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【時事評論2021】

中国・韓国の若者に見る金権主義(4037文字)

2021-01-27
  筆者は各国の若者をできるだけ支援したいと思い、現職時代を含めて台湾・中国・マダガスカル・ベトナム・韓国・ペルーなどの若者と話を積極的にしてきた。その中で、カネの話を好むのは中国と韓国であることに気付いた(20.4.14「中国は社会主義ではなかった・金権主義であった 」参照)。彼らは私に対して年齢が離れているにもかかわらず遠慮なく「この車はいくらでしたか?」というような質問をしてくる。その率直な態度はとても自然なもので決して下心があるわけではないが、日本人の金銭に対する感覚とはかなり違うものを感じた。それが現代の若者の風潮なのか、以前から民族的なものがあるのか、検証してみたくなった。

  最近見たテレビ番組の中で、中国人の若者が6人ほど集まって新しい会社を立ち上げる計画を話し合っている場面があった。彼らは率直に、「車や家を買いたい」と語る。そのために金儲けを計画しているのである。それはとても素直な感情であるとともに、一抹の不安を予感させるものであった。もし経済が停滞したり下降に及んだ場合、会社が破産したりして奈落の底に落とされた場合、彼らはどういう行動に出るだろうかと考えた。現在の中国は非常に活気に溢れ、コロナ禍をものともせずに反って自信を付けているようにさえ見える。だが経済が下降したならば失業者に溢れ、金権主義に陥っている若者らはその苦境の原因を自国の政府に向けるのか、他国(アメリカ)の経済制裁という外圧に向けるのか、答えは明白だと思われる。愛国主義のプロパガンダの下で育てられた彼らは、多分アメリカに不満の矛先を向けるだろう。

  韓国では既にその状況に入っており、経済は停滞してその不満の矛先は自国政府に向いている。しばしば日本との比較をするのが常であるが、報道を観ているかぎり日本にその責任を押し付けてはいない。またアメリカにも向けてはいないだろう。残るは中国であるが、韓国人は中国と経済的結びつきが強いのと歴史的に服従するのが常であったため、表立って中国を批判することは滅多にない。自ずとその不満は自国政府に向かわざるを得ない。1月22日のニュースの中に、慰安婦問題におけるムン・ジェイン政権が取ってきた反日政策に対して正面きって不満をぶつけた「週刊東亜」という週刊誌の記事があった。だがそのタイトルは「慰安婦賠償金ジレンマ、文政権『108億ウォンを拒否し、12億ウォンを要求』」というもので、とんでもない誤解(作為?)に基づくものであり、意図的にか歴史的経過を偽っている。それだけではなく、問題を「乞食の論評」のように金銭問題にすり替えているのである。つまり「ムン政権は金銭的に損をするようなことをした」、という内容であった。事は国際的約束を守るかどうかという問題であり、金銭の問題ではないはずである。だが韓国メディア自体も金権主義に陥っているため、損得勘定でしか記事を書くことを思いつかないのであろう。だが政権に批判の矛先がやっと向いてきたということは良いことであり、もっとその議論を深めてもらいたいものである。

  それにしても中国・韓国のバイタリティーは凄まじい。日本を攻撃するためには官民挙げているように感じる。だが中国メディアの中には、日本人が中国を嫌っていることがかなり気になるらしく、中国としてはこれだけ友好的な努力をしているという言い訳もしている。だが尖閣に対する武力的侵攻はあからさまな敵対行為であり、民間での努力を全て帳消しにして余りあるものであろう。そういう本質的な問題を棚上げして言い訳しても何の効果もない。韓国の若者には潜在的な日本びいきが多いと聞く。日本文化への憧れもあるようだ。だが韓国も飛躍的に成長してきており、芸能・映画・アニメの分野では決して日本に引けを取る状態ではなくなってきた。韓国の若者もある意味では自国に誇りを抱きつつあるとも言えるのではないだろうか。だが経済的苦境は主として若者に及んでいる。金権主義に慣らされた若者が苦境に立たされれば、それは自ずと政権批判となっていくであろう

