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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

*006「連邦形成の可能性」(10444字)

(註)参照は本HPで公開した論文の場合は(*〇〇〇「・・・」)の形で番号とタイトル名を示します。現在執筆を続けている本論文の場合は(№〇〇〇「・・・」)の形で、雑論文の場合は(記〇〇〇「・・・」)の形で示します。ただし本HPの公開論文以外はまだ公開できません。
 
*006.「世界連邦形成の可能性」(2014.6.5起筆・20.4.16終筆/10444文字)   (完)
 
  世界連邦ないしは世界政府という概念が生まれたのはかなり以前からであると思われ、14世紀初頭に有名な『神曲』を書いたイタリアの詩人ダンテ・アリギエーリ(1265–1321)は、その著『帝政論』の中で、唯一の君主による世界国家論を説いており、また17世紀初頭のフランス王アンリ4世(1553-1610)は「アンリ4世の大計画」として知られる案を提案しており、これはヨーロッパのキリスト教国15ヵ国による連合組織を作って平和と安全を保持しようとするものであった。そしてその後も、ヨーロッパでは、例えば、シャルル・サン=ピエールの『永久平和論』(1713)、インマヌエル・カント(1724-1804)の自由な国家の連合構想などが展開された。カントは「国際連盟」結成のための思想的基盤を用意したとしばしば考えられている。『永遠平和のために』(1795)では、当時の中国や江戸日本の鎖国政策が、世界市民法の観点から評価されている。だがその多くは思想的・哲学的な抽象論に終始し、実現の基盤を欠いている上に方法論は示されていない。しかも当時の世界観は西ヨーロッパを中心としており、普遍性も無かった。一方、日本では明治維新後に芽生えた、福沢諭吉(1834-1901)・中江兆民(1847-1901)・小野梓(1852-1886)・植木枝盛(1857-1892)といった自由民権論者の思想に世界連邦の思想を汲み取ることができるが、これらも西欧の思想の影響を直接的に受けており、独創的なものとは言えない。

  オーストリア貴族出身のクーデンホーフ=カレルギー(1894-1972)は奇しくも日本(東京)生まれで日本名を青山栄次郎というが、1919年に地球儀を見ながら世界のブロック化という構想を思いついた。これは後に汎ヨーロッパ運動に繋がり、EU実現の基礎を築いた。具体的な運動が始まったのは第二次世界大戦後(1945年)であり、1946年10月、ルクセンブルクで「世界連邦政府のための世界運動」を起こし、この運動にはバートランド・ラッセル(1872-1970)、ウィンストン・チャーチル(1874-1965)、アルベルト・シュヴァイツァー(1875-1965)、アルベルト・アインシュタイン(1879-1955)、湯川秀樹(1907-1981)などのノーベル賞受賞者らが賛同し、世界連邦建設同盟(World Federation Movement)の本部をジュネーヴにおいた。
 
  その規約の第2条に「各国家の主権の一部を世界連邦政府に委譲する」という一文がある。アメリカを中心としてWFM-IGP(World Federalist Movement-Institute for Global Policy)が1947年に結成され、2017年現在80ヵ国に支部を持つが、日本でも世界連邦運動協会(WFM・JAPAN)として1948年に尾崎行雄(1858-1954)、賀川豊彦(1888-1960)らによって結成された。だがこれらは自由民権運動の延長線上にある思想を基盤としており、イデオロギーの域を出ないものとなっている。だが一時的にせよ世界的な広がりを見せたことは歴史に刻むべきことである。それは原爆という大量破壊兵器が初めて使われたことが大きく影響している。その運動の範囲も西ヨーロッパやアメリカに限定されておらず、また、それは初めて単なる思想の域を超えて、一般民衆をも含めた一つの実践運動ともなったのである。特に初期の段階で、この運動の発展に大きな影響を与えたものに、大戦末期(1945年6月)にアメリカで出版されたエメリー・リーブス『平和の解剖』(邦訳=稲垣守克・毎日新聞社)という本がある。それは日本語も含めて25ヵ国において20の言語で出版されて、世界連邦思想の普及に画期的な役割を与えた。この本で著者は経験的な歴史法則として、戦争の発生と戦争終了の法則を極めて明快に指摘し、この地球上から戦争をなくすためには、「分裂しあい闘争する民族主権を、一つの統一された、より高次の主権のもとに統合することが必要」であると述べた
   リーブスは、「社会単位を形成する人間集団間の戦争は、これらの社会集団、つまり、部族・王朝・教会・都市・民族が無制限の主権を行使したとき常に発生する。これらの社会集団間の戦争は、主権がより大きな、より高次の単位に移されたときに終わる。しかし、それによってたとえ平和がもたらされても、新しい主権単位が残存すれば、また戦争が始まる」と述べた。

