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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2021】

水文明崩壊の予兆

2021-05-08
  我々の住む地球は「水の惑星」と呼ばれる。その中に生命が誕生したのは当然であったのかもしれないが、我々人類というホモサピエンスが高度な文明を創り出すほどに繁栄したのも、水が豊富にあったからに他ならない。その意味で「現代文明は水文明である」と考えるのも決して的外れなことではないであろう。だがその水(淡水)が不足してきていることはかなり前から予想されていたことであった。そこで水がもたらした文明というものを歴史を辿って振り返り、そこから未来の文明の在り方について考察してみたいと考えた。いくつかの著名な事例を取り上げ、文明を築く上で水を人類がどう制御してきたかを学び直し、未来世界における水の扱い方を考慮しながら、未来世界を構想してみたい。

  最初に取り上げたいのは古代アンデス文明における水利技術である。それはとても水を使うには適さない急峻な標高2400m以上の狭い山の上に作られた段々畑を含む街であった。最大750人程度しか居住しなかったと言われるが、文字を持たなかった文明が創り上げた建造物は謎に満ちている。年代的には1440年頃に建造が始まったとされ、比較的新しい。だが1532年にスペイン人によって征服されるまでの80年間程度しか使われなかったこと、5~10トンもの巨石をどうやって運び上げたのか未だに分からないこと、泉や貯水槽などの水源が未だに発見されていないこと、など謎が多い。500年もの間、風化や崩壊をほとんど受けていないことも奇跡的であるとされる。それにしても文字を持たない人類が創った最高の建築物であると言えるだろう。そして現在もなお、水源は分かっていないが水だけは昔と同じように流れているのである。

  ヨルダンにあるペトラ遺蹟もぜひ取り上げておきたい事例である。この場所は砂漠に囲まれた岩礁地帯であり、水が絶対的に不足していたと考えられる。だが一旦大雨が降ると鉄砲水が岩の間を走ったという。そんなところに最大3万人が住んだ都市を創ったというのも不思議であるが、ここが交易の要衝の地であったことから、居住に適さないことが分かっていてもナバテア人はここに都市を創った。その知恵には敬服せざるを得ない。水は年間降雨量200mmの雨水を200もの貯水槽に溜めたという。街の中には23×43m、深さ2.5mのプールや見せるための噴水もあったという。面白いことに貯水槽とともに、街の外から5本のシークと呼ばれる岩の間の通路に沿って岩に削られた水路も使われたという。水の需要が増したからかもしれない。

  日本では250年間の長期安定政権を築いた初代徳川家康が水利に苦心した。当時全国を制覇した豊臣秀吉の命により、関東に領地替えを命じられ、さらに江戸に城を築けとまで指定されたという。恐らくこれは実力幕僚であった家康への意地悪な左遷工作であったろうが、家康は海沿いの葦の湿地を埋め立てて改善するとともに、良質な水を求めて家臣の中の菓子担当に水路工事に当たらせた。戦が嫌いで菓子担当になった大久保忠行を最適な役に抜擢したと言えよう。小石川上水をまず作り、後に神田上水にまで拡張した。家康は忠行に「主水(もんど→もんと)」という名を与え、大久保主水忠行と呼ばせたという。濁りを嫌った読み方にさせたところが心憎い配慮である。その後江戸は世界一の100万都市にまで成長したが、その背景には塩味のする水(淡水は、「塩分濃度が0.05%以下の水」と定義されている)しか出なかった江戸に引いた上水の支えがあったのである。

  以上の例から分かるように、人間は水不足の場所や適切な水の得られない場所にも都市や文明を築いてきた。だが地球全体の利用可能な淡水量は地球上の水のうちたった2.5%であり、しかもその約7割が氷河や氷雪として存在しているため、利用できる河川水や土壌水(地下水)は0.007%にしか過ぎない。。そのため最近では氷山を舟で曳いて淡水源として利用しようという動きまで出てきている。また世界の人口の1/8は水道の恩恵に与っていない利用可能水のほとんど98%を占める地下水の汲み上げが盛んに行われ、上水・工業用水・農業用水として使われているため、地下水の枯渇も心配されている。そうなると人類は文明生活を維持することができなくなり、それどころか餓死の危機を迎えることになるであろう。

  近年台湾で旱魃が起こっている。これは飲料水の不足の問題に留まらず、半導体製造に大量に使われる工業用水の不足に直結しており、世界の半導体製造拠点の1つとしての役割を果たしていることから、この半導体製造が停止すると世界経済に悪影響を及ぼす。半導体が止まれば自動車生産も停止せざるを得なくなる。あらゆる分野に影響が拡大するだろう。水は産業の根幹をなす必需品である。またアメリカでも2021年6月に旱魃が始まった。特にカリフォルニアとテキサスがひどい。カリフォルニアでは2020年に大規模な森林火災があったが、それも旱魃が原因である。アメリカでは1960年代に始まった「緑の革命」で大量の地下水を使い始めた。だがその地は自然の降雨だけでは水が足りない。結局何百年も掛けて溜まった地下水を汲み上げることで貯蔵系資源を使い果たそうとしている。2021年からアメリカは旱魃でその農業国としての地位から脱落し、国家衰退が明瞭になるであろう。

  イスラエルなど水資源に元々乏しい国では、技術によりこの限界を乗り越えようとしている。イスラエル国家が建設された頃、イギリスはこの地には水の制限から200万人が限界だと考えた。だが現在のイスラエル人口は1200万人だそうだ。それは下水の浄化と農業用水への利用から始まった技術によるものである。その次に行ったのは海水の脱塩処理による飲料水化である。逆浸透膜法による脱塩処理はコストが安く、現在の使用量の70%はこの水で賄われているという。現代の水危機を凌ぐには今のところこの方法しかないと思われる。水はタダではないことを、日本も知るようになるのだろうか?

