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【時事評論2020】

武士道精神とは何か?(20.9.8追記)

2020-09-01
  これまでの記事の中に「武士道」という言葉を何回か使ってきた。これの意味をはっきりさせておいた方が良いだろうと考え、今回はこのテーマを取り上げてみた。一般的に使われている意味とそれほど違いはないと自分では思っているが、人によって解釈がそれぞれであると思うので、ノム的視点から武士道を解釈してみたい。
 
  武士道というものの歴史を辿り始めるとそれだけで1冊の本になってしまいそうなので、歴史的考察は省いて、筆者なりの理解で再解釈してみたい。その要点は以下に示すようなものであると思っている。
 
1.自己放棄:自分の利益を求めない精神のことを指す。これは2.と直接結びついている。忠義のためには死を厭わない精神でもある。「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉と相通じる。世界で「追い腹」(主君の死を悼んで切腹すること)をするのは日本だけである。
 
2.お家第一:江戸時代の幕藩体制では「藩」と呼ばれたものが「御家」に相当する。現代では国家に相当するであろう。未来世界で言えば連邦を第一に考える精神を指す。
 
3.忠臣忠孝:主君に対する忠誠を尽くし、親に対する義務と奉仕の精神を指す。現代で言えば国家に対する忠誠と両親に対する慈愛、未来世界で言えば連邦に対する忠誠を第一とする精神と、やはり両親に対する慈愛の心を指す。日本では親の面倒を看るために仕事をさえ辞める人がいる。
 
4.潔さ:自分の不利を顧みず、大義のために意を決する態度。
 
5.清貧:武士は決して豊かではなかった。豪奢なことを嫌った。だが矜持を強く持っていた。
 
6.誇りと責任感:武士であることの誇りは非常に強かったとともに、責任感もまた強かった。
 
7.分をわきまえる:自分の「分」というものを知っていた。現代では店の店員の接客態度にそれが表れている。
 
8.他者への配慮:1.に通じることだが、自分よりも他者を優先したり、配慮する。譲り合いの精神も同じことである。
 
9.頑なに規則を守る:時には合理的でなくなるほど規則に従順である。贈り物を断ることもある。日本では賄賂は極めて少ない。遠慮深いということにもつながっている。
 
10.謙虚さ:日本人は非常に謙虚であり、それは昔からのことである。自分の地位や裕福さを誇ったり自慢することはまずない。それをすること恥を覚えるからである。だが余りに謙虚なために、相手に対して失礼になることを恐れすぎる。
 
11.恥を最も嫌う:武士は誇り高いだけに恥を最も嫌う。恥になるようなことは決してしたくないという矜持を持っている。
 
  他にもいろいろとあると思われるが、武士が必ずしも武士道精神を持っていたわけではないと考えている。恐らく実態としては半分くらいの武士が以上に書いたような心構えを持っていたと考えられる。だがそれだけの割合の人々が以上のような心構えを持っていれば、その集団としての藩(現代で言えば国家、未来で言えば連邦)は極めて強力な集合体であるということになる。日本が明治維新をやり遂げられたのも、下級武士らが大義のために戦ったからであり、一種のエリート集団による革命だったと言えよう。彼らには私利私欲が見られない
 
  現代では江戸時代の武士に相当するのは役人・官僚・政治家であろうか。だが彼らが以上に述べた心構えを持っているとはとても考えられない。日本はその意味で国民性が極めて脆弱となっている。だがそれがコロナ禍ではそれほど問題にはならなかった。それどころか、日本人は未だ武士道精神の片割れを維持しているため、少なくとも国家的危機において団結力を発揮した。「自粛」とお上(政府)が言えば誰もがそれに従い、従わなかったのは朝鮮系のパチンコ店くらいなものであった。マスク着用令が出たわけでもないのに、誰もがマスクを着用した。筆者も必要がないと考える外での活動(雑草取り)ではしないが、店に行くときにはマスクをする。していなくても誰も注意しないが、それでも自主的に着用するのである。こんな国民は世界を見ても日本しかない。麻生さんが漏らしたように、「民度」が世界一なのである。それは全て江戸時代から続く武士道精神からの流れから来ている。
 
