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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

台湾

1900年~1949年10月


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  • 1949年10月1日:中華人民共和国・建国/通称「中国」と呼ばれている共産主義に基づく国家が成立した。指導したのは毛沢東である。彼は戦時中、数千万に及ぶ自国民を粛清と飢餓によって殺害したとされる。一方、中華人民共和国が樹立された時点で蒋介石率いる中華民国政府は未だ中国大陸の華南三省と西南部三省の多数の地域を統治していた。だが、中国人民解放軍の攻勢によって同年12月に国民党は進駐中であった台湾に逃れ、人民解放軍は翌1950年5月までに福建省・浙江省の一部島嶼を除く中国大陸と海南島を制圧した。
     
  • 1949年:人民解放軍が成都を包囲、蒋介石は台湾へ/国共内戦の末、中華民国は1949年に政府を中国大陸から台湾島へと移転。
     
  • 1947年2月28日:台湾で二・二八事件が発生
     
  • 1946年6月:国共内戦が再勃発
     
  • 1946年2月3日:通化事件/中国共産党に占領されたかつての満州国通化省通化市で中華民国政府の要請に呼応した日本人の蜂起と、その鎮圧後に行われた中国共産党軍(八路軍)および朝鮮人民義勇軍南満支隊(李紅光支隊、新八路軍)による日本人らに対する虐殺事件。日本人約3000人が虐殺され、その多くが老若男女を問わない一般市民だった
     
  • 1945年8月ー1946年4月:ソ連が条約に違反して駐留/中華民国との中ソ友好同盟条約では3か月以内に統治権の返還と撤兵が行われるはずであったが、実際には翌1946年4月までソ連軍の軍政が続き、撫順市や長春市などには八路軍が進出して中国共産党が人民政府をつくっていた(東北問題)。
     
  • 1945年10月10日:国民党と共産党が双十協定を締結/8月末から重慶において国民政府・?介石と中国共産党・毛沢東・周恩来が国家統一の協議をしてきた結果に基づき、協定が結ばれた。内容は、内戦を避け、独立・自由・富強の新中国を建設すること、政治協商会議を開催して平和的建国の方策を討議することなどであった。この合意に基づき、1946年1月に重慶で政治協商会議が開催されたが、結局国共の対立は解けず、1946年6月に国共内戦に突入することになる。
     
  • 1945年8月14日:中ソ友好同盟条約/中華民国とソビエト連邦の間に締結された条約。ソ連は満州から3か月以内に撤退し、統治権の返還が行われることになった。だがソ連はいつものようにこれを守らなかった。
     
  • 1945年8月14日:日本がポツダム宣言を受諾,全日本軍の無条件降伏/中華民国は台湾にある日本の統治機構を接収し、台湾省として自国の一部に編入した(台湾光復)。
     
  • 1945年7月26日:ポツダム宣言(日本への降伏要求)/米・英・中華民国が、イギリス首相チャーチル・アメリカ合衆国大統領ルーズベルト・中華民国主席蒋介石の名において大日本帝国(日本)に対して13ヶ条からなる宣言が発された正式には「日本への降伏要求の最終宣言」(Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender)である。宣言を発した各国の名をとって、「米英支三国共同宣言」(当時中国は「支那」と呼ばれていた)ともいう。他の枢軸国が降伏した後も交戦を続けていた日本は、1945年8月14日にこの宣言を受諾し、1945年9月2日に調印・即時発効(降伏文書)に至って第二次世界大戦は終結した。ソヴィエト連邦は後から加わり追認したが、宣言からは排除されている。
     
  • 1944年4月17日:日本軍、大陸打通作戦開始
  • 1943年12月1日:米・英・中(支)首脳によるカイロ宣言/11月22日からエジプトのカイロで持たれた米・英・中(支:当時支那と呼ばれていた)、3ヵ国首脳による会談で12月1日、カイロ宣言が出された。米国からはフランクリン・ルーズベルト米大統領・英国からはウィンストン・チャーチル英首相・中国からは蒋介石国民政府主席が出席した。蒋は会談で、ルーズベルトの問いに答え、天皇制の存廃に関しては日本国民自身の決定に委ねるべきだと論じた。会議は米英主導で行われ、日本の降伏と、満州・台湾・澎湖諸島の中華民国への返還朝鮮の自由と独立などに言及した宣言が出された。中華民国の蒋介石は台湾(台湾島・澎湖諸島)を「日本が清から盗取した中華民国に返還すべき地」と定めた。カイロ宣言の対日方針は、その後連合国の基本方針となり、ポツダム宣言に継承された。
  • 1941年:日本軍、真珠湾を攻撃。太平洋戦争(大東亜戦争)勃発
     
  • 1940年:汪兆銘政権成立
     
  • 1937年:南京事件
     
  • 1937年12月13日:日本軍、南京を攻略
     
  • 1937年11月:国民政府、重慶に遷都
     
  • 1937年9月:第二次国共合作
     
  • 1937年8月13日:第二次上海事変/中華民国軍の「日本租界」への攻撃に端を発する日本軍との軍事衝突が起こった。中華民国に駐在していたドイツ軍事顧問団団長ファルケンハウゼンは、「中国の敵は日本が第一、共産党を第二」と考え、1935年10月1日、漢口と上海にある租界の日本軍に対する奇襲を提案し、1936年4月1日、「今こそ対日戦に踏み切るべきだ」と蒋介石に進言し、北海事件後の9月12日には河北の日本軍を攻撃するよう進言した。準備として1936年末頃から、1932年の上海停戦協定に違反して、保安隊と称する中央軍を非武装地帯に侵入させ陣地を構築していた。
     
