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【時事評論2021】

「共感=シンクロ=共鳴=同期」の脳科学

2021-05-06
  4月27日の項「善悪の基準とその闘争」に於いて、「同期」ということを書いた(4.27「善悪の基準とその闘争 」参照)。これは心の同期というものについて書いたものであるが、別の言葉で表せば、科学的には「Synchronizum(シンクロ)」があり、心理学や日常的には「共感・共鳴」が当てはまるだろう。これを書いたときにはその機能を中心にしたのであるが、数日後に録画しておいた番組を観たところ、まさにこの問題を脳科学的に解明してくれるものがあった。有難いことである。多くのノム思想が、最近の学問の成果をテレビ番組が紹介してくれることで、次々に科学的に証明されることはとても嬉しいことであり、また勇気づけられることでもある。5月3日にNHKで放送された「ヒューマニエンス」という番組の『涙』というテーマがそれである。今回はこの番組を基にして、掲載テーマについて書いてみることにした。

  共感」という人間心理は当然のことながら脳で起こる。それは脳波や血流などに現れるだけでなく、表情や目の輝き、そして涙にも現れるという。その共感にはいろいろなものがあり、①思想的共鳴・②経験的共感・③同情・④感情的移入、等があると思われる。たとえば先生の言うことに尊敬を感じた場合、それは上記で言えば①に該当するだろう。つまり先生の考え方に共鳴することで尊敬心が生まれる。自分の子どもが運動会で一生懸命走っている姿を見ても感動して涙ぐむこともあり、それは④に該当すると思われる。テレビ番組や映画などで感動するのは多くは②であることが多い。あるいは③である場合もある。友人同士が悩み事で相談しているとき、共感して双方とも涙を出すことがあるが、これは③に該当するだろう。この共感を覚えるとき、脳にはどのような反応が起こっているのであろうか。

  人間だけが副交感神経の働きによる涙を出すことができるということを知った。それは人間だけが発達させた脳の前頭前野の働きによるらしい。感情的共鳴を同情だとすれば、試合に勝った仲間が揃って涙して興奮するのは上記③の同情によると思われる。負けたチームの仲間が泣くのも同じである。誰かが亡くなった時、葬儀場で見られる涙は④の感情移入であると思われる。このように、人間は喜び・悲しみ・驚き・悔しさなど、激しい心の動きがあったときに、それを共感できる仲間がいるとその動揺は増幅される。それを共感と呼ぶが、それはどうも人だけにある作用なのかもしれない。勿論動物にも同期現象は多くあるが、それは生存のための一種の反射動作であり、人間のような感情的共感とは異なるものであるようだ。それはこの共感が人間の脳の最も進化した前頭前野という部分に現れるものだからである。

  東邦大学の有田秀穂は、人間は幼いときには自分のためだけに泣くが、大人になると他者との共感から同情などで泣くようになるという。これは幼児の場合は生存のための反射行動として「訴えるために泣く」という行為であるが、言葉の代わりのコミュニケーション手段として泣くという。大人の場合は自分のストレスによって泣くことは少なくなるという。それよりも他者との共感により泣くのだという。その時泣きの前兆である胸が詰まる感情が湧いてから10数秒後に前頭前野の中央(眉間の上辺りの位置に相当:内側前頭前野) の血流の激しい変化が現れる。この部分は共感性や直感的な判断を担っているとされる。それ故に第三の目とも呼ばれるそうだ。手塚治虫の「三目」など、多くの漫画にそれは描かれてきた。人間が直感的に想像した第三の目が科学的に証明されたというのは素晴らしいことである。

  ここで前頭前野が脳に占める割合を他の動物と比較してみると、人間では29%であるのに対し、チンパンジーは17%・サル11.5%・イヌ7.0%・ネコ3.5%であるそうだ。この人間だけが発達させた内側前頭前野というものは、他者との感情を共有する役割を持ち、それが人間を集団として結束させることができた理由であろうと思われる。動物が集団で行動する場合の数の限界というものはまだはっきり分かっていないが、恐らく鳥類の数千、魚類の数万が限度であろうと思われる。だが人類は少なくとも数百万、数千万が集団として結束可能であると考えられる。その意味で人間の持つ共感能力というものが、人間の脳の特有なものであり、それが人間を最強の存在にしている理由であろう。上記した有田名誉教授はこの部分を「共感脳」と呼んでいる。