  だが江戸時代の庶民が皆武士道精神を持っていたかどうかは分からない。少なくとも文献などに書かれた記録を頼りに、昔の日本人の生活振りや行動を想像すると、現代とは行動様式はまるっきり異なっていたと思われるのに、そこに通奏低音のように流れている精神はそれほど変わっていないように見受けられるのである。その精神は皇室から庶民に至るまで浸透しており、それを山本七平は「日本教」と呼んだ。だが筆者はむしろ日本精神大和魂、と呼んだ方がしっくり来る。外国で行われたスポーツの試合の後、観客席を掃除した日本人がいた。それを見てびっくりした外国人がニュースにした。その日本精神は選手の控室の掃除にまで伝染した。オリンピック誘致のアピールのために滝川クリステルが「二ホンでは落とした財布が戻ります」というようなことを言ったそうだが、それもまた世界をびっくりさせた。日本では当たり前のことが外国では異常なことなのである。だがどちらが好ましいかと問われれば、世界の誰もが日本の方がいいと答えるに違いない。そのようなこともあって、日本に一度来た人は、今度は観光地ではない日本の独特の文化を見たくてリピーターになることが多いという。残念ながらコロナ禍で観光大国のビジョンは崩れてしまったが、間もなくそれは復活するだろう。日本には来るだけの価値があるからである。
 
  日本人には当たり前のことが外国人には驚きであることはしばしば見受けられる。ある高齢の中国人女性は日本に悪いイメージを持っていた。だが彼女が孫にせびられてユニバーサルスタジオジャパンに同行した時に受けた日本の印象は彼女が持っていたイメージとは全く異なるものであった。一番感動したのは奈良の鹿を見に行ったときに、後から来たタクシーが孫の飛び出しを警戒して風鈴を窓から出して鳴らしてくれたことだったと言う。これは日本人でも驚く配慮であるが、それ以来日本の全てが好きになったという。店員が膝を突いて対応したのにも驚いた。彼女は帰国の際、ガイドに「私は以前は日本が嫌いだったの。親の世代の記憶から良くない印象を持っていたわ。だけど今回の日本旅行で印象がすっかり変わった。日本人は想像していた人たちとまるで違ったわ。謙虚で一生懸命働く人たちね」と言ったという。中国人のガイドもその言葉に感動した。
 
  先日、街中にある林檎の木からまだ青いリンゴを盗ろうとしている外人の若者を怒鳴って諭したことがある。家内も見つけたことから外人にとっては常習的行為である。アジア系(国は分かっているが言わない)の男女であり、女であっても盗むのは平気である。つい30年ほど前までは、街中でもモノが盗まれるということはほとんど無かった。だが最近はリンゴは赤くなるまでに全て無くなる(200個ほど)。木の上の方のものでも見事に無くなる。5年以上前にはそのようなことは無かった。下の方のリンゴは無くなったが、上の方のリンゴは残っていた。筆者は若い学生らしい2人(国立大学の留学生のようである)に諭した。「日本では人のモノ、公共のモノを盗むのは犯罪なんだよ」・・と。どこの国でもそうであるはずであるが、アメリカでさえ盗難はしょっちゅうある。事実筆者は40年ほど前のアメリカで、鍵を掛けた車の中に置いておいたカメラを盗まれた。日本ではそのような心配はかつてはほとんど無かった。法律はどこの国でも同じであろうが、モラルが外国では守られない。そこで、日本独特の精神文化があることを改めて発見するのである。それを筆者は武士道精神と呼んでいる。日本人の律義さ・真面目さ・勤勉さ・無欲・親切心・もてなしの心などは全て江戸時代から引き継がれてきたものであり、それをもっと日本人は誇りに思うべきだろう。
 
   最後に現代にサムライ精神を伝えていると言われる会津剣道と、その中で教えられる会津藩の「什の掟」を紹介しておこう。会津は幕末に尊王攘夷派の筆頭であったが、新政府軍によって滅ぼされた。だがその精神はいまだに残っており、小学校でも教えられる。会津藩の藩校では「什の掟」が伝統的に伝えられてきた(現代訳)。
  一 年長者の言うことに背いてはなりませぬ
  二 年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
  三 嘘言を言うことはなりませぬ
  四 卑怯な振舞をしてはなりませぬ
  五 弱い者をいじめてはなりませぬ
  六 戸外で物を食べてはなりませぬ
  七 戸外で婦人と言葉を交わしてはなりませぬ
  ならぬことはならぬものです(してはいけないことはしてはならない)
 
  この「什」の意味は、同じ町に住む六歳から九歳までの藩士の子供たちは、十人前後で集まりをつくっていたことから、これを会津藩では「什 (じゅう)」と呼んでいたことに由来する。掟が10あるという意味ではない。現代では六・七は時代に合わなくなっているが、他は現代にも通用する掟であると言えるだろう。日本人が「嘘」や「卑怯」を嫌うのは、会津藩のこの掟にもよく表れている。

 
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