  • 1937年7月29日:通州事件/本事変の勃発によって北支事変は支那事変へと拡大し日中全面戦争に発展した。
     
  • 1937年7月7日:盧溝橋事件発生、日中戦争へ/中華民国北京(北平)西南方向の盧溝橋で起きた日本軍と中国国民革命軍第二十九軍との衝突事件。当時日本は「北支事変」と呼んだ。この事件後に幾つかの和平交渉が行われたが、日中戦争(支那事変)の発端となったとされる。
     
  • 1936年12月12日:西安事件
     
  • 1936年10月19日:魯迅死去
     
  • 1935年1月15日:遵義会議
     
  • 1934年:中国共産党、瑞金を放棄。長征開始
     
  • 1933年:福建事変で中華共和国が成立
     
  • 1932年2月18日:満州国成立
     
  • 1932年1月28日:第一次上海事変
     
  • 1931年11月7日:中国共産党、瑞金に中華ソビエト共和国の成立を宣言
     
  • 1931年9月18日:満州事変勃発
     
  • 1928年12月29日:張学良が南京国民政府に帰順(易幟)/
     
  • 1928年6月9日:国民政府軍が北京に入城し北伐完了
     
  • 1928年6月4日:張作霖爆殺事件
     
  • 1928年5月3日:済南事件
     
  • 1927年4月18日:南京国民政府成立
     
  • 1927年4月12日:上海クーデターにより国共合作解消
     
  • 1927年ー1937年:一次国共合作
     
  • 1927年:日本、山東出兵開始
     
  • 1926年3月24日:南京事件
     
  • 1926年7月~1928年12月:第三次北伐/3度目となる北伐は、孫文の跡を継いだ蒋介石率いる国民政府が北伐を行った。単に「北伐」と言った場合はこの蒋介石によるものを指す。途中、北伐に呼応して各地で民衆蜂起も起こったが、社会主義への傾斜を恐れた?介石は1927年の上海クーデターで共産党を排除し、再開後は国民党単独で行い、途中日本の山東出兵(北伐軍が北京に迫ると、日本は居留民保護を名目にたびたび干渉し山東出兵を行った)などの妨害もあったが、1928年6月に北京に入城、国民党革命を達成した。
     
  • 1925年3月12日:孫文、死去/癌に冒されていた孫文は遺言を残して死去した。南京に葬られ、その巨大な墓は「中山陵」と呼ばれる。10日に行われた国民党主宰の告別式では国賓として訪問した犬養毅が祭文を朗読している。孫文没後の国民党は混迷し、孫文の片腕だった廖仲愷は暗殺され、孫文の妻の宋慶齢は国民党を去り、蒋介石と汪兆銘は対立、最高顧問ボロディンは解雇されるなどした。以降、蒋介石が権力基盤を拡大する。1923年には「日本の維新は中国革命の原因であり、中国革命は日本の維新の結果であり、両者はもともと一つのつながって東亜の復興を達成する」と発言している。
     
  • 1924年9月~11月:第二次北伐/孫文は1922年の第一次北伐に続いて第二次北伐を行った。
     
  • 1924年1月20日:第一次国共合作/国民党は広東で開催した第一次全国代表大会で、綱領に「連ソ」・「容共」・「扶助工農」の方針を明示し、第一次国共合作が成立した。これは共産党を容認するという戦時戦略であった。陳独秀や毛沢東ら中国共産党員が個人として国民党に加入する党内合作の形式を取った。
     
  • 1922年2月~6月:第一次北伐/孫文率いる中国国民党による広東政府や国民革命軍が、北京政府・北洋軍閥を打倒して全国の統一を目指した戦争を指す。孫文は第二次北伐(1924年9月~11月)も行い、その後蒋介石による第三次北伐(1926年7月~1928年12月)も行われた。
     
  •  1921年7月23日:毛沢東らにより中国共産党結成/陳独秀・毛沢東らにより中国共産党結成。

     
  • 1921年:外モンゴルが独立、モンゴル人民共和国へ

     
  • 1919年5月4日:五四運動

     
  • 1919年10月10日:10月10日:孫文、中国国民党を結成
     
  • 1917年:府院の争い
     
  • 1916年6月6日:袁世凱死去、黎元洪が総統に
     
  •  1915年9月15日:陳独秀、『新青年』を刊行
     
  • 1915年1月18日:日本、袁世凱政権に21ヶ条の要求
     
  • 1914年:第一次世界大戦勃発
     
  • 1912年:宣統帝が退位し袁世凱が第二代臨時大総統に就任/北京政府成立し、清朝滅亡。
     
  • 1912年1月1日:中華民国が成立、孫文が臨時大総統就任/臨時首都は南京。
     
  • 1911年10月10日:辛亥革命勃発/清は瓦解へ。
     
  • 1908年:宣統帝即位
     
  • 1904年2月8日-1905年9月5日: 日露戦争朝鮮半島と満州の権益をめぐる争いが原因となって引き起こされ、満州南部と遼東半島がおもな戦場となったほか、日本近海でも大規模な艦隊戦が繰り広げられた。最終的に両国はアメリカ合衆国の仲介の下で調印されたポーツマス条約により講和した。

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