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【時事評論2021】

日本人の精神性

2021-10-13
  日本は110年前からファンタジーの国だと言われてきた。渡辺京二の名著『逝きし世の面影』にはこれよりもっと前の江戸時代末期の1850年前後に来日した外国人は皆、日本が単にエキゾチックなだけでなく、あり得ないと思えるほどファンタジーであると感じてカルチャーショックを受けた。その原因を考えてみると、海外の人々の多くが個人主義的であるのに対して、日本人が長い鎖国によって相互依存・相互協調の行動をしてきた結果、相手を思うという優しさを身に着けたことによるだろう。10日にNHKの定例番組である『COOL JAPAN』が、「日本のファンタジー」を採り上げていたが、この中で感じた日本人の精神性を考えてみたい。

  番組では、日本の街中にゴミが落ちてなく、清潔感があること、落とし物がそのまま戻ること、買い物のお釣りが正確で誤魔化しがないこと、街並みが場所によって極端に違うこと(新宿駅の出口で街並みが異なる)、カオスの中に秩序が見られること、独創的なファッションや文化に溢れていること、などが紹介された。渋谷のスクランブル交差点が世界的にも有名になったのは、カオスの中に秩序が見られ、誰もぶつからないということが奇跡的に思えたからであろう。自己主張をしてぶつかる外人からすれば、個々の日本人が周囲に気遣ってぶつからないように避けて歩くことが不思議なようだ。だがそれは日本人にとっては当たり前のことであり、何も注目されるものではないと思っている。

  こうした日本人の日常に表れている外国人からみた非日常性は、文化の違いと簡単に言い表すだけではもったいない感じがする。もっと積極的な意義を探すべきだろうと思う。たとえば番組の中で南アフリカのコメンテーターが、街中を子どもだけで歩いている姿を見て毎回ドキッとするという。南アフリカでは人さらいが横行しているようで、子どもだけで安心して街中を歩くことはできないからであるという。逆に日本人からは考えられない発想であるが、それはそうした現実があるからであろう。最近では日本も安全ではなくなってきたようで、小学生の登下校はたいてい父母のボランティアによる付き添い下校が普通になってきた。これも現実がなせることである。

  海外の人は直接的には言わないが、日本が世界の中でも並外れて、①平和で、②美しく、③清潔で、➃安心であることを称賛している。そして日本の歴史を知っている人ならば、その歴史に原因があることを見抜いているかもしれない。コメンテーターが司会者の質問に、日本人の思いつかない的確な答えをするのをいつも感心して見ているが、日本人の優しさと、車椅子に乗っている人などに手を貸さないという不親切とのギャップや矛盾の理由を司会者が質問したところ、黒人系のアメリカ人男性は、「日本人は、障碍がある人を見ても、助けをもとめていないかもしれないと気遣ってしまうんだ。そこまで相手の気持ちを考える」と明察を披露した。確かにその通りで、日本人は助けを求められれば積極的に手伝うが、求められていなければ、余計なお世話になるかもしれないと気後れしてしまうのである。その意味でイギリス人によく似ている。ベネズエラのコメンテーターは、転んだ時に日本人が見て見ぬ振りをするのは、「転んだ本人が恥をかいたと思わせないように気遣っているからだ」、と絶妙な説明をした。

  日本人の高度な精神性は、まず第一にアニミズム(汎神論)にある。物には全て霊が宿ると理解し、供養塚を作るのはその端的な事例である。それは他者に対しても同様に表れる。日本人は、他者には他者の心があり、立場も異なり、考え方も違うと考えることができる。だが外国では自己中心主義なので、相手の状況を考慮することはほとんどない。だが交渉で妥協することは外人の方がうまいかもしれない。日本人の場合、相手に心が通じなければ退くか攻撃するかの二者択一になってしまうことが多いからである。外国人は自己利益を最大化できれば、それで納得するのである。それは一重に外国人の合理的考え方から来ている。日本人は心情的考え方が強いため、時に融通が利かないことも多いのである。北方領土問題が膠着しているのも、全面返還や二島先行返還に拘る日本の硬直的考え方が災いしている面が垣間見える。

  第二の理由は日本が島国であり、文化の独自性を保ちやすかったことにあるだろう。陸続きでなかったことは日本にとって大きな利点であったとも言える。縄文時代が1万年も続いたということも、この理由があるからだろう。そして縄文時代は原始的であった中でも、火焔土器はその芸術性が極めて高い。実用を超えて芸術性を求めた形跡が見られる。その独自の感性が現代にも続いていると観れば、日本の現代文化の多様性や芸術性が理解できるであろう。ある意味ではガラパゴスにおいて生物が独自の進化を遂げたように、日本も「井の中の蛙大海を知らず」のように独自の進化を現在もなお続けていると観ることもできる。

