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【時事評論2021】

民主主義は集団幻想(3038文字)

2021-01-04
  前項で「民主主義は集団幻想」というようなことを書いた。初めて読んだ人は不快感を覚えた方もおられるだろう。それについてもう少し丁寧に説明しておく必要があると考えたので、ここで説明したい。併せて全体主義の優位性・自由主義のイデオロギー性についても述べたい。

  人間は原初猿人であった頃、他の獰猛な肉食獣の脅威に晒されていた。その弱い存在の人間が勢力を伸ばしたのは、大脳による知能を発達させたこと、宗教的祭儀により1つの集団としてまとまることができたこと、が主要因である。知能は武器を生み出し、祭儀は結束を生み出した。小集団による狩猟から始まり、部落集団による抗争があったと思われる。農耕が始まると、部族単位の抗争となり、人間の間に防御・攻撃の必要が生じた。元々生物が持つフロンティア本能はテリトリー拡大へと向かった。武器は発達し、祭儀は宗教へと高度化した。

  人が国家を形成した時点では、そのほとんどが宗教的背景を持っていたと想像される。それは国家をまとめる道具・手段として用いられた。だがマルクス・エンゲルスらによる共産主義思想はこれを否定し、科学的と称するアドホックな経済理論で集団の論理を作り出した。近代から現代に移行するにつれ、一時はこのマルキシズムは勢力を伸ばしたが、宗教的背景と自由主義的イデオロギーを持つ民主国家に経済的競争で負けた。マルキシズムは世界全体が共産化することを前提にしてのみ優位性を保つことができるものであり、経済競争下ではその脆弱性が露わになった(20.9.16「競争はいつ芽生え、何をもたらしたか? 参照」)。そして宗教的まとまりも皆無なため、自ずと滅びることになった。

  そこにマルキシズムを継承しつつ、独自の社会主義を整え始めた中国が勢力を伸ばし始めた。本来ならソ連と同様自滅するはずであったし、毛沢東時代がそのまま続いたならば同じように自滅していたはずである。だが冷戦下の民主国家群(アメリカ・日本)がソ連と対抗させる意味でも、市場獲得という利益追及の意味でも中国を支援したため、中国も鄧小平時代に資本主義を取り入れて近代化への道を歩んだ結果、大成功を収めたのである。だが彼らはマルキシズムが否定した宗教の代わりに愛国主義という団結の源を取り入れた。江沢民時代から始まった愛国主義は習近平時代に入って「中国の復興」という名文ではっきりとした目標が打ち立てられた。

  これは単に国力を伸ばすという意味ではなかった。中華思想を暗に組み入れたものであり、世界の中心を中国としようという帝国主義思想である。それは世界制覇戦略に他ならなかった。もともと5千年の歴史を誇る民族であり、始皇帝という世界初の皇帝を持った国でもあったことから、その戦略は周到かつ長期的なものとなった。代々の指導者はそれを夢見つつ勢力拡張に奮闘したが、習近平の時代にようやくその実現の目途がついた。世界第2位の経済力と16億人の人力を持つようになったからである。中国は広大な国土を持つがそれだけでは膨大な人口を養うことはできない。領土拡張・低利多売・世界への人口分散が必要であった。どれも全てうまくいき、チベット・モンゴルの一部を手に入れ、彼らを低賃金労働者として使おうとしている。されに世界制覇を狙うために一帯一路・他国への資金・医療援助によって繋がりをつけるようになった。

  現代では権威主義・専制国家の数は92ヵ国に達し、民主主義国家は87ヵ国にまで減ったそうである。中国の配下に屈したアフリカ・中南米・ヨーロッパの国々はもっと増えるであろう。権威主義と民主主義の対決は少なくとも人口比では圧倒的に権威主義に傾いた(インドも宗教的権威主義)。なぜなのだろう?と疑問を持つ人はもう一度、人はなぜ結束できるのだろうか、と自問すべきである。人が団結するには、①宗教・②思想(愛国思想を含む)・③偉大な目標(国家復興を含む)・④巨大な利益、のどれかが必要であり、人類愛・国家愛・家族愛ではそれは生まれない。中国は①を持たない代わりに②と③と④を持つ。アメリカは①は貧弱になり支柱になりえず、②は分断され、③を見失っている。もはや④も衰退を辿っている。日本は①を持たず、②も持たず、③も持たず、④は必ずや衰退するであろう。

  本論の「民主主義は集団幻想」ということを説明しよう。そもそも民主主義という概念が生まれたのは、「王」(権力主体の象徴)と「民」の身分制度の矛盾から生まれた。民は貧しく悲哀に満ちた存在であり、王に楯突けば粛清される運命にあった。圧倒的多数の民はその矛盾に気付き、その数を頼みとして革命を起こした。王制は次々に打倒され、民主主義というものが確立された。フランス革命・アメリカ独立がそれを推進させた。そして西欧と称せられる白人社会が科学技術の先端を走ったことで世界の富を独占し、世界から垂涎の眼で崇拝されるようになったのである。戦後の日本も同様であった。そしていつしか西欧流の民主主義が世界標準になり、それは絶対視されるようになった。ソ連を経済で追い込んで崩壊させたのは快挙であった。ベルリンの壁を崩壊させたことに世界は熱狂した。だがこの頃が民主主義の絶頂期であったと回顧することができる。

 民主主義はその根底に国民の自由の概念を持つ。そのため伸長期にはその矛盾は出てこないが、競争期や衰退期に入ると矛盾が露呈してくる。自由主義というものは科学のシステム論には馴染まないからである。それは人間が夢想したイデオロギー(固定観念)である。現代は中国という新興大国と世界の競争期に入っており、民主主義各国で本来持っている矛盾が露わになってきた。アメリカの国論分断・人種差別暴動は典型的なものであり、非常事態宣言が発動される間際まで行った。コロナ対策で一致した行動ができず、世界一の蔓延国になってしまったのも団結が出来ないためである。ヨーロッパも同様であり、衛生的に基本的なことでさえ意見の自由・言論の自由が災いして初期にはマスクさえしなかった。中国が一気に都市封鎖という強硬手段をとることができ、その後に武漢の市民に不満がほとんど見られないことから、全体主義(あいにく権威主義・独裁主義・従来の社会主義も含まれる)の優位性はここに明らかになった。

  結論を急ごう。民主主義は王制への反動から生まれた思想であり、体系を持たないイデオロギーである。この思想が生まれたことで世界は試行錯誤の中から議会制民主主義を生み出し、それを洗練化してきたが、根底に「自由主義」思想があるため、表向きは多数決議決で一致させるものの、国民は決して一枚板にはなれない。それは柔軟性を持つため変幻自在であり、何時でも戦時体制に持っていくことはできる。だが平時に戦時体制を作ることは困難であり、国論の分断を招く。コロナ禍は戦時と同じ体制にしなければならないものであったかもしれず、確かに都市封鎖・外出自粛・営業短縮などの戦時体制を導入したが、中国のようにうまくは行かなかった。それは当然のことであり、自由が団結を妨げているからである。ここで世界は改めて民主主義の矛盾を見直す必要に迫られている。筆者はそれ以上に進んで、民主主義は抑圧されてきた国民が求めた理想・幻想であったと断じる。それには科学的根拠はなく、甘い言葉により人を誘惑する魅力だけがある。次項で追及すべき世界観を提示してみたい。





 
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