  アルバート・アインシュタインや湯川秀樹など世界的に著名な科学者たちは、核戦争による人類全滅を避けるために、他のいかなることにも優先して、国連の改革、強化による世界連邦の樹立を断行すべきだと力強く訴えた。各国の熱心な世界連邦主義者達は、1946年にルクセンブルグに集まって、「世界連邦運動」(WFM)の前身である「世界政府のための世界運動」(WMWFG)を組織し、その第一回大会を、翌47年、スイスのモントルーで開いた。23ヵ国から51の団体代表が集まり、いわゆる「モントルー宣言」を発表し、世界連邦の6原則を明らかにしたのである。
 
 1)全世界の諸国、諸民族を全部加盟させる
 2)世界的に共通な問題については、各国家の主権の一部を世界連邦政府に委譲する。
 3)世界連邦法は「国家」に対してではなく、1人1人の「個人」を対象として適用される。
 4)各国の軍備は全廃し、世界警察軍を設置する。
 5)原子力は世界連邦政府のみが所有し、管理する。
 6)世界連邦の経費は各国政府の供出ではなく、個人からの税金でまかなう。
 
  1948年にはシカゴ大学総長ロバート・ハッチスン博士が主導する12名の法律、政治、歴史学者から成る「世界憲法起草委員会」が、2年半の調査を経て「世界憲法案」を発表した(№641「世界憲法素案」参照)。この47ヶ条から成る案によると、100万人に1人の人民代表によって世界議会を構成し、行政・司法の各部門を設け、世界法を制定し、世界大統領を選挙して、世界を統治するという内容になっている。
 
  これまでに世界連邦というアイデアを提示してきた偉人らを羅列してみよう。
 1.中江兆民(1847-1901):日本の思想家・ジャーナリスト・政治家・フランスの思想家
    ジャン=ジャック・ルソーを日本へ紹介して自由民権運動の理論的指導者となった
    (東洋のルソーと評される)
 2.植木枝盛(えもり)(1857-1892):日本の思想家・政治家・自由民権運動の理論的指導者・
   「アジア主義」を掲げる
 3.尾崎行雄(1858-1954):日本の政治家・世界連邦建設同盟(現、「世界連邦運動協会」)
   初代会長
   「世界の廃藩置県なくして、人類の平和はない」
 4.バートランド・ラッセル(1872-1970):イギリスの哲学者・ノーベル文学賞
   「われわれがもし生存しつづけようとするなら、大戦争を恒久的に阻止する機関をつくることが
   至上命令である。そしてそのような機関になリ得る唯一のものは世界連邦政府である」
 5.ウィンストン・チャーチル(1874-1965):イギリスの政治家・軍人・作家
 6.アルベルト・シュバイツァー(1875-1965):ドイツの神学者・哲学者・医者・オルガニスト・
   音楽学者
 7.アルベルト・アインシュタイン(1879-1955):ドイツ(後にアメリカに亡命)の物理学者・
   ノーベル物理学賞
   「私が世界政府を擁護するのは、今まで人間が遭遇した最も恐るべき危険を除去する方法が
   他にはあリ得ないからである。人類の全体的破滅を避けようという目標は、他のいかなる目標にも
   優位しなければならない」
 8.東久邇稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)(1887-1990):日本の旧皇族・陸軍軍人・終戦直後首相。
   1948年に、尾崎行雄・賀川豊彦・下中弥三郎・湯川秀樹と共に「世界連邦建設同盟」
   (現在の世界連邦運動協会)を創設
 9.賀川豊彦(1888-1960):協同組合の父・キリスト教社会運動家・桜美林学園創設者。
   晩年は世界連邦運動に取り組み、1947・1948年のノーベル文学賞候補、1954・1955・1956年に
   3年連続でノーベル平和賞候補
 10.松岡駒吉(1888-1958):日本の政治家・労働運動家・第39代衆議院議長・
    世界連邦日本国会委員会初代会長
 11.アーノルド・J・トインビー(1889-1975):イギリスの歴史学者・『歴史の研究』
    (1934-1961)著者
   「できるだけ遠い未来を考えて人生を生きなさい」
 12.湯川秀樹(1907-1981):日本の物理学者
   「世界連邦は昨日の夢であり、明日の現実である。今日は明日への一歩である」
 
