本文へ移動
【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2021】

メディアによる「言葉狩り」に怒り(2.8・4.1追記)

2021-02-06
  東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の発言を巡って世界的に批判が起き、それがニュースとなって飛び交っているようだ。何のことかと思ったら、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と発言したことについて、女性差別だと騒いでいるようだ。そもそも森会長が事実を述べたのだとすれば、なぜそれを問題とするのか、という疑問が湧いた。つぎに、それが女性擁護イデオロギー(「女性差別撤廃運動」・「女性の権利向上運動」)からの批判であると分かって怒りに変わった現代の民主主義が少なくとも「表現の自由」を保証しているはずなのに、このような一言一句を取り上げて揚げ足取りの材料にしたり、ましてや辞任を求めるという姿勢はとても民主主義が本当のものではないことを窺わせる。8日の報道では、共同通信の行った世論調査で、森の会長としての適・不適を問うたところ、不適任と答えた人が 59%に及んだという。また適任としたのはたったの 6.8%であった。筆者は適任と考えているため圧倒的少数派に属することになったが、そのことを誇りに思う。メディアの策謀に踊らされなかったからである。

  これは民主主義の欠陥であるとも言える。長い事貢献してきた逸材をさえ、たった一言の発言で葬り去ろうとするのは社会を不安定化することを意味する。中国式全体主義であれば、部下がどんな発言をしようと、どんなに世界に恫喝的に受け取られる発言をしようと、誰にも文句は言わせない。部下を更迭させられるのは習近平一人だからである。それは極めて強力な安定した状況をもたらす。またノム式未来世界の全体主義であれば、誰がどんな発言をしようとそのことを批判することは許されない。その発言は国民などによって評価されることで十分批判されるからである。その評価が悪いとしても、発言が問題となることはない。ましてや地位を追われるというようなことは絶対に起きない。だがその評価は発言者自身にじわじわ及んでくるため、誰でも慎重にかつ国民に受け入れられる発言を心掛けるだろう。これは社会に良識を生み出し、しかもなおかつ表現の自由が実現され、結果的に自由で闊達な議論が促進されるだろう。それは中国式の威圧的・黙殺的言論よりは遥かに良い活気ある安定を社会にもたらす。また日本式の揚げ足取り的言論よりも、遥かに自由で活発な議論を生み出すだろう。


  だが野党が常套手段としている「言葉狩り」は社会を役人化させるだけであり、それは民主主義の目指す民の自由な発言をさえ抑圧することになる。日本が総役人化してしまっているのは、野党が国会などで、メディアがジャーナリズムの世界で「言葉狩り」・「言葉叩き」をしているからではないのだろうか。しかもこの些末な一言を大きな記事にして日本社会に知らしめていることは、女性擁護というイデオロギー世論を盛り上げる意図があると思われる。NHKは女性理事やスポーツ選手まで登場させて女性差別反対の発言を指せている。朝日新聞は5日の社説で、「暴言・妄言・歪んだ考え・女性全般を侮辱」と書いた。ここまでくると、安倍下ろしと同様の政治的意図があると思わざるをえない。森会長の活動状況を知らないが、これまでの流れでは非常に力強い指導力を発揮してきたと思う。またオリンピックを誘致できたことは最大の功労であろう評価できる。そうした逸材をたった一言で潰そうとするのはどういう意図なのだろうか。2021年4月1日の産経新聞で阿比留瑠比が「リベラル派による言葉狩りが横行し、寛容と多様性の美名のもとに、非寛容と画一的な価値観の押し付けが進む日本社会こそが受け止める言葉だろう」として、カズオ・イシグロの「二極化が進む世界を招いたリベラル派の責任」を取り上げている。言葉狩りをしているのは確かに自称”リベラル派”を名乗るメディアなのであろう。