  歴史的に金権主義の思想(物事はカネ次第と考える考え方)を見てみよう。人間界におけるパワー(力) というものは、権力と金力にあったと観ることができるだろう(他にも技術力があるがここでは考察しない)。決定権を持つ権力と、カネによって人や組織を動かす金力は常に歴史を動かす原動力であった。金力は権力を持つとも言えることから、これを金権力と表現してもいいだろう。これらは人間の持つ生存本能に基づいており、それ自体は自然なことであるが、人間社会では決して良いものと評価はされない(№833「本能の善悪」)中国の歴史も、中国から派生した韓国の歴史もこれら権力が支配を決定してきたため、それは現代的には非常に残酷なものとして評価されている。一般の民が活躍する場はほとんど無かったと言っていいのではないだろうか。日本では2万年程前から土着していた縄文人の中に中国大陸や朝鮮からの亡命者などが入り込んで共存した。縄文時代から弥生時代への変化はおよそ紀元前500年頃から始まっているが、この頃大陸では戦国時代であり、日本への亡命者が多かったと推測される。だが帰化人と縄文人の間に深刻な争いがあったという痕跡はなく、和して大和政権(邪馬台国)が創られたと考えられる(政権や朝廷の中に帰化人もいた)。その後の日本では闘争の歴史が始まり、天皇家もその中から生まれたとされる。縄文時代から現代に至るまで、戦国時代もあったが、概ね和を尊ぶ気風が根付いている。そのため金権主義という明らかなものは記録にも歴史的にもほとんど見られず、それよりも名誉を重んじる気風や上が下を思い遣る気風が強い(豊臣政権は明らかな金権主義に基づいている)。それは天皇を含めた庶民までの階層で読まれた和歌などの文化に表れている。

  一方大陸や朝鮮では権力主義・金権主義が現代にまで続いている。特に共産主義の誤りが明らかになった中国では思想の根拠を個人崇拝金権主義に求めざるを得なくなり、現代では江沢民時代から愛国主義に転換しているが、それもまた出世主義金権主義を土台にしたものとなっている。朝鮮では両班(りゃんばん)という特権階級が富と権力を牛耳り、民を徹底的に搾取した。だが日本が一時的にせよ併合して日本臣民として教育した結果、少なくとも韓国にはその影響が強く残り、戦後独立して民主化が継続されたにも拘らず権力主義は未だ続いているが、金権主義は少し改善されている。それは汚職の程度で測ることができるであろう。だが未だ国家自体が日本からカネを貪るような体質を残し、民衆の間でも慰安婦問題を主導したユン・ミヒャン(尹美香)などは運動資金を流用した。北朝鮮は独裁王朝になって以来、汚職は世界で最もひどい状況になっている。中国では共産主義から修正独裁主義に移行したが、金権主義は継続されていたため汚職が絶えなかった。近年になって習近平が汚職追放を掲げた結果大分減ったには違いないが、権力内部においては権力闘争の具として相変わらず汚職は横行している。

  日本は文化的にも慣習的にも儀礼のための贈答の慣習があるが、不思議と汚職は少なかった。それは日本人の持つ金銭に対する潔癖さという民族性があるからであろう。警察官に対して賄賂を使ったという事件がほとんどないことからもそれは窺える。だがそのような日本人の潔癖さや実直さは、諸外国に比べて日本の若者は覇気がないという傾向に結び付いているのかもしれない。コロナ禍に対しても実に大人しく耐えている。それは決して悪い兆候であるとばかりは言えないだろう。ある意味では人間的にも国家的にも成長から成熟に向かっていると見るべきなのである。その証拠に日本では日常的な範囲では汚職というものがほとんどない。あるのは政治絡みの収賄だけであろう。またデモという抗議活動も左翼の少数グループによるものだけであり、幅広い市民が参加するデモは中国の尖閣諸島における漁船体当たり事件の時だけであった(この時メディアは報道せず、「日本のジャーナリズムが死んだ日」として記録された)。西欧ではコロナ禍で各地で反対運動や過激な騒乱が起きているが、アジアではそのような動きは極めて少ない。特に日本では皆無である。連日テレビでは政府の対応の遅れなどを指摘しているため、世論調査でも政府の対応を評価するはたったの33.6%であり、評価しないの65.6%の半分である。筆者からみると、国も自治体も国民も一体になってそれこそ必死に頑張っていると思うのであるが、テレビなどの否定的・批判的論調に惑わされているのか、その頑張りや感染実態を諸外国と比較しないためであるのか、評価はかなり厳しいものになっている。筆者は何事も確率的・相対的に観るため、日本の状況は良いとも言えないが相対的には良好な方であると観ている。職業別に政府支持率を比較すると、若者である学生が少し飛びぬけて支持率が高い。これは他国とは正反対の驚くべき結果である。若者は冷静に観ていると筆者は思っている。

  日本人が金銭に対して非常につつましやかであり、話題にすること自体が卑しいことと考えているのはとても好ましいことである。余りに行き過ぎて不自然なほどである。たとえば立派な家を建てた人がそのコストを人に話したとすれば、それは直ちに「自慢した」ということになり、その評判はすぐに広がるだろう。「カネの話はできない」、というほどに日本社会は金銭にある種の卑しさを感じる感性を持っている。筆者はそれを「日本型抑圧社会」の為せる業だと考え、決して自然ではないと思っているが、否定するほど悪いことでもない。その位に金銭に対して謹厳さを保っていることは、世の中が落ち着いた成熟さを示していると考えた方が良いのであろう。


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