  これらの思想の系譜を筆者は調べようとも思わない。それは上記したように、これらが自由民権運動の延長線上の思想だからである。そこには科学的根拠も検討もなく、理念や言葉の遊びと化している観がある。また多くの政治家が名目上この思想を支持している観がある。そして最も懸念することは、21世紀に入って世界連邦思想が絶えてしまったように見えることである。そのため市井人として筆者ノムはこれらの欠陥を完全に補うために「ノム思想」を提示した(№190「ノム思想」参照。これは従来の民主主義・帝国主義・共産主義・自由主義・自由民権主義・一国平和主義、等々を完全に否定し、人間の本能の相克を克服するという思考の原点から出発して世界観をまとめ上げたものである。そこには科学的法則や原理が検証されており、思考・推論の原則が確認されている。すなわちノム思想は従来の固定概念化したイデオロギーではなく、思考方法の原則を述べたものである。それによって科学的に導かれた結論は、自然システムと人間による人工システムの相克が地球の気象条件を従来の安定から不安定に全く変えるというものであった。言葉を換えれば、人の知的本能と生物本能の相克からもたらされた矛盾が、世界に破局をもたらすということもできる。いずれにしても人類は自らの傲慢さによって一旦は破局に導かれ、その後の対処の仕方次第で生存の可否が決まるだろうと言う予測が成り立つのである。

  ノム思想はそのために準備された思想であり、世界が連邦という形で統一されるために不可欠な思想を事前に提供する意図で編み出された。それが提示する未来世界についてはそれぞれの別項で述べているが、本項では連邦が形成可能なのか、その形成過程はどうなのか、実現した場合の世界はどう変わるのか、について検証していこうと思う。
 
  まず連邦という組織の可能性について検証してみよう。それには2つの側面がある。1つ目は科学的必然性から出てくる歴史の進化過程として妥当かどうか、2つ目は現実として可能かどうか、である。
 
  最初に科学的視点から検討してみよう。人間界の歴史をマクロ的に捉えると、①人口の増加・②生息範囲の拡大・③組織の拡大の3点に絞った視点から考えることができる。
 
  ①の人口の増加は人類が持つ知能によって可能になった。人類が氷河期に最低人口を数えたときでもおよそ1万人だったのではないかと考えられている。その後は一時期ペスト・インフルエンザのパンデミック(世界的大流行)・世界戦争により減ったことはあったにせよ、現在のおよそ75億人を数えるまで増加の一途を辿った。特に爆発的に増加し始めたのは産業革命からであり、それは人力・動物力の限界を超えて動力がもたらされ、化石燃料の使用によって高度な文明社会を築くことができ、さらに科学の進歩によって多くの革新的技術が編み出されたことによる。特に食糧生産に機械・化学肥料が用いられ、それに適した品種改良が行われたことが人口増加を支えた。
 
  ②の生息範囲の拡大については、人類がアフリカにホモサピエンスとして誕生し、その後世界各地に広がっていったと考えられており、現生人のDNAを解析してみても人種間の違いはごくわずかであることからボトルネック(1万人程度の規模から人口増殖があった)があったことが証明されている。その拡大範囲には限界というものがなく、北極圏や南極圏にまで広がった。いまや人が住まないところは極地と砂漠、そして原生林くらいしかないとさえ言われている。それを可能にしたのは着衣・衣服の縫製・住居の建設であり、農耕の開始であった。
 
