当選無効が最高裁で確定。その間1年余は議員の身分を得ていた。今回の宮崎県知事選への立候補も12月25日に認められた。

  総務省選挙に関するネット上のページを閲覧すると、驚いたことに目次は「立候補の届け出」から始まり、以下には「立候補者の資格」についての説明がない。都道府県知事選への立候補には「300万円の供託金」が必要だということは分かった。市長の場合は100万円だそうだ。西本がそのような大金をどう工面しているのかにも疑問がある。その他のサイトを見ても、上記③の犯罪歴についての詳しい説明をしているサイトは少ない。政治家というものが単なる職業として紹介されている感じである。「政治家になりたい場合」という見出しを付けているサイトもあり、政治に対する使命感を論じているサイトは皆無である。

  こうした風潮もあって、日本ではしばしば芸能人・アスリートなどの、名前が知られている有名人が選挙に出馬している。海外でもストリッパーが候補になった事例が以前報じられた。民主主義というものがそうした軽薄な選挙制度で支えられているのだとすると、恐ろしいことだと思わざるを得ない。なぜ誰が見ても議員として不適格な者を、現代の民主主義が立候補者から除けないのかというと、法律で不適格者を規定することが困難だからである。道理主義を採用していれば、AIがこうしたおふざけ候補者を自動的に判定してくれるであろう。またAIに頼らなくても、候補者として認めるかどうか、申告後に当該地域で世論調査を行っても良い。国会議員の場合は全国規模になるだろうが、ネット投票方式を採用すれば費用も時間も掛からずに適性かどうかを判断できるだろう。その場合、20%の支持があれば立候補可能とすれば良いだろう。

  だが根本的には、現代日本が米国から押し付けられた憲法を維持しており、法律主義を認じている限り、ノムの提案は実際上取り上げられるのは不可能である。選挙制度の改革は未来世界にならないと不可能であろうと思っている。だが日本の選挙というものが愚かしいほど軽薄なものであるということがもし世界にニュースとして伝わったとすれば、それは日本の選挙が愚弄されているということを証明したようなものであり、ノムとしては恥ずかしくて居たたまれない気がする。


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