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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2021】

自然生態系と人工生態系

2021-11-14
  自然生態系とは、人間の手が加わっていない自然の領域での生物の生命活動の総称である。これは人間が動力を使い始めた産業革命前までは、人間も含めて維持されてきたものである。産業革命前であっても人間だけが異常繁殖をしていたし、鉄砲という武器によって生物界に大きな影響を与えていた。だがそれが自然の許容範囲であったために、甚大な自然破壊や環境汚染をもたらしてはいなかったと思われる。現代に至るまでの産業革命以来の自然生態系への人間活動の影響は甚大なものとなり、その理由は一重に化石燃料を動力源として用い始めたことによる。それ以来人間活動領域は一挙に広まり、現代では南極にも多くの基地があることから分かるように、地球の隅々にまで人間活動が影響を与えている。その主なものは温暖化効果ガスの放出であり、化石燃料使用による二酸化炭素、水耕農業によるメタン、牧畜によるメタンと亜酸化窒素、その他もろもろがある。不思議に哺乳動物最大の数を誇る人間の糞尿からの温室効果ガスの排出に関するデータは見当たらない。

  人工生態系とは、人間が自然を模して生態系を創造しようとして構築される生命活動の総称であり、一般には公園などの樹木やそこに棲む生物、人間生活に入り込んでいる家畜(ペット)や庭の樹木と生物(昆虫・モグラ)、人間と共生している動物(ゴキブリ・ネズミ・ダニ・家畜)などが生態系を作っているが、そこに自然界の弱肉強食の原理が働いているのは一部であると思われる。ゴキブリ・ネズミ・ダニ・家畜は人間生活から出てくる栄養物により養われており、競争する必要がほとんどないからである。そのため人工生態系は自然を模してはいるが、そこに働く原理は別なものとなる。主として人間が意図した仕組みが主要な原理となるだろう。たとえば鳥かごに飼われているペットとしての鳥は人間との関係以外には他の動植物との関係を持たないため、完全に人間依存の存在となっており、自然生態系の原理(弱肉強食・食物連鎖)は全く働いていない。

  このように同じ生態系という文字を使ってはいるが、自然生態系と人工生態系とは似て非なるものであると考えた方が良い。人間側としては人工生態系の中に出来るだけ自然に近い生態系を組み込みたいところであるが、それはしばしば農業・産業・人間生活に大きな被害を与えることもあることから、逆にできるだけ自然から隔離しようという動きになる。たとえば農業では最近イノシシの獣害が多く見られ、電流線を使った農地囲いが行われることが多くなった。工場などではネズミによる電線の破損被害があると工場全体が止まる可能性もあり、ネズミ駆除が欠かせない。人間生活に於いても、ダニを防除するためのスプレー製品が売れており、極端な場合は燻蒸剤で害虫を根こそぎ駆除することもよく行われる。

  人工生態系から理想的な自然生態系を作りあげた事例もある。前項でも取り上げたが、日本の明治神宮は最初草地であったところに、明治天皇を祀る神社を作ろうということから始まった。まず森を形成させるために松などの針葉樹がうえられたそうだが、150年先には広葉樹林の森となるだろうと予測して計画され、100年後の現在は見事な自然林が形成されている。そこには鳥の糞によってもたらされたシュロなども生えてきているが、神宮は最初の方針通りに一切人の手を加えないようにしている。ただ参道に落ちる落葉を集めて森の中に戻すという作業だけは行っており、倒木があってもそのまゝとしている。
  元々あった自然に手を加えないことで、自然生態系が保たれた事例としては、富士山の樹海があるだろう。その一部には人間が工場なども建設したりしたが、大部分は自然のまま保存されており、自殺者しか入り込まない領域となっている。
  何も無かったところに人間が埋め立てで土地を造成し、そこに自然生態系に近いものを創り出した事例も多い。東京の浜離宮は最初徳川家の御鷹場であったが、現在は回遊式臨海庭園として都心に接した豊かな自然を誇っている。
  大阪府の仁徳天皇陵は5世紀の頃に造られたが、その表面は三段に小石を積み上げたものであり、完全な構造物であった。だが1600年もの間、聖域として人が立ち入ることが無かったことで、自然生態系を維持した貴重な場所となった。それは極相林と呼ばれる安定な自然林となっている。
  江戸という100万都市も、広大な関東平野の海側の湿地帯から始まった人工生態系である。多くの河川にも恵まれたが、玉川上水の開削で江戸市民の生活を支えた。木材を除く物質循環が250年の長きに亘って安定的に行われた、環境創造のモデル都市と言われるほどに素晴らしい都市であった。そうでなければ100万人もの人口を養えなかったであろう。