  ③組織の拡大については、家族→集落→部族→王族→国家という流れを経て拡大してきていることは明らかであり、それはさらに進化して世界国家(連邦)へと進むことは科学的推論からして必然である。昔はこれを弁証法とかいう詭弁で社会主義者が論じたが、現代ではシミュレーションというコンピューターを用いた手法で証明することができる。筆者はこれを自己組織化理論を適用して解釈する(№127「自己組織化と自己崩壊化」参照)。すなわち、組織というものはあるルールの下に拡大する性質をもっており、そのルールが適用できる限界まで拡大する、と考える。現代のイデオロギー(民主主義・自由主義・平等主義等)というルールの下ではまだその限界は見えないが、その前に地球環境が破壊されてしまうことにより、必然的に崩壊化に向かう。つまり人類爆縮・動物爆縮(劇的減少)か、あるいは絶滅すら予想される。その際に生き残るのは植物と原始的動物であり、高等動物のほとんどは絶滅するであろう。だが人間は知能を持つため、これを乗り越えられる可能性がある。すなわち②で見たように、どのような環境にでも適応することのできる技術をもつために、乗り越えの可能性を否定することはできない。
 
  このような考察からは近い将来に人類が絶滅の危機に晒されることが示唆される。筆者はそれを確信しており、2020年近辺にそれが起こるとおよそ35年前に予言してきたが、もう既にその年がやってきてしまった。今年はそれが起こるか前兆が始まるかのどちらかであろう。大災厄は2つの側面から予想される。1つは人間が原因の核戦争、もう1つは環境破壊による二酸化炭素による窒息死である。前者はすぐにでも起こる可能性があるものであり、後者はおよそ60年後に予想される。いずれにしても人類史からみても生物史からみても直近に起こることと見做される。大災厄の経過については別項にまとめたのでそちらを参照してもらうことにし、本項では大災厄の中から世界を統一しようという機運が現れるか、またそれが現実に可能かどうかを検討していく(№831「最終戦争(第三次世界大戦)の経緯」参照)。上記3項目のうち3番目の考察が最も重要であり、世界連邦が必然過程の結果として誕生することを予見させるであろう。
 
  だが現実にそれが可能かどうかは今度はミクロ視点から検討しなければならない。筆者は人間の特異性が知能によって生まれたことを主張してきた。その特異性が自らを滅ぼそうとしているのである。知能は決してまだ叡智に達しておらず、単なる能力の一つとして人間はこれを弄んできた。それは世界の動物を配下に置く支配者としての地位を獲得させた。だがそれによって動物は大絶滅をしていくことになり、地球の生態系も破壊される運命となった。つまり人間の知能はまだ幼稚なレベルであったのである。これをコントロールできるようになって初めて人類は叡智を獲得したと言えるだろう。

  知能の中の何をコントロールすべきなのか、それが問われることになる。筆者は、①好奇心・②欲望に焦点を当てたい。好奇心はそれがもたらした発明・発見・技術の価値を人間が過大に評価したため、科学的なものも含めて誰もこれをコントロールしようとは思わなくなった。すなわち無制限な技術の乱用が今日の公害・環境破壊をもたらしたのである。もし人間に叡智があるならば、まず生活圏である地球の許容環境容量(資源・廃棄物)を計算し、その範囲内で技術を適用するように世界に告知し、強制したであろう。だが人間はそのようなシステムを創ることに失敗した。結果は欲望に従って無放縦に資源(化石燃料・鉱物)を浪費し、廃棄物(二酸化炭素・プラスチック)を地球全域にばら撒いてしまった

  各国は理性と科学的知識に基づいてこれらをコントロールしてきたつもりであろう。だがそれが効果がなければお題目は何の意味もない。そして現在の規制に科学的根拠があるとは筆者は思っていないし、そもそもその算定に重大な誤りがあると考えている。まして国際法に従わない、あるいは抜け道というものがある限り、人間は欲望に従って違法なことは何でもやるであろう。国連も各国も最も重要な要点を後に置き、まず各国・各人の要求(経済発展)を前提に対策を練っている。これは人間の欲望が制御できていない最たる証拠である。
 
  ノムの描く未来社会ではまず強制的に、段階を追って人間生活を現代文明から未来文明へと移行させるであろう。それが可能なのは強力な武力を背景にした強権的権力であり、それを世界民が支持するためには人々から尊崇される賢人が指導者に立たなければならない。そうすればこれまでの歴史において独裁国家が長期安定してきたように、人々は強権的命令に従うであろう。独裁国家は武力と弾圧によってそれを成し遂げ、最後に民衆の反動によって崩壊した。だが未来世界は人々が選出・選抜したエリートが指導するため、基本的に民衆の反動というものは最小限に抑えられる。