  第三の理由は、日本が江戸時代に鎖国政策を取ったからであろうと思われる。完全鎖国ではなかったが、庶民にとっては完全鎖国と同じであった。たまに外国船が漂着したときなどは、敵と思わず人間として、あるいは不遇な来客として扱った。つまり徹底して救いの手を差し伸べたとされる。トルコの軍船が難破したときの美談はトルコを親日にさせた。困っている人を助けて文句を言われることはない。日本は基本的に他国を敵と見做すことはしないため、全方位外交には適している。だが豊臣秀吉時代には傲慢の心が芽生え、朝鮮・中国にまで侵略の矛先を向けたこともある。明治維新後の対ロシア戦略(対南下政策)によって朝鮮半島が戦場になり、ひいては中国大陸が戦場になったこともあったが、これは積極的侵略ではなく、防御的植民地政策であったと理解する方が正しいだろう。

  縄文時代の遺跡には争いの跡が見られないという。それは1万年もの長い間、日本では平和裏に家族単位の集落が共存してきたことを意味する。それによって日本には協調の精神が生まれた。争いを好まないという気風もDNAに刻み込まれた。だが室町時代以降の戦国時代には、サムライが戦いを好んだ。これは矛盾したことではあるが、この頃の戦いは下剋上や裏切が横行したとはいえ、表向きには武士道的戦い方の流儀があり、協調が重視された。筋を通すための戦いでなければならなかった。大東亜戦争の後では、日本は隣国から侵略国であったと罵られてきたが、歴史を調べれば分かるように、日本は積極的に利益を求めて侵略をしたのではなかった。逆に諸国と共存共栄するために、莫大な投資を行って、隣国を日本本土並みに高く引き上げようとした。そこにも日本人らしい協調精神が基となっている。

  日本人の精神性は以上の3点が理由となって、長い歴史を経て形成された。それは他の国にはない独自性を持つようになったが、鎖国がある意味でガラパゴス現象をもたらし、独自性が創造されたのであると観ることもできるだろう。そのDNAが現代日本人にも受け継がれており、従来の古典的芸能文化だけでなく、現代ポップカルチャーと呼ばれる斬新的な文化(漫画文化・アニメ文化・ファッション文化)を生み出し、それが世界にも影響を与えている。特に漫画・アニメは世界に向けて輸出され、現地語に翻訳されて青少年に影響を与えているという。現地では日本のものであるという意識すら無いのかもしれない。

  外国が日本をどのように見ているのか、という実態についてはよく分からない。だが7日のニュースでは、アフガンでタリバンが中村哲の事業の継続を認めたという嬉しいものがあった。10日の韓国のニュースでは、日本人に好感を持つ韓国人が増えたという。じっと耐える気風が評価されたのであろうか。11日のニュースでは、イスラエルが広場の名前に杉原千畝の名を付けたという。今でも第二次世界大戦中の1940年の日本の海外での善行を覚えているということは嬉しいことである。総じて世界での日本の評判はすこぶる良いようだ。それは経済力・軍事力を持ちながら、それを表に出さずに誠心誠意を尽くして相手と上手くやろうとするからであろう。中国・韓国は自画自賛やヒガミ根性丸出しなので、周囲からは嫌われる。韓国は日本人がノーベル科学賞を取ると必ず「なぜ韓国では取れないのか?」と賞を取ること自体を話題にする。日本ではそうした比較はせず、ひたすら学問的関心に興味が集まる。土台が違うと言えるだろう。

  日本人は精神性だけでなく、科学的関心も江戸時代からの伝統となっている。洋学(蘭学など)が入ってきて、科学的なことに興味を抱いたのは学者だけでなく、庶民にも広まったという点が他国と全く異なる。識字率が世界トップであったこと、寺子屋で庶民が進取の精神を論語などから学んだこともあるだろう。そうした自由な思考が許されたからこそ、二宮尊徳や渋沢栄一のような農民が武士となって活躍できたのである。そこには共通して論語の影響があった論語と民族性に支えられた高い精神性と庶民にも広がった科学的素養は、日本人がどこに行っても成功する基礎となっている。さらに日本人が持つ協調精神はそれを支えていると言っていいだろう。日本人が「井の中の蛙」にならず、島国根性を捨てて世界に出て行けば、必ずや勇躍できるのは目に見えている。未来世界では日本人に課されるべき使命が与えられれば、日本人の果たす役割が大いに広がるに違いない


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