  これは重要なことを意味している。人間は幼児の時にはこの共感脳が発達していないため、自分のことしか考えられない。大人になっていろいろな経験や共同行動をすることで、共感脳が発達し、他者に同情したり、他者の思いを察することができるようになる独裁者は幼児期において何らかのトラウマがあり、この共感脳の発達が阻害されている場合があるのではないかと思わされる。よく冷血漢を「血も涙も無い」という言い方がされるが、それは他者との共感のできない未発達な人間のことを指しているのではないかという考えが浮かんだ。筆者はこれを「動物的人間から知的人間への成長・進化」という問題として捉えているが、独裁者や強欲な人間・立身出世願望の人間・利己主義的人間というものは、動物的傾向が強い人間だと考えてきた。これを言葉を替えて脳科学的表現で言えば、共感脳の発達程度で表すこともできるかもしれない。

  人間は年を取ると涙もろくなると言われる。それは人生過程が長いほど多くの経験をして、他者への共感ができやすくなるからかもしれない。日本語では「琴線に触れる」という表現をすることがあるが、心の共鳴のことを表していると考えればよいだろう。「男はつらいよ」の寅さんを顔を思い浮かべるだけで涙が出る人もいるという。この映画に出てくる日本の古き良き時代の風景を見ただけで涙ぐむ人もいる。それは故郷を思う気持ちが為せる業なのであろう。動物には過去を思う気持ちは無いと思われることから、そのような情動は無いと思うのだが、それは動物に対して失礼なことかもしれない。だが人間ほどこのような情動を示す動物は他にないということだけは確かであるように思われる。

  面白いことに、には基本反射の涙と感情の涙があるそうで、その成分も違うという。基本反射の涙はゴミなどを洗い流すために出る涙であり、常に眼を乾燥から守っているため、成分濃度も薄いという。ちなみに人間がどのような時に泣くのかという理由をアンケートした結果を見ると、①ペットとの別れ・②家族など人との別れ・③悔し涙・④夢が実現したときの歓喜の涙・⑤音楽を聴いているとき・⑥緊張から解放されたとき・⑦身体的苦痛があるとき・⑧可愛い子をみたとき、というような順であった。家族よりもペットとの別れの方が辛いということはよく言われることであるが、それはペットへの愛の方が家族への愛よりも強いことを表している。というもの自体が共感から出てくるものであり、人間と動物との間には不思議な共感があると考えられる。猫は人間のことを無視しているように見えるが、それでもネコ好きな人間は無報酬の愛をネコに捧げる。そこにどのような共感があるのかはまだ不明であるのだろう。

  共感という心理的反応や涙という身体的反応は、ある意味で個人にとってストレス解消となっているという。特に泣いた後には心身ともに軽くなったような解放感がある。祭りなどで共感という興奮を感じたあとには、充足感を感じることがある。ウイリアム・H・フレイⅡという生科学者が1990年に『涙・人はなぜ泣くのか』という本を書いている。これによると涙はACTHという副腎皮質刺激ホルモンを含んでおり、これを排出することでストレスを解消していると主張している。上記した有田は、「自律神経的に癒しの副交感に変わる」という言い方をしている。ストレスを感じている時は交感神経が優位になっており、副交感神経が優位なときは身体やリラックス状態にあるという。涙はその切り替えをもたらすという。室傍核という脳の部分(視床下部)にはストレス中枢があり、それを切り替える神経もあるという。感動という情動は共感脳でまず生じ、それが交感神経によって室傍核に伝えられ、急激に興奮が起こる。だがそれを落ち着かせようと室傍核は副交感神経を優位にして上唾液核を興奮させて涙腺神経を通じて涙を出すというのである。室傍核による切り替えは10数秒で起こる。それは睡眠に落ちるために10分ほど掛かるのとは大きな違いとなっている。すなわち泣くことで心も体も寝た時と同じリラックス状態が得られるというのである。これを有田は「究極の癒し術=安全弁」と呼んでいる。泣くことは自発的・短時間のストレス解消法なのである。泣くとお腹が空き、眠くなり、気分的にすっきりするのである。このときオキシトシン(愛情ホルモン)も関係しているとされる。