  人間が創り出した人工生態系がうまく機能しなかった事例もある。古代の文明が滅びた理由の一つとして環境破壊が行われたからだとする説があるイースター島では巨石文明があったが、この小さな島の人口が数十人から最盛期には7000人に膨張し、食糧不足によって部族対立が起こって最後にはこの島は放棄され無人となった。樹木伐採により自然が損なわれた結果だとする説がある。その他多くの事例があるが、紙数を要するので省略したい。

  以上のことを踏まえて、未来世界における自然生態系と人工生態系のバランスについて考えてみたい。未来世界では、自然生態系が物質循環に果たす役割が大きいことを知ったことで、人間活動による汚染を吸収できる環境容量の範囲内で人間は活動すべきだという考えに達するだろう。つまり人間は無制限に人口を増やせないし、無制限に自然生態系に入り込んでそれを人工生態系(都市・住居地)に変えてはならないのである。恐らく未来では、観光地というものが極めて制限され、ホテルや旅館を建てることは許可されなくなるだろうし、現在あるものも別の用途として使われたあと、廃棄されるであろう。自然はそれらを呑み込んでそこに見事に新たな生態系を創るだろう。福島県の南相馬市などの一時無人化した街やチェルノブイリ事故で無人化した地域などでは、自然が豊かに復活しており、人間はそれらを破壊して自分達が生かされてきていたのだということを改めて認識させてくれた。

  だが基本的に、人間にとって自然は脅威である。多くの害獣や有害昆虫などがいるからである。そのため人間は自分達の住む領域には自然の脅威が及ばないように区画した。そして人間にとって都合の良い動植物だけを取り込んで人工生態系を創ろうとした。それはそれで結構なことだが、人間が際限なく自然環境に入り込み、それを知らず知らずのうちに破壊してきたことが問題なのである。すなわち、世界地図を前にして、人間は住んでも良い場所、産業を興しても良い場所を限定すべきであろう。そして自然を護るべき場所には、たとえ観光のためという理由があったとしても、人は立ち入ることを止めた方が良いかもしれない。これは極論であり、どこまで人が自然領域に立ち入りをしても良いのかというガイドラインを考える必要があることを提議したい。

  未来世界ではこうした問題をさけるための一助として、人間の生活領域・生産活動領域を地下に持っていくべきだという考えに立っている。これを「田園都市構想」と呼ぶが、これを500年以上持つ遮水(鉄筋)コンクリート造にすることで、人間生活から冷暖房の必要を最小限にすることができるだろう。また地上を緑で覆うことで、自然生態系を豊かにし、かつ害獣から守る手法も使われることになるだろう。人間は自然が豊かになることを歓迎したいところだが、ヘビやゴキブリ・ネズミ・ダニなどを歓迎はしない。それらは生態系の一部を為す生物であるが、人間にとっては敵に相当するものである。これらが自然生態系に存在することに何の異議もないが、身の回りにだけは存在してもらいたくないのである。ということは逆に言えば、人間の生活・活動領域を狭めなければならないということを意味する。自然観光地を安全にするためにクマやイノシシを駆除するよりも、自然観光地そのものを人の立ち入れない領域にする方が賢明なのである。これは好奇心に溢れた人間にとって極めて大きな楽しみを失うことになるが、それぐらいの覚悟を決めなければ自然が豊かになることは決してないだろう。


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