  地球温暖化が淡水不足に拍車を掛けている。世界各国で起こっている乾燥化・旱魃は水不足の象徴であり、また地下水の枯渇問題も各地で深刻である。アメリカでは広大な農地に散水している地下水が枯渇し始めた。理想的な退職者の天国とされたカリフォルニアの「ザ・ヴィレッジ」も地下水枯渇による地盤沈下に見舞われている。徐々に文明が水不足によって蝕まれてきていることは確実であろう(4.29「豊かさとは何か? 」参照)。果たして水不足に見舞われている都市や農地はその場所を古代のように移動できるだろうか。それはとても無理な話であるように思える。だが仕方なくやらざるを得ないことかもしれない。

  2022年2月に公開されるとしている国連IPCC報告書の草稿が漏れ出たが、それによると、地球の年間平均気温が2026年までに少なくとも1回、1.5度以上の上昇を記録する確率は40%であるそうだ。都市部では干ばつによる深刻な水不足が起こり、その影響を受ける住民は気温上昇幅が1.5度なら約3億5000万人、2度なら4億1000万人増えるとされる。さらに気温の上昇幅が2度になると、生命の危険がある極度の熱波に見舞われる人は4億2000万人増えると予測されている(【時事通信】《温暖化》6.23記事) 

  もしあなたの住む家の水道が出なくなったらどうするだろうか。近くのスーパーに行っても飲料水関係は全て売り切れているだろう。給水車が来るのを待つしかないが、都市全体が水資源が枯渇していたら、配水はとても間に合わない。水なしには人間は1日として暮らせない。筆者は非常時のための井水を利用可能であるが、それとて枯渇する可能性がある。ある時田んぼに水を入れ始めた時に、自宅井水が枯渇したことがある。情けない思いをしたが、その時は水道水があるから安心であった。だが水道から水が出なくなったら、人々は疎開せざるを得なくなるだろう。

  その時文明は崩壊する。電気もガスもあるのに、水がないだけで人間生活は成り立たなくなり、文明生活も無くなるのである。筆者は引越しの経験をしたとき、ワケあって売却するまで1週間ほどガス・水道・電気を切った自宅(空き家)に寝泊まりしたことがある。最も困ったのはトイレの排泄物を流せないことだった。仕方なく隣の家に水を貰いに行ったことがある。飲料水も食料もスーパーで間に合ったが、トイレが使えなくなるということを考えなかった。現代文明というものは弱点がある。高層マンションに住む住人は、購入したときは文明の頂点にいる気分であったろうが、震災や水害で電気が止まってエレベーターが動かなくなったとき、まず水運びに苦労して、こんな高層階を買うのではなかったと後悔したようである。水道が止まったときはやはりトイレに難儀したそうだ。そういう経験をした人は二度と高層階には住みたいと思わなくなるだろう。同様に水が手に入らなくなった経験をした人は、田舎に住みたいと思うようになったであろう。人は経験しないと悟らない愚かな存在なのである。今は水不足の予兆が出ている段階であり、また対策を考える余地はある。せめて井戸を掘れる人は井戸を掘り、タンクで水を貯められる人はそれなりの準備をした方がいい。まもなく水不足を経験することになるからである。

  未来世界ではこの問題をどう乗り切ろうとしているのであろうか。まず人口は現在の78億人が20億人程度に減っていることになっているため、需要は少なくとも1/4以下に減っている。生活用水で最大の使用量になっているシャワーや風呂は2日に1回程度に減らさざるを得ないだろう。田園都市構想では、都市の方が農村よりも上空から見れば一面緑で覆い尽くされているかのように見える。各家には自家菜園太陽光発電設備があり、太陽光発電設備の下には貯水池があって鯉などが養殖されている。塀にはヤマイモの蔓が繁茂し、8ヵ月間土壌中に保存可能なヤマイモがある(筆者はこれを実用化しした)。雨水は太陽光発電パネルや屋根で受けたものは全て貯水池を経て地下の貯水槽に送り込まれ、汚泥を含んだ雨水は畑に給水され、上澄みは浄水器を経て飲料水となる。中水はトイレや洗浄用に使われる。地下水が出るところは井戸を掘ってあるので、多くの場合はこれを使用する。筆者の自宅の井水は6mほどの地下水面であり、飲料用水検査にも合格しているが、あいにく井水が出るとは思わなかったため、自宅には引き込んでおらず、もっぱら畑への散水や車の洗浄などに用いているが、本来は水道水よりもおいしい最高の飲料水である。

  こうした努力をしても水不足はあるかもしれない。そのためどちらかというと非常用に水道が敷かれている。この水道は基本的には河川用水を浄水化したものであるが、場所によっては地下水が使われる。この浄水場で生じた活性汚泥は乾燥して粒状にして肥料用に廉価で販売される。重金属汚染の恐れが極めて小さいからである(現代の活性汚泥は石油で焼却している)。もし地球の陸地のほとんどが乾燥化により緑地の維持もできなくなった場合、わずかな雨水を頼りにこれを地下貯水槽に溜め、その水で家庭菜園を維持させなければならなくなるであろう。それでも足りない場合はその町・その市、その国を放棄して移住しなければならなくなるかもしれない。その場合は、気温条件よりも水が確保できる土地を探すことが優先されるであろう。もしかしたら初期の文明が河川流域で発生したように、未来の文明も河川流域に限定されるようになるかもしれない。(6.23追記)


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