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【時事評論2021】

国際的国民相互扶助

2021-10-02
  日本と台湾が、その歴史の中で支配関係や日本の裏切があったにも拘らず、現在に至っても大きな国民的友情で相互が繋がっていると言うのは稀有なことなのだろう(20.8.31「台湾における日本の貢献と裏切り 」)。その理由は一重に、日本の統治が台湾の発展のために為されたことにあり、決して欧米のような利益奪取のための略取政策ではなかったことによるのであろう。台湾の国民は、特に土着の少数民族にとっては蒋介石がいきなり踏み込んできて強圧的政策を取ったことに、今でもある意味では不快感を抱いているのかもしれない。日本も同様に、支配当初は抵抗勢力に対して弾圧政策を取ったが、それがある程度収束すると本来の台湾国家造りに着手している。それは多くの美談として台湾に語り継がれているようだ(4.3「日本は台湾の最高の民主制度に学べ 」)

  こうした国家間の友情だけでなく、世界には多くの民間や自治体による相互扶助協約が存在し、中には形式的・相互利益的な姉妹都市協約も存在するが、純粋に人類相互扶助の観点に立つボランティア的活動も存在する。こうしたことを考えていくうちに、これを国家とは離れた、普遍的価値観に基づく「国際的国民相互扶助条約」というものがあれば、戦争になったとしても相互扶助が可能になるのではないか、と考えた。だがこれは現実的ではないとすぐに否定された。戦争では通常、総力戦となることが多いため、当事者国家同士は相互協力を一切禁じてしまうからである。これは民の権利の上に国家権力が存在することを意味しており、これについては次項で改めて論じることにした。

  そうした現実はあるにせよ、国際的相互扶助が高いレベルの人類の相互扶助の本能に基づいて行われることは、決して小さな問題ではないと思うのである。未来世界ではそれを確実に可能にするであろう。なぜならば、世界の民が相互に信頼関係を築いていくには、国家同士の相互利益に基づいた協約や条約だけでは不十分であるし、その内容も偏ったものになりがちだからである。以下では具体的に国民の視点に立った相互扶助にはどのようなものが可能であるかを考え、それをどういう形で具体化したら良いかを検討してみたい。

  世界には「姉妹都市関係」が相当沢山あると思われるが、姉妹都市(友好都市)を規定する国際的な統一基準はなく、日本にもこれを定めた国内法があるわけではない。通常は首長同士の締約書が交わされることで成立する。日本に於ける2016年8月31日現在の国際姉妹(友好)都市提携は1696件に上るといい、都道府県によるものが158件、市区町村によるものが1538件であるという。日本と国交のない中華民国(台湾)との間でも17件の姉妹都市提携が結ばれている。歴史的には「最古の姉妹都市」として、中世の836年までさかのぼるパーダーボルン(ドイツ)とル・マン(フランス)が挙げられる。アイゼンハウアー米大統領が提唱した「市民と市民(ピープル・トゥ・ピープル)プログラム」を基に「全米国際姉妹都市協会」が創設された。いずれも戦争による荒廃を出発点として、国境を越えた市民間の交流を行い、相互理解を深めることで世界平和に寄与することを目標としている。

  だが現実にはこれらの関係は国際情勢や国家間の政治問題に巻き込まれやすく、提携を解消したりすることも珍しくない。本来はより大きい組織(国家など)の持つ不信感を払拭するために、より小さい組織(自治体など)が世界平和のために信頼関係を築こうとする運動の一環であるが、より大きい組織の都合で運動が継続できなくなるのである。それは現代に至るまで、国家が主権を持つという権力構造が現存していることから、仕方のないことなのかもしれない。

  だが未来世界では、国家から主権が取り除かれ、主権は連邦政府にのみ存在することになる。連邦は世界平和のために世界各国が協調・協力関係を持つよう促す立場であるため、筆者の考える国民主導の「国際的国民相互扶助」というものは、連邦が支持するかぎり、国家の都合に依らずに永久に存続することが可能になるであろう。

  国際的国民相互扶助」の内容にはどのようなものが考えられるであろうか。たとえば、未来世界では森林資源などは基本的に連邦管轄下に置かれるため、国家や個人は勝手に伐採はできないことになり、国家間の貿易も無くなるが、世界的な需要と供給に極めてアンバランスが生じてしまうことから、これを国家レベルから地方自治体レベルの協約という形にランクを落として、例外的に相互扶助が行えるようにすれば、連邦法は原則を維持したまま、地域が相互に扶助し合うと言う形で輸出入が可能になるであろう。ただ未来世界では化石燃料を船舶などのエネルギー源として用いることはできなくなるため、その運送には太陽エネルギー船や風力船(帆船)が用いられることになる。

  食糧についても同じ手法で相互扶助をすれば良いだろう。ただその種類や量には制限を設ける必要があり、相互扶助を超えた大々的な輸出入は禁じられる。それは地域が人工生態系を形成するに当たって、自給自足を原則として可能であることを条件とするからであり、食糧も自給できないような場所を人間の生息地として認めるわけにはいかなくなるであろうからである。また贅沢食品や嗜好食品の相互扶助というものもあり得ないことになる。これらは国家間の政治的な問題には左右されにくくなることから、安定した相互扶助の継続を可能にするであろう。

  こうした相互扶助はあらゆる文化面での相互協力にも繋がらせることができる。たとえばA国がB国の教育制度を見習いたいと思ったとすれば、研修生なり研修教員を相互に派遣したりすることも可能になる。未来世界では国家間の人流を最小限に制約しているため、この相互扶助を大義名分にすれば、人的交流も可能になる。勿論その規模などには制限は付き物である。

  以上の主旨をもう一度再確認しておこう。連邦制度では、これまで自由経済主義の下で好き勝手に行われてきた貿易や物流・人流の流れが原則的に制約を受ける。だが一律にこれを全世界に当てはめれば無理が生じ、各国の国民生活の破綻に繋がりかねない。そこで持つ国と持たざる国との間や持つ地域と持たざる地域との間で、相互扶助という大義名分の下で協力が行われるならば、その破綻を回避する一助となるであろう。この「国際的国民相互扶助」という考え方は、上から目線の制度の欠陥を、下から目線の「融通」という観点から修正しようというものであり、言ってみれば修正主義的ではあるが現実主義に則ったものであり、自由度を維持する一手段となるであろう。


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