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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2020】

『ダウントンアビー』に見る時代の変遷

2020-08-30
  昨日、NHKが放映した2回目のシリーズ『ダウントンアビー』の最終回が終わった。英国の製作であるが資本はアメリカがかなり出しているらしい。副題が『華麗なる英国貴族の館』とあるように、20世紀初頭から前半にかけての英国伯爵貴族の一家の物語であるが、実に見事なのは登場する執事から召使らの一人一人のストーリーをも描いており、正に屋敷全体の物語としていることである。時代背景もかなり忠実に再現しており、何よりもその脚本(ジュリアン・フェロー)の素晴らしさと俳優の演技が絶妙である。ストーリーであると分かっていながら思わず引き込まれ、まるで観客も家族らの一員になったかのような思いにさせられる。20世紀を含めても史上最高のドラマであると称賛したい。だがこの物語から教わることも多かった。それは時代の移り変わりに人が翻弄されながらも、適応していくという人間の力強さである。
 
  このドラマは世界中でテレビ放映されたようだが、特にイギリスとアメリカ、そして多分日本で大ヒットした。監督はマイケル・エングラーである。数ヵ月に亘る長期放送だが、毎回次回を楽しみにした視聴者が多かったと思われる。NHKは最初の放送では途中で打ち切ってしまった。放映権が高額であったせいかどうかは不明だが、再び続きを放送したことで、全部を放送した。その人気が大きかったのか、2020年4月18日から毎週土曜日に放送を全編再開し、8月29日に終了した。筆者はこれの続編として映画が製作(ユニバーサル・スタジオ)されたというのでDISKを購入して観た。これまたテレビ版よりさらにドラマチックであり、見応えがあった。そしてテレビ版から3年も経っているのに俳優全部をよく集められたと感心したとともに、テレビ版をうまく引き継ぎながら新しいストーリーを加えて、ハッピーエンドに終わらせている脚本の見事さには改めて感心させられたとともに、大きな感動で涙が出たシーンがいくつもあったのは名作と呼ばれるに値する証拠だろう。
 
  この映画の中の最後のシーンに、祖母のバイオレットが後継ぎのメアリーに語る場面がある。それは時代とともに生活も変わるが、伝統と家は残ると、将来に不安にを覚えるメアリーを諭す場面である。同時にテレビ版の最後の方に辞職した執事のカーソンとエルシー夫人が館から出て家に帰る場面があるが、そこでカーソンが「100年後でもこの城は残っているだろう」と言ったのに対して、エルシーが「さあ、どうかしらね」というセリフがある。これはとても意味深な言葉であり、永遠なものは何もないということを脚本家のジュリアン・フェローは言いたかったのかもしれない。ここに人間のドラマがある。家と家族は永遠ではない。現代では家がずっと同じ場所にあること自体が稀になってきている。まして家族は四散して同じ郷里にいないことが多い。継続を願う人間の気持ちと、それを許さない運命との相克、葛藤を実にこのドラマは見事に描き切っている
 
  人間は運命の糸に操られて自分の思うようには生きられない(運命論)。だがそれぞれが与えられた地に於いて生きてきた。そしてその継続という営みがあったからこそ、歴史が作られてきた。その人間の素晴らしさを称賛することもできれば、人間の存在のはかなさを嘆き呪うこともできる。どちらを感じるかは人それぞれが歩んできた道をどう振り返るかによるが、仮想のドラマの多くは人間に希望と生きる力を与えるように製作される。それは歌と似ており、苦しみの中にある時に希望を見出させてくれる。また文学も生きる意味を教えてくれることが多い。人間がこれまで生きながらえてこれたのは、これらの先祖・先代の遺した遺産に支えられてきたからであろう。その意味で芸術というのは人間に欠かすことのできない滋養となっており、我々はその価値を低く評価してはならないだろう。
 
 
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