  未来世界では人間自身が知能的進化を遂げていく。すなわち善なる思考が最たる価値を持つようになるため、人々はそれに適応して善なる思考を身に付けることにより、知能的に叡智に近づいていくのである。これは一種の洗脳によるものであって、また幻想を与えるということにも繋がるが、それが世界を安定させて一致させるものであれば、その幻想は善なるものとなる。そしていつしか人間は、自身の欲から解放されて人々に尽くすことに生き甲斐を感じるようになるだろう。また社会もそれを最大限に評価することで徳の向上を図ることになる。

  このような手法による人間の欲望のコントロールは決して夢想的なものではない。幻想を現実にすることは思うほど難しいことではない。それは歴史を詳細に比較すればそのような事例をいくつも見出すことができるからである。現代の我々も民主主義という幻想を持たされている。それが如何に不自然な理念的・イデオロギー的なものであったとしても誰も疑問にも思わないのと同じである。
 
  第1目標は地球における人間の生存環境を守り、維持することである。地球のためではない。人間自身のために行うのである。地球を守ろうという考え方はあくまでも人間中心の考え方であって、それは善なる動機に基づいてはいるが、本能に反しているため破綻する。人間にとって益になることであればそれは人間自身から求めることになる(№233「地球主義」参照)。一見矛盾するようであるが、地球を優先的に考えることが、結果として人間自身を救うことに繋がる。人間がいない世界ならば地球がどうなろうと我々の関知することではない。

  第2目標人々が生き甲斐を持って生きることのできる人間界を創ることである。人間は知能を持つため、その知的好奇心を満足させる人間界を創る必要がある。だがそれが地球の環境を変えてしまうようなものであってはならない。この二律背反する問題を解決できるかどうかが人間の叡智に掛かっているのである。
 
  究極的にはこの2つの目標が達成できればよい。そしてその実現のためには世界が統一されることが絶対要件となる。それは全ての人間に対して強制力を持たせるためである。そうしないと人間は自分だけでは自己改造ができない。人間は世界と一体になることによって自己実現が可能になり、集団幻想(かつては宗教がその役割を果たしたが、未来ではユートピア思想がそれに代わるであろう)が実現することになる(№386「ユートピアとディストピア」参照)
 
  以上の論考により世界連邦というものが決して夢想的なものではなく、現実に実現可能だということが少し見えてきたであろう。だがその内容が人々に支持されなければ、その実現も見通せないだけでなく、その安定性も保証されない。以下ではその内容に触れていこう。
 
  統一された世界では単一の権威と単一の武力が必要となる(№689「権威論(権威主義)」・№830「武力」参照)だがそれでも人間の競争心によって特定の地域から謀反が惹き起こされるだろう(№093「動物の生存競争とヒトの競争心」参照)。そのときにはまず政治的解決を目指すが、それが不可能と判断された場合はその地域を封鎖して謀反を非破壊的に消滅させ、かつ謀反の心を持つ個々の人間を裁判にかけなければならない。改修が不可能な場合には人間社会から追放することになる(№197「こころ・気持ち・心理」・№452「2:6:2の法則(働きアリの法則)」・№811「社会放逐(追放)」参照)

  謀反を非破壊的に消滅させる方法はいくつか考えられる。その一つを事例として挙げよう。まず該当地域を含む国家の言論情報を集め、謀反がどの程度の広がりをみせているかを分析し、扇動している国家指導者・マスコミがないかどうかを判断する。これは事後に裁きの対象になり得る。謀反地域を特定し、その地域を警察・連邦軍が包囲する。前線に自国警察が布陣することが肝要である。警察網を潜り抜けた人間に対しては発砲・射殺を含む措置が採られる。誰もこの包囲網を潜り抜けようとは考えないであろう。包囲が完了したらビラを上空から撒く。これには、①連邦に恭順を示す人は自分の意志で包囲地域から脱出して警察に出頭し、思想検査を受けること(№305「自由と規制」・№333「自由主義の破綻」参照)。②思想検査に合格した者は再度自宅に戻ったときに褒賞(謀反者の財産の分与)が貰える(№898「叙勲・表彰・褒章・勲章・位階・階級」参照。③期限(およそ1ヵ月)までに脱出しなかった場合には謀反者共々麻酔ガスにより捕縛され、特別な理由が無い限り社会から放逐する、という3点が書かれる(№811「社会放逐(追放)」参照)。ビラの存在を知らなかったという言い訳は通用しない。義務教育の段階からそのような段階的措置については教えられているからであり、近所とのコミュニケーションがあればビラのことは知ることができるはずだからである。ほとんどの人は生死に係る事態に尻込みして謀反から遠ざかろうとするだろうし、謀反者(特に扇動者)を当局に突き出すこともするだろう(№456「密偵・密告・通報・指摘・内部告発」参照)