  
  筆者は海外の「女性蔑視」発言自体が間違った見当違いの指摘だと思っている。女性の発言が多い事、長い事は常識的なことであり、事実であり現実である。ましてや組織の役員を務めるような有能な女性は、その理念が男性よりはっきりしており、自分の主張を強く持っている。しかも言語能力においては男性をはるかに凌いでいることは男女の幼児の言語発達をみれば明らかにであり、脳科学でも証明されている。会議において女性の発言が多くなるというのもうなづけることであり、それは女性の能力の一部でもある。報道では具体的にどのような場面で森会長が発言したのか、肝心な情報がほとんどない。発言の前後も分からないため、発言が適切だったのかどうかも判断できない。メディアは最初から意図的に報道をしたのだと思わざるを得ない。そして多分、日本メディアが積極的に海外にこのニュースを知らせてメディアの「炎上」を起こさせようとしたのだろう。国際オリンピック委員会(IOC)の委員を務めるカナダのヘーリー・ウィッケンハイザー(42)がツイッターで森の発言を「この男を朝食のビュッフェ会場で絶対に追い詰める」と指弾しているが、その言葉の激しさは女性特有のものであることを露呈している。特に「男」を強調しているのは男に対する敵愾心すら感じる。日本人から観れば挑戦的破壊人物としか思えない。この委員の発言をこそ問題にすべきではないのか? このような人物をIOCは委員に選考しているが、それ自体が妥当だとは思えない。森会長は会議をスムーズに進めたいという思いから事実を言ったのではないかと想像するが、その正直な発言を重く受け止めて、改善を図る方が賢明な対応であると思われる。

  筆者は元々フェミニストであると思ってきたが、それは女性の特徴を生かす世の中になってほしいと願っていたからであった。だが世界のフェミニストというものは筆者の願いと裏腹に、自己主張と女性の権利向上のために運動しているようである。それは不条理な要求となって表れている。個々の能力に拘らず、議会や役員の半分は女性でなければならないという主張である。前記したように、能力ある集団の中で女性が半分になれば、ある意味で男性の力を抑圧することに繋がる。発言力が圧倒的に女性の方が強いからである。日本の女性議員が「女は平気で嘘をつく」と正直な発言をしたが、これも大分叩かれた。だがそれが真実であることは誰でも知っている。なぜ真実を隠して「女性擁護」というイデオロギーを優先させようとするのか。しかも自然な選択原理を犯して、恣意的に女性に権力を与えようとする世界的な動きに世間は同情的であり、強いて反対する勇気を持つ人はほとんどいない。それは女性陣から袋叩きに遇うことを恐れるからである。


  未来世界では発言の一部を切り取って報道することは客観性を損ねる行為だとしてメディアの公正性を評価するであろう。それは組織格の評価に影響し、繰り返し「言葉狩り」・「言葉叩き」をした場合、そのメディアは評価が相当落ちることだろう。勿論未来世界では発言によって法律的に罰せられることはなく、地位を追われる(更迭・左遷・辞任)こともない。ただ冷静に評価されるだけである。現在のメディアの報道の仕方は明らかに悪い状況をもたらそうとする意図が見られ、それが新聞の購読数を増やすためやテレビの視聴率を上げるための人間心理を悪用したアピールだけであるにしても、結果的に社会に良くない雰囲気や暗い世相を与えていることは明らかであり、それはコロナ報道にも表れている。毎日、事さらに悪い部分を強調し、第3波が激減しても国民こぞって喜ぼうとしない。反って「油断するとまた同じことになる」と緊張を強いる。それはそれで正しいが、素直に対策が効を奏したことをなぜ評価しないのであろうか。産経新聞の「朝晴れエッセー」にも、「毎日の暗いニュースにうんざり」という声が漏れる。海外のニュースでは特に悪い点を強調している雰囲気は見られない。是々非々の報道のように見える。だが日本の報道は悪いことばかりを強調している。自国に誇りを持てと言われても持てる訳もない。未来世界では良いニュースと悪いニュースの量の比を敢えて設定するかもしれない
(1.10「未来世界の良いニュースと悪いニュース」参照)。国民が幸せな気分になり、自国を誇りに思えるようになることが安定の条件であり、平和の条件であるからである。何もわざわざ沢山のニュースの中から悪いものを取り出して強調する必要はさらさら無い。現代の民主主義が少なくとも「表現の自由」を保証しているはずなのに、このような一言一句を取り上げて揚げ足取りの材料にしたり、ましてや辞任を求めるという姿勢はとても民主主義が本当のものではないことを窺わせる。幸いなことに、メディアの中で「産経抄」は過去の反省も踏まえて、「マスコミが一斉に大上段に構え振り下ろす‘正義’はうさんくさく危うい」と書いた。


TOPへ戻る