  話は少し反れるが、女の涙にはフェロモンと反対の作用をする未知の物質が含まれるようである女の涙の匂いを男に嗅がせると、男は性欲を失うという。実際テストステロンという男性ホルモンの濃度が急激に落ちるのである。これは女の涙が強姦などを受けた場合に、防御的働きをする可能性がある。実際、女が泣くと男の多くが性欲を失い、女を庇う行動に出る。これもまたコミュニケーションの一つの方法である可能性が高い。それが科学的に証明された意味は大きいと言えるだろう。東京大学の東原和成(とうはらかずしげ)はマウスの実験の実験を行い、オスのマウスの眼の涙腺以外の外側にある涙腺からフェロモンであるESP1を発見した。オスとメスは顔をすり合わせるグルーミング行動を取るが、その時外側涙腺から出ている粉上になったオスのESP1がメスに交尾を促すという。ESP1を出せないオスがいくらメスに交尾を迫っても、メスは交尾を避ける行動をするという。人間の場合は逆に女の涙の中に何らかの反フェロモン的作用を持つ物質がある可能性があるという。外国人が挨拶で顔を近づけて頬にキスすることや頬を合わせたりすることがあるが、これらの行為には何らかのフェロモン効果があるのかもしれない。

  このように共感や涙は身体にとって非常に有用なものとなっており、それが人間が祭りやイベントが好きな理由なのかも知れない。ローマ帝国が長く続いた理由も、身体的に必要なパンと、心理的に必要な共感をサーカスで与えたことが、政治の安定をもたらすのに有効だったからだという考えは科学的に正しいように思われる。ということは、未来世界においてもこのことを生かす必要があると言えるだろう。未来世界が単に知的に高度になるだけでなく、イベントや祭りのような祭典が必要だという論拠になるかもしれない。筆者は少なくとも未来世界を全体主義にした方が良いと考えており、その全体の結束を高めるためには、なんらかの形で世界的な結束の場が必要なのかもしれない。このことは、筆者に新たな課題を突き付けたような気がする。

  最後に共感能力が人間を自然界の強者にした、ということに想いを馳せてみよう。ホモサピエンスがネアンデルタール人との生存競争に勝った理由というものにはいろいろな仮説がある。ネアンデルタール人は家族単位で行動しており、集団的行動には積極的でなく、それに対してホモサピエンスは祭礼などを通じて集団的行動を取るのが得意になり、その集団力が体力の差を超えて生存可能性を高めた、という仮説が最も信用されているようである。そうであるとすれば、集団力に勝る全体主義国家の方が個人主義に立つ民主国家よりも優位であるということができるだろう。共感が最高度に発揮されるには愛国心が最も高揚されることが必要である。中国やロシアは愛国心を盛んに国民に吹き込んでいる。オリンピックという代替戦争では、各国の国民は自国の愛国者に変容する。だが応援席にたまに外国人が日本選手を応援している姿も見られる。いろいろな事情があるのであろうが、そうした他国の選手を応援出来る人は未来世界に相応しいと筆者は思うのである。それは人間の持つ最高の脳の働きである、「他者を想う」という共感脳の働きが最も顕著に表れている人だからである。それを「人類愛」という言葉で表すのが適当かどうかは分からないが、これを感じるには相当高度な脳の働きが必要になるであろう。現代でも既に涙を見せる男の評価は昔に比べると圧倒的に高くなっている。つまり血も涙もある男の方が優位に立っているというのである。それは独善的でないことを証明しているからである。もっと言えば、他者と共感できる人間であることを証明している。ただし政治家などが人前で泣くというのは現代でも評価は低い。それは弁解のための涙だからである。未来世界では他者のために涙することの出来る人が高く評価されるであろうし、そうすることのできるネオサピエンスに進化した人類の世界になっているであろう


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