  このような強権的支配を人間に任せると邪心を生む種となるため、連邦政府の最終判断はAIと賢人集団(各国から人口に合わせた人数を選出)に委ねるべきであろう(№035「人工知能(AI)」・№478「賢人とは?」参照)。判断が下されるまでの過程では各国において自由な発言・主張が許されるが、判断が決定されたならば異論は許されない(№305「自由と規制」・№503「表現の自由」・№842「報道の自由」参照)。もし決定後に異論によって妨害を図るならば、異論者を社会の承認の下(国民投票等)に社会から排除することも辞さないであろう(№811「社会放逐(追放)」参照)。ただこれは善なる改善策の提案を阻止することに使われてはならない。それは独裁専制と同じになってしまうからである。
連邦が支配する世界の描像については別項に細かく分けて詳細に述べているので、それらを参照してもらいたいが、基本的な仕組みだけをここに概説する(№120「未来世界の想像図」参照)

1.市民は義務を果たして権利を得る。基本的人権というものは存在しない(№504「義務と権利と責任」
  参照)。
2.世界の市民は登録制により管理され、人格点によって得る権利が異なる(№378「情報化社会と市民
  ナンバー制」参照)。
3.市民は賢人を養成・選抜することで賢人に運命を委ねる(№358「衆愚政治と賢人政治」・№478
  「賢人とは?」参照)。
4.市民は決定権を持たず、評価権を持つ。それによって間接民主主義を実現する(№515「評価主義」
  参照)。
5.市民はあらゆる事象に評価権を持ち、それによって直接民主主義を実現する(№710「直接民主主義」
  参照)。
6.市民は思想の自由を持つが、それが行動になったときには責任を負う(№415「思想の自由」参照)。
7.賢人は人格・人徳・実績・能力によって選抜され、社会のあらゆる分野の指導者となる(№881
  「指導者・リーダー」参照)。
8.未来社会は四権分立(立法・司法・行政・市民評価)の考え方に立つが、最終的には政府
  (各国政府・連邦政府)が決定権を持つ(№609「四権分立」参照)。
9.未来社会は法律主義に道理主義を加えてその不備を補う(№185「法律主義と道理主義」
  参照)。
10.判断・判定・裁定にAIを多用するが、最終的判断は人間による。責任を取るのは人間である
  (№035「人工知能(AI)」参照)。
11.連邦は軍事を独占し、国家は警察を保有。だが市民は部分自治を許される(№409「自治組織」
  参照)。
12.連邦は連邦憲法によって制限を受けるが、その権限の範囲内で強制権を持つ(№641
  「世界憲法素案」参照)。
 
  未来世界の目標人類の長期安定生存と人間の生き甲斐創造である。その両方を求めるというのは至難の業のように思えるが、決してそういうことはない。人間自身が知的に進化して動物的欲望(生存本能・生殖本能)を知的本能(理性と道徳性)が上回ることにより、自然と調和を目指す方向に移行していくであろう。それには数百年以上掛かると予想されるが、現代の変化速度を考えると、意外にそれは早く達成できるかもしれない。戦後日本がアメリカの洗脳教育により平和ボケするのにそれほど長い時間は必要無かった(まだ競争下にある現代ではそれは好ましいとは言えない)。今では母国が滅びるかもしれないという事態になっても、他国と戦おうという日本人は極めて少ない。それは現代では悲劇であるが、未来世界では素晴らしい人間性の向上と評価されることになる。

  世界の人々は安定した政治状況の中で粛々と生活を築き、自己を社会に同化させていくであろう。そして未来世界では人間は社会と自然に貢献する存在としてその価値が定められるであろう。それは人格点という指標が確立されることで、世界的価値として尊重されていくことになる(№507「人格点制度(国家格・組織格)」参照)。   (完)
 
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