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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2021】

性科学の追及

2021-11-28
  性という人間の属性はこれまでの歴史の中で秘匿され続けてきた。それが男女の性というものに歪みをもたらしたことは明らかであり、未だに男性同士では比較的大らかに語られることはあっても、女性同士ではほとんど語られてこなかった。月経という生理現象でさえ、女性の間で話されることは極めて少ないようだ。折しも11月25日は「女性に対する暴力撤廃の国際デー」だったようで、世界のいくつかの国ではデモが行われ、トルコでは軍などが催涙ガスなどを用いて弾圧を図った。その理由が「男女平等は伝統的な家族の価値観を損なう」というもので、旧態依然な国が多いことが察せられる。トルコは今年始めに女性保護を目的とした「イスタンブール条約」からの脱退を表明しており、デモは復帰を求めるものだった。

  こうした状況は西欧でもまだ完全に解決されたとは言えず、相変わらず富裕層や権力の周辺などで性的スキャンダルは絶えない(20.8.21「政府高官や有名人の性的不祥事 」)。中東などアラブ諸国ではこれまで女性は圧倒的にイスラム教の教えによって下位に属するものであった。西欧では平等になったとはいえ、男女の性が画期的に変わったわけではないことから、動物本能の表れの一つである性の衝動から、さまざまな問題が生じるのである(20.12.23「男女は平等か?(3144文字) 」)。理念として平等を謳ったとしても、男女は明らかに異なる性質と行動様式を持っており、それは男性脳と女性能の違いだけでなく、ホルモンによる生理的制御が異なることにも起因する。そしてそれに社会的規制や宗教的規制が拍車を掛けることで、男女間に悲劇も起きてきた。

  日本という国は古来から性の問題に対しては割に鷹揚であり、おおらかであったようだ。江戸時代の春画などにもそれが見られ、かわら版的なものにも性教育的なものが載っている。幕府や藩がこれらを取り締まったという記録を見たことがない。だが日本でも、月経中の女性を隔離する小屋を設けた村もあるようで、それは明治時代まで続いたようだ。女性は生理によって仕方なく生活上の不利を受けざるを得なく、現代の生理用品の普及によってやっとそれほど不自由は無くなったとはいえ、月の半分ほどを月経のために苦しむ人もいるそうだ。スケジュールの立て込んでいる女優の中にはそうした苦痛を表に出さずに、活躍している人もいるという。こうした人もほとんどそれを人に告げることも相談することもできないでいる。すなわち、今日に至るまで、性に絡む事柄は秘匿事項なのである。

  こうした現状をある程度は止むを得ない事だと解決に取り組まない人も多く、特に男性は女性を秘密のベールに包んでおいた方が良いと考える人もいるし、そもそも女性が生理で苦しむことがあることを知らない人もいたりする。これはある意味で誤解を生む素地ともなりかねないことであり、筆者としては、科学的事実は広く知らせる必要があるのではないかと考える。その上で、それぞれの国の歴史や民族性、そして宗教を考慮した上で、性の在り方を自然な形で変革させていけばよいと思うのである。イデオロギーによって自由・平等を求めて急進的に実態を変えようとする女性の気持ちも十分よく分かるが、それは大きな犠牲なしには成し遂げられないであろう。

  ノムは性の在り方について杓子定規的な考え方は持っていない。未来世界においても絶えず変革されるものであろうと思うし、要はその時代に合わせて無理のない形で推移していくのが最善であると思っている。だが近年の科学の発達は、その観察技術のIT化・生理反応の研究方法の進展などによって革新的に進んでおり、知らずに済む時代ではなくなっている。そうした時代に合わせた性教育の在り方も変化してきており、昔のように「知らしむべからず」で済む時代ではなくなってきている。今や子どもでもスマホやPCからネット上の醜悪なエログロ情報に接することができてしまうことから、事前に健全な性情報を教えておく必要が出てきた。だがとてもそれだけでは対処できないと考えるノムは、醜悪な性情報を規制する方に力を入れるか、子どもらにそのような情報に接することができないような仕組みを作る必要があると考える。そのためにノムネットという未来の新ネット情報システムを提案しているが、実現は未来世界を待たなければならない。

  それまでの間では、可能な限りのネット情報の健全化を図るとともに、性の問題を既存の道徳観や宗教的偏見に委ねておくだけでなく、積極的に科学的事実を広めることで偏見から脱却していくべきではないかと考える。そのための科学的性研究、すなわち性科学」を急速に発展させる必要があると考えるのである。だが世界が男女の性の在り方について研究しようとしても、そもそも人権を盾に反対する団体などがあることから、実際的実験を行うことは容易ではない。これまでに他の分野で先駆的研究がいくつか行われたことがあったが、いずれも人権問題で訴えられることになってしまった。たとえば見ず知らずの人同士の性交を実験して観察しようとしても、それ自体が人権無視だと批判されるだろう。たとえどんなに被験者の同意を得ていたとしても、実験内容について事前説明されていたとしても、あるいは極端な言い方をすれば、被験者にとって実験自体が性的ストレスの解消になるという利益があったとしても、イデオロギーはそれを許さないだろう。性科学の研究にはまず最初にこのイデオロギー問題を乗り越える必要がある

  筆者なりの結論を述べれば、現代のイデオロギー自体が間違っており、自由・平等・権利、というような概念そのものが、自然界や人間界の科学的な法則からすれば非常に偏った理念に基づくものであり、西欧の一時期に流行った思想ではあったにせよ、既に未来を志向するならば、それを振り捨てなければならないのである。自然界の法則と人間界の法則の両方を満足させる、もっと拓けた思想が必要なのであり、筆者の唱えるノム思想がそれに最も近いものだと考える(20.9.7)。ノム思想によれば、男女の性というものをもっと根源的なところから問い直し、新たな秩序を形成すべきだと考える。それはもしかしたら一夫一妻制を壊すことになるかもしれないし、そうした社会的制約を一度棄てて考え直すべき問題であろうと考える。性科学というものは、単に性反応や性生理の問題に限らず、男女の関係の在り方という社会学的範囲にまで及ぶテーマがこれから必要になるだろう。それは果てしないものであり、多様性があるということが予想される。いずれにしても、思考に旧来の枠を当てはめてはならないのである。 (11.30追記)


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