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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2021】

カーボンニュートラルとSDGsは可能か?

2021-11-02
  NHKが10月28日に放送した「視点・論点」で「カーボンニュートラルを目指して~人工光合成への期待」というタイトルの番組があった。その中で紹介されたグラフをじっと見て頭の中で解析したところ、いくつかの知見が得られた。それを基に果たしてカーボンニュートラルという考え方が正しいのか、そしてそれは2050年までに可能なのか、ということを検証してみたくなった。筆者の自論ではその結論は「無理だ」と既に出している。だが改めて何度も検証し直すことは重要なことであろう。以下にその番組の中で提示されたグラフを最初に紹介したい。カメラ撮りが下手なことはご容赦願いたい。
世界の二酸化炭素排出量(出典:NHK)
  このグラフの右端が2013年現在の状況であると思われる。IPCC第5次評価報告書(AR5) は2013年から2014年に報告されている。グラフから読み取れることを以下に羅列する。
 1.現在はアジア地域での拡大が顕著。特に中国である。
 2.先進国(OECD加盟国)は少し減少している。
 3.2050年(戦後)から二酸化炭素の発生量が急伸している。
 4.上昇を始めたのは産業革命(18世紀半ばから19世紀)からであるが、1850年頃からが顕著。
 5.旧ソ連圏は経済が縮小している。
 6.中南米の伸びは鈍化している。

  これに加えて2018年の統計からの知見を加えてみよう。
 7.世界の年間排出量は335億トン(33.5Gt) であり、中国がそのうち28.4%を占めて最大。次いでアメリカ
   が14.7%、日本は5位の3.2%である。
 8.一人当たりの排出量ではアメリカが15.1トンで1位であり、2位は韓国の11.7トン、3位はロシアの
   11.0トンであり、日本は8.5トンで4位となっている。

  問題はどの程度の排出量ならば吸収量とのバランスがとれるかということだが、それはまだ明確には分かっていない。だが世界はカーボンニュートラルという産業革命以前の状況に戻すことを想定しているらしい。事象の相乗効果ということを念頭に入れずに、ただ数値だけを比較して目標を設定していることには大いに疑問がある。ノムはもう既に地球環境は臨界点を超えて後戻りできない状況に入っていると見ており、それは山火事の多発や干ばつ、そして南北両極に於ける棚氷と海氷の融解などに表れている。それは正のフィードバック効果をもたらし、一旦そうした状況が始まると後戻りすることは不可能なのである。恐らく地球は産業革命以前と比べて平均気温は3℃以上上昇するであろう。もはや+1.5℃という目標は夢のまた夢になっている(20.11.23「地球温暖化と動物窒息死の問題」)

  SDGsという国連目標には、17項目があり、その筆頭にある「貧困をなくそう」という目標自体が、二酸化炭素の増加を前提にして可能になる目標である。仮に化石燃料から水素エネルギーに転換がなされたとしても、それには数十年の歳月が必要であり、産業構造が切り替わる正にその時に大量の二酸化炭素が排出される。国連目標はこれまでの世界の発展の歴史から見て、少なくともその実現には100年は必要な計画であり、その間に温暖化はもっと加速されることになって破綻することになる。そうした視点からみると、17項目のうち、12項目は二酸化炭素排出量増加及び経済成長を前提としたものである。12番目の目標の中に「経済成長」も取り上げられており、現在の世界のエネルギーがいきなり水素に代わっているならともかく、まだ石炭に70%も依存している中国などの事情をみれば、国連目標が産業界にも媚びを売る理想的で荒唐無稽な文言の羅列に終始していることが分かるであろう(20.4.25「状況理論からマイナス経済成長の善悪を考える 」・5.28「成長の限界 」・7.31「1990年と2020年の環境予測 」)

  二酸化炭素濃度の経時変化を調べてみたが、1985年からのものしか見当たらない。それはわずかに上向きの直線的増加を示しており、上記グラフの排出量の急増曲線とは一致しない。その原因はよく分からないが、問題として、上記グラフには牧畜や農耕などにより排出されるメタンや二酸化炭素が加味されているのだろうか、という素朴な疑問がある。もしこれも問題とするならば、牧畜による肉増産や水田農耕をも制限する必要があり、すでに大豆由来の人工肉などが開発されており、全面的に食糧をコメ以外の植物由来のものに切り替える必要もでてくるであろう。そうしたことを何も説明せず、単に産業のイノベーションだけを唱えているのは欺瞞としか言いようがない。犠牲を払うことの方が多いということを国民に知らせないで、夢物語で納得させようというのは詐欺的でさえあるだろう。かつて北朝鮮が在日朝鮮人を引き寄せるために「地上の楽園」を宣伝したのと同じではないか。

  政治面でもそのことは証明された。11月1日にはバイデン政権が中国と競争で「パリ協定」で掲げた目標達成のための政策集を発表した(20.9.6「地球における人間の活動と競争 」)。さらにバイデンは「発展の権利」という概念を打ち出した(7.6「中国の発展をどう見るか? 」)まるで人類活動を抑制しようという気はないらしい。環境問題でも後進国を取り込んで中国包囲網を完成させようとしている。それは莫大な援助を伴い、それによって後進国はより産業を発展させることになる。それは当然の結果として地球環境を悪化させる。つまり政治の世界では矛盾した2つの目標を掲げていることになる。そしてその目標を先に達成した方が勝利者となるというわけである。国連も政治世界の一部である限り、第三者の立場を取れるはずもない。国連は世界に媚び、特にアメリカと中国に媚びて強い要求をしようとしていない。単に数字として目標の約束を迫っているだけであり、SDGsでその内容を規定しているだけである。こうなると世界はお互いに競争原理に従って、空約束の競争をしているだけの話になってしまっている。

  結論はやはり変わらなかった現在の国連が決めた目標は、全て「持続可能な開発」という理念に基づいており、それは産業界に成長を約束するようなものである。産業界が成長するということは、現代の化石燃料使用状況からすれば、化石燃料の使用をもっと増やすことを意味する2050年頃に全世界のエネルギーが水素エネルギーなどの太陽由来のエネルギーに転換している、などという夢物語を国連は平気で世界に広めているようだ(4.26「未来世界における再生可能エネルギー 」)。それまでに温暖化が加速することを恐れて、2030年までに化石燃料の使用を減らそうと呼びかけているが、たった9年でそのような激変が産業界に起こったという歴史はない。仮に起こったとしても、そのイノベーションのために使用される化石燃料は旧来の使用量をはるかに凌駕するであろう。

  国連の目標というものは、諸国家や産業界を納得させるための「嘘の方便」である。科学者の中にはそうした詭弁の欺瞞を見抜いている人もいるかもしれないが、そのような意見は誰も取り上げようとはせず、闇に葬られている。いずれもっと自然災害が深刻になるにつれて、真実を語る科学者の意見が取り上げられるようになるであろう。現在は世界全体がまるでお祭りのように「カーボンニュートラル」という言葉や「SDGs」という言葉に浮かれているが、その実態が空想から出たものであることにいずれ気が付くであろう


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