本文へ移動
【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2021】

「人道」とは何か?

2021-07-15
  これまでノム思想では、法律主義から道理主義への転換を提唱し、その事例も示してきた。また人権主義から人道主義への転換も提唱しているが、特に中国が国際規範の違反について、「主権国家の内政問題。他国が口を出すのは内政干渉」として言い訳の常套手段としている。だがノムの道理主義や人道主義によれば、中国・ロシアの非人道的な政治システムや施策は明らかに批判の対象になり得るが、現状の世界における「国家主権主義」や「人権主義」には批判する根拠がないことから中国批判が出来ないことは明らかである。なぜならば、特に中国は全体主義の国家であり、人権の概念が全く異なるからである。そこでノムは上記2つの、世界に於ける秩序の考え方の転換を提唱したのだが、その中で「人道」とは一体どういうものを指すのか、という問題について触れてこなかった。本項ではその点を明確に示したいと思う。

  「人道」という言葉は書いて字のごとくであり、「人の歩むべき道・在るべき行動」を指し、極めて道徳的要素が強い。法律的文言には相応しくない曖昧な言葉である。そこでこれを明確なものにするためには、人間の判断では百家争鳴の議論が出てきて収拾がつかないことから、論理的で客観的な思考の可能なAIに個々の事例の判断をさせたら良いと考える。筆者のAIの考え方には専用AI総合AIの考え方があり、専用AIはある目的のために特化した判断を行うもので、それには人間が与える指向性が備わっている。たとえばAI兵器では敵と見做した対象物を破壊する目的が与えられており、単に判断を行うだけではない。これは専用AI(「特化AI」と言ってもいいだろう)を使った兵器である。それに対して総合AI(「特化」に対応して「統合AI」と言ってもいいだろう)では、人間は一切の命令を与えず、ゼロから膨大な事象や知識を学習をさせ、その中から人間がAIの判断を探り出すための質問をする、という形を取る。

  人道的であるかどうかを判断するのには専用AI・総合AIどちらでも良いと思われるが、AIの規模が専用と総合ではまるで異なる(パソコンとスパコンの比)ため、人道に関しては判断が比較的容易だと思われることから、専用AIを用いても恐らく同じ答えが導き出されるであろう。その際には、囲碁AIソフトに何種類もあるように、専用AIも連邦の管轄下に10以上を用意し、同時に判断を仰ぐべきであろう。民間のAIが判断することもあり得るが、それは人間の恣意が仕組まれている可能性があるため、何らかの検証が必要である。認定した上で、随時情報オンブズマンの随時立ち入り検査を受ける必要が出てくるだろう。それは連邦AIについても同様である。

  たとえば6月22日に国連人権理事会が、中国の新疆ウイグル自治区での人権状況について討議したところ、44ヵ国が非難に値するとし、60以上の国が中国の立場を支持した。結局44ヵ国が共同声明を出すに留まったが、もしこれを国連のAIが判断して示したらどうなるかは全く予測が付かない。すなわち世界の秩序として国連に加盟するかどうかを含めて「国家主権」に最大の価値が認められているからである。それを踏まえた上でAIが人道的かどうかを判断できるのかは不明である。だが未来の世界では連邦が唯一主権を持つのであって、各国には主権は無いため、各国の行動なり施策は連邦憲法の理念に合致しているかどうかで判断され、その中には当然のことであるが「人道的であるかどうか」が含まれる。連邦議会でこの人道判断AIの結果が示されれば、各国の賢人からなる連邦議会はほとんどその結果を支持するだろう。すなわち、「人道」という曖昧な概念に、明確な指標が示されたことになる。こうした事例をいくつも、何度も繰り返すことで、その時々・その時代ごとに、あらゆる事象や政策について、人道的かどうかが判断されることになる。

  重要なのは、状況理論から分かるように、状況が変われば人道的かどうかという判断も変わる可能性がある。各国や各自治体は施策が人道的であるかどうかを、それを決定する前にAI判定し、施策に改良を加えてAI判断で合格を貰うということもできる。また各国・各自治体が施策後に批判を受けてAI判断を仰いだところ不合格とされた場合でも、1ヵ月以内に施策に変更を加えて再度判断を仰ぐことも可能である(改善主義)。

  ノム思想から「人道」というものを大雑把にどのようなものかを表現してみたい。
 1.人や組織が、特定の人に対してその利益や快適性を与える行為や施策は人道的である。
 2.その行為は人の道に適っている。
 3.人や組織が、特定の人または集団に対して、不利益や害を与えた場合は、それが世界の常識から外れた者であった場合は人道に外れたものとなり、時にそれが法律に反した場合は犯罪となる。
 4.世界の常識とは、各国の伝統・文化・法律の違いを乗り越えて、人間として取るべき行動を指す。
 5.ノム思想では、個々の人間よりも集団の人間の利益を優先し、人間の生存のために個々の人間・個々の集団よりも人間全体の利益を優先する。さらに人間全体の生存のために人間の利益よりも自然界の利益を優先する(自然主義・地球主義)。人道的であるかどうかは、その視点の置き方に依っても変わってくるため、「人道」の意味の中には「人として取るべき行動・規範」が含まれ、それはより大きな大義のために為されるべき行動、その大義のために持つべき規範をも含む。たとえば、地球環境汚染を食い止めるために、特定の企業に対してその誤りを指摘したり、訴訟を起こすことは人道的ということができるだろう。この場合、特定の人が被害を受けているわけではなく、人類全体が被害を受けていると考えることができるからである。

  人道という曖昧な概念を定義することは極めて難しいことであり、人間界だけの範囲で考えるか、人間の生息する地球全体の範囲で考えるかでその定義は異なってくる。ノム思想としては全体主義の考え方から地球主義の立場をとるため、人道の定義はかなり広いもの(広義)となる


TOPへ戻る